2017年6月14日水曜日

財政出動論17B 「90年代の財政出動効果低下」論の顛末

改訂:290626 字句の修正 290621 字句の修正

    いまさらとも思いましたが、2011年7月に書いた 「財政出動論17 財政出動と抑制の30年史概観」関連で、このページを追加することにしました。
    2011年当時からは、時間が経って、当時は、十分ではなかった財政出動否定論の否定の論拠が少しずつ積み上がってきました。第一は、リーマンショック後の国際的な財政の効果の見直しですが、これは、これまでこのブログのあちこちで紹介してきました。第二はここで紹介する小巻泰之日大教授の分析です。これは、拙「New Economic Thinking11 需要不足・巨額国債発行と貨幣の循環~セイ法則不成立のとき何が起きているか」の前段部分で一度簡単に紹介しましたが、簡単すぎたので、まあ自己満足のために、ここで、一応、少し詳しく紹介してみようと思います。

1 2000年代には「財政出動の効果が低下した」という実証研究が出て注目された
 
    わが国では、2000年代に入って、GDP統計を用いて、90年代の財政出動の効果が低下したという実証研究が複数出て注目された。

   財政出動の効果については、すでに90年代から、経済波及効果が低下しているという認識が経済学者の間で広まっていた。これは、貞廣彰早大教授(当時)が貞廣[
2005]『戦後日本のマクロ経済分析』(東洋経済新報社)でも触れているように、ほぼ誤解であり、このページの後段でも触れるが、実際の執行額(つまり実際に行われた財政出動額)大きくなかったにもかかわらず、補正予算のみかけの規模だけに踊らされて(誤って)財政出動の規模を過大評価」していたためである。財政出動規模が実際は小さいのであれば、効果が小さいのは当然だろう
   こうした認識があったところに、(実際の財政出動規模を正確に反映しているはずの)GDP統計に基づいて、財政出動の波及効果の低下を実証的に確認する研究が複数現れたことから、日本の経済学界では、財政出動効果低下論さらに勢いづいた


2 だが、これは今の財政出動効果の世界的な見直しとは矛盾する

    2008年のリーマンショック直後に世界的に行われた財政出動の効果分析や、逆にギリシャ危機を契機に2010年頃から実施されたユー ロ圏を中心とする各国の財政緊縮政策の負の影響の分析などから、財政乗数(財政政策の波及効果、影響の大きさの指標)の見直しが世界的に行われた。特に、IMFは、 2012年10月のWEO(World Economic Outlook:「世界経済見通し」)で、従来の各国への勧告の前提として使ってきた財政乗数が過小であったことを報告し、これまでは財政乗数を2分の1から3分の1程度に過少評価していた(つまり、それまでIMF自身が各国に推奨してきたた財政緊縮政策は負の効果が予想以上に大きかったとを認めた)ことを明らかにした。


    リーマンショック後の各国経済から得られた広範なデータに基づく、この財政乗数の見直しは、上記1の日本の90年代の財政政策効果の低下という一部の実証分析と矛盾している

    もちろん、90年代の日本とリーマンショック後の各国経済の状況には大きな違いがあるのかもしれないし、日本の状況は特殊だったのかもしれない(だが、そうした矛盾を「特殊」な例だとか、「外れ値」だとして常 に片付ける分野には、科学としての進歩はない。自然科学の進歩は、常に「外れ値」への注目からスタートしてきたのである)。


3 だが、小巻泰之日大教授が、この矛盾を明解に解消した

    2015年5月に出版された小巻泰之日大教授の『経済データと政策決定』(日本経済出版社)が、上記の1と2の食い違いを明快に説明した。



 注)同書は、2015年の「第56回エコノミスト賞」を受賞した(同賞は、週刊エコノミスト主催)。



    詳細は、同書の「第2章 1990年代の財政拡張政策の効果」(69~111頁)を参照願いたいが、以下で、簡単にこれを解説しよう。

     注)なお、この内容は、(冒頭でもふれたように・・・)ごく簡単にではあるが、一度、2015年10月

         に書いた拙『New Economic Thinking11 需要不足・巨額国債発行と貨幣の循環』の前段の長い
        
前書き(ページの中で「小巻」で検索)で、ごく簡単に紹介している。

    小巻先生の結論の第一を、あらかじめ述べておけば、ちょうどこの時期に日本でGDP統計の基準が切り替えられたことが、財政の波及効果の低下という誤った実証研究の原因となったというのが結論である。

   以下、具体的に見てみよう。日本はGDP推計の国際基準の切り替えを2000年~2004年にかけて行っていた。
   まず、GDPの作成基準であるSNAは、従来の68SNA 93SNAに切り替えられたが、これが行われたのが2000年12月公表分からである。また、従来は速報、スピードが重視されるがゆえに、データが速く出る需要側の統計が主に使われてきた が、2002年8月公表分から、確報の推計方法と同様に供給側の統計を利用する新推計方法に 切り替えられた。さらに価格基準を、固定基準年方式から連鎖価格方式に切り替えている。この切り替えが反映されたのが2004年12月からである。



      注)93SNAとは、1993年に国連が各国に導入を勧告した国民経済計算体系(System of National
           Accounts)の(国際基準の)こと。68SNAは1968年に勧告された旧基準である。




   こうした基準の切り替えを行いつつ、一定のスケジュールで定期的にGDP統計が公表されていた。その結果、その公表の時期に応じて、切替前、切替後の各基準の組み合わせが異なデータセットが公表されていった。小巻氏、これらの異なるデータセットを使って、財政政策の効果を再計算しなおし比較 してみると、まず、93SNAだけを切り替えると、財政政策の効果は68SNAによるデータに比べて低下した。一方、それに加えて価格基準を固定基準年方式から連鎖価格方 式に切り替えた場合財政政策の効果は上昇(財政支出乗数が上昇)する結果が得られた。
   したがって、米国のように、93SNAへの切り替えと連鎖価格方式への移行を同時に行った国では、財政政策の効果に大きな影響はなかったのに対して、日本 のように、93SNA導入(2000年12月)と価格基準の連鎖価格方式への切り替え(2004年12月)の時期がずれた場合には、この中間の時期(2001年1月~2004年11月)に公表されたデータ(93SNAかつ 固定基準年方式で作成されたデータ)を使って財政乗数を計算すると、80年代に比べて90年代の財政政策の効果は確かに低下する結果が示されたのである。ところが、これを(2004年11月以降に提供されはじめた)連鎖価格方式で作成されたデータで置き換えると、財政政策の効果の低下は逆に消滅したのである。




 注)言わずもがなだが、GDPの公表は、その年度、年や四半期の数値だけでなく、通常はある程度の
        期間さかのぼって一定期間の推計結果がまとめて公表される。推計方式や物価などの基準年を変える
        場合などに、その変更の影響を示すためである。




    つまり、90年代における財政政策の効果の低下という「現象」は、GDP推計の方式や価格基準の変更に伴う幻の「エビデンス」だったのである。



    この「エビデンス」は、経済学を歪めただけでなく、経済政策をも大きく歪めた。もっとも、財務省は、それ以前から財政政策の効果を否定していた。財務省は、1996年(97年消費税増税の前年)に、八田達夫東大教授に対して、



八田氏・・・主計局調査課長の『ご説明』を受けました。

           ・・・その課長は、『最新の経済学の理論では、ケインズ経済学は死んだというこ
                   とになっております。財政と景気はまったく関係がないのでございます』という

         んですね。・・」

 注)これは、拙『財政出動論32 「財政レジーム」転換と「長期停滞」』の中段で紹介(原典は、
        岩田規久男・八田達夫[2003]『日本再生に「痛み」はいらない』東洋経済新報社 (2003年12月刊)
        132-133頁)




と言ったという(これは、当時既に財務省は財政出動も財政緊縮も経済への影響はまったくないと考えていた(消費増税を推進するために、省論がほぼ統一されて いた)ことを意味する)から、そもそもGDPに基づく財政政策効果低下の「実証」以前から、財務省は、財政政策には景気対策としての効果はないと思い込んでいたと言える。

 

   財務省(当時は大蔵省)のこうした考え方は、いわゆる「新しい古典派」の理論に基づくものだった。この理論の支持者たちは、当時の実証研究で、財政の効果・影響が小さい(財政乗数が低下している)結果が出たことは、まさに、新しい古典派の理論を実証していると見えたことになる。だが、それはまぼろしだった。それがわかるのに十年以上かかったのは残念だったが。

   もっとも、それがまぼろしだったことは、リーマンショックとその後の世界経済の停滞で、すでに明らかになっていたといえる。これも、それが理解されるためには数年かかってはいる。



4 もう一つ・・・小巻氏が明らかにしたこと「90年代の財政出動は巨額ではなかった」


   上の議論は、GDPに基づく財政(支出)乗数の推計なので、政府の実際の支出を踏まえた推計に関する問題だった。ところが、財政支出の効果の過少評価の原因として、もう一つの誤りがあった。小巻氏が明らかにした第二は、財政出動規模の過大評価である。


   マスコミや財政学者は、90年代に大規模な財政出動が行われたにもかかわらず、その経済への波及効果が小さかったと認識していた。ところが、実際には、それほど大規模な財政出動は行われていなかったのである。


    小巻[2015]107~109ページでは、90年代に関して公的固定資本形成(=国、地方公共団体執行した公共投資を反映する項目)の数値を見ると、GDPは最初に一次速報がて、次に二次速報出て、最後に正式系列(確報)が発表されが、各段階での改訂による変化はほとんどマイナス改訂である こと(一次速報の政府支出推計はおおむね予算に基づいて行われるため、執行状況がわかるにつれてそれが修正され改訂されていく。実際の執行額が最初の推計よりも小さいことがわかればマイナス改訂)。正式系列では、政府、地方公共団体の決算額が使われるため、正確である。しかし、この確報がでるまでには時間がかかるので、政策判断や評価は、速報段階の数字が使われがちである。

   この正式系列で公的固定資本形成を、1991年の第一四半期を100 とし見ると1995年1月の阪神淡路大震災後に復興予算が投入された時期(同年の第4四半期)には急増して142.8となるものの、それ以後は再び漸減し、消費増税後の98年 第3四半期から99年第Ⅰ四半期までは若干の回復を見たが、それ以後再び低下し、2000年の第4四半期には、(1991年を100ととして)106程度ま で低下していたことがわかる 
    つまり、90年代に財政出動があったと言えるのは、せいぜい9293年と95年の3年に限られる(財政出動論17の最初のグラフ参照)のであり、96年以降は(98年度後半を除いて)、公共投資は経済に対して中立なマイナスの影響を与え続けてきたのである。

   こうした評価は、貞廣彰早稲田大学教授(当時)の評価(貞廣[2005]『戦後日本のマクロ経済分析』東洋経済新報社、197ページ)おおむね確認したものと言える(貞廣教授の主張は、拙著『日本国債のパラドックスと財政出動の経済学』(2013、新評論)の第3章第3節でも紹介した)。


    以上は、GDP統計で、比較的容易に確認できる。「財政出動論17 財政出動と抑制の30年史概観」でもふれている。・・・財政出動の規模を予算で評価してはいけない決算(実際の支出額・・・財政出動規模)は、予算とは大きく異なることが多い。


    大した財政出動規模ではないのに、大規模な財政出動が行われたと考えれば、それに比較して効果の方は相対的に小さく評価されてしまう。




(1)予算と決算の乖離



   では、なぜマスコミや財政学者は、大規模な財政出動が行われたと思い込んだかといえば、補正予算の増額を財政出動の規模と同一視していたとしか言えないのである。そして、マスコミや学者が誤解してくれれば、政府、与党自民は景気対策を一生懸命やってくれている・・・財務省もそれに応じてくれていると国民など思い込んでくれるから、政府も自民党も財務省も「勝手に誤解」してくれることはありがたい。だから、わかっている人達は、だれもその誤解は正そうとはしない。もちろん、財務省は、上で見たように、財政出動に効果はないと信じているので、大した財政出動をしていないのに、大規模財政出動だとマスコミがき立ててくれれば、(彼らにしてみればそれ以上無駄なカネを出さなくても済むのだから、マスコミらの誤りは積極的に正さないのは当然である。むしろ、積極的に誤解されそうな資料を出し続けている。・・・予算は、全額が支出される訳ではないことが、マスコミなどにはわかっていない。



   まず、誤解の一つの原因としては、企業の予算と政府などの予算性格が少し違うことがある。企業の予算は、企業毎に扱い方が違うが、基本的には一種の「目安」である。収入がまず重要であって、それこそが「目標」であり、支出は目標である収入に対応 した支出になればよい。だから、収入と支出の差額がプラス方向に増えていってくれれば(つまり黒字であってくれれば)、支出が当初の予算を超えてもそれほどの問題ではない(経営陣がどう考えるかだけの問題だ)。



    これは、企業で「支出」とは収入を増やすために必要な支出であることが原則だからだ。企業では、収入にリンクしていない支出はわずかなのだ。支出収入関係が明確なのだ。だから、収入が増えるのであれば、そのために必要な支出は当然認められる
    これに対して行政では、収入と支出は本質的にリンクしていない。完全に切れていると考えて良い。そもそも、それこそが行政が行政である所以である行政が行う事業が企業の事業とは本質的に異なる点だが、行政がよい政策・事業を行えば収入が増えるという関係は短期的にも中期的にもない行っている事業の目的が企業とは違うからだ。企業は、収益を上げることを目的とする。だから、企業は黒字になりそうにない事業は行わない。だが、企業が提供しなくても、国民や住民に必要な財・サービスがある。裁判所、警察、公園の提供、生活道路の提供・・・などだ。
    例えば、道路でも、高速道路は出入り口に料金所を設けることで、料金を負担しない人を排除できるから、民間企業でも提供可能だが、生活道路はそれに面するすべての住宅や店舗や工場などに出入り可能でなければならない。したがって、出入り口を制限できないから、利用者から利用に応じて料金を徴収することはできないので、民間企業ではペイしない。したがって、生活道路政府や自治体がなければ提供されない。
    このように、採算が取れないために、企業ではまったくあるいは十分には供給されない財やサービス(これを「公共財」という)を提供することを目的に、国、地方公共団体は設置されている。逆に、国や地方公共団体が、収益を上げる事業を実施することは民間の領域を侵すことであり、排除される。だから、国や地方公共団体行う事業は、事業によって収入を十分には得られない事業になる。つまり、政府では、収入と支出は必然的にはリンクしない政府や自治体の存在意義は、逆に収入と支出がリンクしない財・サービス提供する点にある。一方で、リンクする財・サービスの提供は民間企業が行うという役割分担があるのだ。

   だから、国、地方公共団体の収入と支出リンクが切れていることには積極的な意味がある。しかし、リンクが切れているから、収入を基準に支出すべき事業を選ぶことは出来ない。リンクを通じた支出の抑制ができない。だからこそ、行政では、支出は厳しく管理されなければならない。その管理は、政治(=議会)の監視によって行うことが、「政治」システムという制度の存在意義なのだ。

    このため、支出に関しては、執行のどの過程、段階でも、1円でも議会が承認した『予算額』をオーバーすることができないことが法律的に定められている。1円余計に支出が必要な場合は議会に補正予算を提出して議決をしてもらう必要がある(流用などの制度はあるが、手続きは厳しい)。しかも、支出総額全体で支出予算総額を上回らなければよいというレベルではない。極めて細分化された単位で上限が決定されているのが行政の予算だ。だから、行政の予算は、多少の余裕がないと執行できない。逆に、その結果として、それだけで、常に必ず決算額は予算額より小さくなる



  その中には、大きな事業がそっく り執行されない結果、支出されない予算も少なくない。例えば、工事や委託業務などは、入札して落札業者がいな ければ執行できない。また、公共事業などでは、用地が買収できなければ、建設工事予算は執行できない。これは結構多い。
    特に大都市圏ではそうだ。一方、地方・・・田舎では住民が行政に協力的だし、用地買収単価も極めて低いので、用地買収が容易である。その結果、大都市では予算をつけても用地問題が解決しないので執行できないに対して、地方はそれが容易だから、公共事業は、特に経済対策としての補正予算で行われる公共事業は、地方で多くなる。
    財政出動のための公共事業は、9月12月、2月と言った時点で補正予算が成立する。すると、それから3月末という年度末までに、少なくとも契約しておかないと、予算は原則として流れてしまう。平均的には、2,3か月くらいの期間で、用地買収をし、設計して仕様書を作成して入札とか契約までもっていかないといけない。だが、大都市圏では、そうした短期間で用地交渉をまとめることは不可能だ。だから、景気対策のための補正予算で公共事業を行うとするなら、地方で執行するしかない。別に、地方自民党が強いから、その政治力で、公共事業が地方(人口比で)多いというわけではない(注)。大都市圏では予算をつけても執行できないだけなのだ。別に自民党政治家が地方に多いから、地方で公共事業が多いというけではない。
           注)実際、昔、自民党が強い(自民党国会議員が多い)地域では公共事業が多いという相関 
                 関係から、地方は自民党が強いために、その政治力で公共事業が多いのだ(これは暗に、
                政治による利益誘導を批判している。)・・・という若手財政学徒の論文が財務省財務総合政
                策研究所のフィナンシャル・レビューかなんかに載っていた。だが、それは疑似相関だ。田
                舎である故に自民党が強く、田舎である故に用地買収が容易で公共事業がやりやすいという
                だけの関係に過ぎない。・・・まあ国会議員の影響力がゼロとは言わないが、それは地方と大
                都市の引っ張り合いに対する影響力ではなく、地方のAと地方のB県間のひっぱりあい
               に関する影響力だ。



   景気対策のための補正予算は、補正規模が大きいほど十分な景気対策をしたと胸を張れる。だから、景気対策で補正予算を組む際にははじめから用地買収ができず、十分に執行できないのがわかっていながら予算に盛り込まれる場合も多い。それは執行するつもりがない予算である。一種の政治的パフォーマンスである。



   また、財政部門が、執行段階で財政部門との協議を(執行部門に)義務づけた予算(財政部門の了解がないと使えないという条件をつけた予算(つまり執行協議付きの予算))というものもある。補正予算規模を膨らませ るためだけに、こうした仕組みを使って、支出させるつもりのない予算が計上されることもある(かもしれないと一応言っておこう)。

 
   当初予算の後、9月に補正し、さらに12月とか2月に補正を追加しても、その内容には、当初予算や1回目の補正(一補正)に計上されてていた事業が、少し形 を変え組み替えして再計上されるだけのこともある。執行されなかった事業はしずかに消えていったり、翌年度の事業に再計上されることも多い。すると、翌年度の予算が膨らむことになる。なんのことはない。ダブル、トリプルに計上されているだけだ。



   また、上でも述べたように、行政の予算は、細部まで決められていて、1つの事業の内訳も細かく固定されている。その事業を少しやり方を変えるときには、予算の総額が変わらなくても、事業全体の予算の構成を補正する必要がある場合もある。
       注)例えば、今は解消されているが、かつては国公立の試験研究機関では、何某かの目的のため
           の研究費が予算総額で100万円つけられていても、その金額は、目的別にさらに細分化されて予
           算上限が決められており、例えば電話回線使用料がそのうちの10万円回線使用料の予算額) 
           しか計上されていない場合に、日進月歩の情報通信分野で回線使用料が執行(研究)段階で新し
           い情報通信への対応で15万円必要とわかった場合全体予算が100万円あっても、回線使用料
           の上限10万円という予算の制約のために研究ができない(結局100万円がほぼ使えない)という
           ことも普通にあった。こうした場合、年度内に議会で補正するか、1年待って翌年度予算で要
           求してつけてもらわなければならない この場合に、予算が105万円に増えれば御の字で、しば
           しば、総額は100万円のままで、他の例えば消耗品購入費とか、実験機材購入費とか試作品製作
           費などを5万円削って、回線使用料を5万円増やすことになる。総額が変わらなくても(補正
           予算が議会を通らないと使えない(研究できない)。 
    すると、予算の総額は増えない(=財政出動の規模は増えない)のに、内訳が変化するためだけに、補正予算に計上し、補正の予算額だけが膨らむ場合もある。もっとも、既定の予算額に溶け込んでしまえば《→=現計予算》、それはプラスマイナスゼロになってしまうが。


   こうした様々なプロセスがあるから、予算というのは、結局、どのように執行されたのか、何時執行されたのか、そもそも実際に執行されているのかは、改めて分析しないとわからない。だから、予算は、実際の支出額の代用にはならない。当初予算や補正予算額を単純に足しただけでは、支出の実態とまったく乖離してしまう場合がある。本当の支出額が本当にわかるのは、決算額である。

だから、正確公共投資の規模は、正式系列のGDP統計の公的固定資本形成がそうして産出されているように決算額ベースにしなければならない。信頼できるのは、これだけである。問題は、それがわかるのが遅いことである。

(2)印象操作?・・・



    また、日本では、(財務省の長年の方針で)財政出動は当初予算では行わず、実質的にほぼ必ず補正予算で行うことになっている。したがって、仮に、ある年度の途中に財政出動のために 補正予算が積み上げられその年度の最終予算額が大きくなっても、翌年度の当初予算は、前年度のそうした補正を行う前の(「補正前」の)当初予算額が常に計算のスタートラインとなり、それとの比較新年度の予算が査定される。新年度にさらに景気対策が必要で補正が必要になる場合も、比較対照は常に当初予算であり、補正予算を加えた前年度の最終予算額ではない。財政出動の規模や変化を把握するには、新年度の当初予算額と前年度の補正後の最終予算額を比較しなければならないはずだが、そうした比較をしようという発想は、少なくともマスコミにはない

    注)もっとも、上で述べたように、予算があっても執行されているかどうかはまた別なので、最終的
        には決算で見ないとわからない。上で述べたように、GDP統計は正式系列では、決算額を使って
       
いる。だが、それは遅すぎて、政策判断には使えない。って推計するしかな
        速報段階では、予算と執行状況の把握によい。



   だから、前年度予算と比較して、今年度予算は、これだけ増えていますという資料を財務省は出すが、それは、補正で増えた前年度の最終予算額と比較しているのではない。前年度の当初予算額と比較しているのだ。だから、常に、今年の補正予算は巨大に見える


   マスコミとか財政学者は、前年度は補正で大規模予算になっていて、前年度予算と比較して今年度当初予算はそれよりも「大きい」ようだから財務省は前年度予算を比較のために今年度予算額と並べて表にするが、並べられているのは前年度の当初予算であり最終予算ではない、予算は昨年度よりさらに大規模になっているだろうと勘違いしていることが多い《というのも、民間会社は最終予算と比較するのが普通だと思う。だが、実際は、当初予算段階ではほぼ必ず前年度割れ(前年度の補正後の最終予算より大幅に小さい)であり、その後の補正を加えても前年度割れということがしばしばである。



   財政学者さん達も、実務は知らないので、「行政職員には常識であること」がわからない。財務省職員は、誤解してもらいたいのでわざわざそんなことは言わないし、他省庁職員は、財務省ににらまれたら予算査定にかかわるから言わない。地方公共団体の職員も補助金をもらうときにいじわるをされないようにと考えて言わない。知ってる学者さんもいるはずだが、財務省の気に入らないことを言うと審議会には呼ばれる可能性がなくなるし、データももらいづらくなって研究にも差し支えるので、自己規制である。

    財務省が作成するホームページや資料を見ると、例えば、国債の毎年の発行額のグラフなどでは、過去は決算額を使っているが、今年や前年くらいは予算額を使って決算額と線をつないでいる。もちろん、今年や前年の決算額が確定していないから予算額を使うことには一定の意味はあると言えないこともない。だが、必要なら、比較できないものを比較することにならないように、今年や前年は、過去の決算のデータとは別のグラフにすべきだ(グラフの注には、そこは予算だと小さく書いてはあるが、そんなところは普通の人は見ない)。(数年前の話だが)とある財政学者さんが、とある誌上で、その財務省の作ったグラフ《同様のグラフを毎年作っている》を使って「昨年、今年と国債発行額が大幅に伸びて大変厳しい」といったニュアンスで解説しているのをみてたまげたこともある。伸びてるように見えるのは、その部分だけが予算数字使っわれてるからですよ・・・。


2016年11月5日土曜日

New Economic Thinking14 『長期停滞』とトランプ現象

改訂:28.11.11/12 タイトル変更。冒頭に前置きを追加。 28.11.7pm7字句の修正。28.11.6am10主に「不足制約原理」の説明若干加筆。28.11.5pm6 字句の修正。

《前置き》

今回の米大統領選挙で、トランプ氏の当選をポピュリズムに結びつける見方多い。では、なぜこれまではポピュリズムが大統領選を支配せず(影響が小さく)、なぜ今、それが政治を支配するようになったのだろうか。
原因は、従来とは異なるレベルの大きな環境変化が生じているのだと考えるしかない。トランプの当選は、今のエリート達を支配している思想すなわち世界を支配している一つの経済思想に対する反発がもたらしたと考える。

ポピュリズムのトランプに対して、非ポピュリズムの代表として民主党のクリントン氏に目が向きがちだが、民主党の大統領候補選出過程では、社会民主主義者を自称するバーニー・サンダース氏の予想以上の大健闘があったことを思い出すべきだ。トランプとサンダースは、単純な見方では対極に位置するが、この二人が予想に反して大きな支持を集めた原因は、共通すると考える。彼らは、政界の主流である既存の政治エリートと、それらエリートが信奉する主流派の経済思想をひっくり返そうという多数の国民の意思に押し上げられたと考えるべきだ。

こうした既成の政治家や、今やそれらのエリートを支配している現在の経済思想の主流派に対する反発は、実は過去10年以上にわたって持続してきており、それはますます強くなってきている。

   近くは、ヨーロッパにおける反移民、反グローバリズム、反EU・反ユーロを標榜する政党が勢力を拡大している状況があり、英国では国民投票でのEU離脱の選択という結果があったばかりだ。
   米国においても今に始まる動きではなく、8年前のオバマ大統領の選出の際にも大きなうねりがあった。
オバマ氏は、変革を掲げ米国民の熱狂的な支持と期待を担って大統領に就任したが、議会とのねじれの下、民主党内を含め既成の政治家やエスタブリッシュメントに絡め取られ、その政策は期待を裏切り、国民の熱狂は冷めていった
   こうした妥協を強いたのが、民主党内の既成の政治家達であり、彼らは、政治的には従来の民主党的な政策を信奉しているとしても、経済的思想においては、自由市場やグローバリズムの信奉者であり、かつて米国の中間層に多くの職を豊かに提供してきた製造業の犠牲の上に、金融を中心とする業界の繁栄を図ることを国益と考える人達だった。そして、彼らは金融業界の繁栄に寄与する経済政策を採用してきたから、金融業界と深いつながりがあるとみなされるようになっている。

その代表格の一人がクリントン氏であった。彼女の夫ビル・クリントン氏は、個人的には今でも高い人気があるとされる。しかし、彼の大統領時代、彼が任命したゴールドマン・サックス出身のR・ルービン財務長官の下で、1995年頃から「ドル高政策」が採用された。
   これによって、金融業界はドル高で流入する海外資金を国内や海外に再投資することができるようになった(クリントン政権下では、同時に、大恐慌時の1933年に成立したグラス・スティーガル法による投資銀行と商業銀行の分離や、マクファデン法などによる州際業務の禁止(州境を超えて銀行業務が出来なかった)などの金融業に関わる規制は、次々に撤廃,緩和されていった)
   この結果、米国では金融産業が隆盛のときを迎え、「金融立国」が急速に具体化していくことになった。
   こうした過程で、金融業界は、ますます、政治との結びつきを深めていった。また、同時に金融業界は、金融論だけでなく、マクロ経済学の主要なユーザーでもあったから、金融業界、経済学界、政府は、こうした過程を経て、緊密な関係を結び、利害を共有する関係を築き挙げていくことになった。

一方、当然ながら、このドル高政策で米国の国内製造業は国際競争力を急速に失った。したがって、米国製造業は、流入する資金とドル高を活かして海外に工場を建設して、そこで生産した製品を米国に逆輸入する道を一層強化していくことになった。
   米国の製造企業は、それに適応した。しかし、米国民の大多数はそうではなかった。米国内の製造業の雇用は縮小し、海外で生産された製品との価格競争を通じて、米国の賃金は常に低下の圧力を受け続けるようになった。

まず、このドル高は、意識的に選択されたのである。すなわち、米国は、クリントン=ルービン政権下で、国内製造業を見捨て、金融『産業』に軸足を移すという選択を意識的に行った。これは、レーガン時代に匹敵する極めて大きな歴史的な政策転換だった。なお、言うまでもなく、当時からヒラリー・クリントンも政権の有力な一員だった。

このクリントン政権の政策転換以降、米国製造業は海外の開発途上国に工場を建設し、輸入する道を選ぶことになったが、そのためには、海外投資が安定的に行えなければならない。したがって、その環境として、持続的な自由貿易の推進や、ワシントン・コンセンサスの強制などによる国際投資環境の整備、つまり経済、金融、投資のグローバル化が強力に推進された。また、投資相手国の治安や政治が安定している必要があったから、米国は、政治的にも軍事的にも、そうした投資相手国に引き続き介入を続けることになった。

    上でも述べたように、こうした政策は、当然に米国内(そして先進各国)の雇用力を削ぎ、米国の中間層はさらに急速にやせ細っていった(他の先進諸国もこれに準ずる)。

では、投資を受け入れる開発途上国はどうだろうか。高度成長以来の日本の輸出は、資金の国内調達(→貯蓄奨励政策)という制約の下で行われ、日本経済が大きくなった高度成長末期には、米国との間に深刻で激しい『貿易摩擦』を生んだ。
   これに対して、クリントン政権以降に本格的に輸出立国政策を採用した中国や東南アジア諸国などの国々は、貿易摩擦を心配する必要がなくなり資金や技術は、米国などの先進国から積極的に移転された。このために、現在の開発途上国は、日本が成長していた時代よりも、さらに急速に成長が可能になっている。
しかし、先進諸国の中間層の縮小、格差の発生、所得の停滞、国内需要の停滞といった、現代の先進諸国を覆っている閉塞感の原因は、こうした政策(金融産業の振興、経済・金融・投資のグローバル化、ワシントン・コンセンサス等々)の結果であることが、漠然とながら米国民にも体感されている。
 トランプ旋風に代表される、世界の政治の大きな変動の背景にはこうした経済思想に基づいた経済政策の大き変化があ(その原因と経過は本文で述べる)、それが先進国内の雇用の安定を損なっているという理解浸透してきたことがあると考える。
  
そして、こうした政策を推進してきたのは、既成のエリート、エスタブリッシュメント、政治家である。
   1970年代以降、主流となった経済思想に基づいて、グローバル化や金融の重視といった経済思想が、政党や党派を問わずに共通した、既成のエスタブリッシュメントの思想となったと感じられているのだ。
   それに対する抵抗は、8年前のオバマ旋風を生み出し、期待されたが、ダメだっただから、さらに過激な人材が求められることになったと考えればよいと思う。

  また、こうした主流派の経済思想に従って推進されてきた政策は、単に先進国内の雇用や所得への影響を通じて格差の拡大、社会の安定を損なうようになっただけではない。すでにそのシステム自体が行き詰まりつつあり、世界経済の「長期停滞」の原因にもなっていると考える。それは、本文で述べよう。

   以下の本文の内容は、自由貿易や経済のグローバル化を否定するものではない。ただ、それが急速に進みすぎたことが、マクロ的なアンバランスを生み、それが世界経済の停滞、行き詰まりにつながっていると考える。進行に節度を求めているにすぎない。 
   現代の主流派経済学は、専ら供給のみを考え、需要は自動的に供給とバランスすることが想定されているために、アンバランス発生のメカニズムを考える枠組みを持っていない。それが、アンバランスの存在自体をみない、過小評価する原因となっていると考える。

==========《以下、本文》============

  この「New Economic Thinking シリーズ」のベースには「需要が経済を支配する状況があり得る」という観点がある。
    そうした観点から「長期停滞」のメカニズムについて説明して見よう。

 (『長期停滞』だけでなく多様な経済変動をシンプルに説明する)
  表題や上では、「長期停滞」について説明するとしたが、これは同時に、現在の「金利の低下」の原因(中央銀行の金融政策以外の原因)、「バブル」の生成と崩壊の頻度や規模の拡大の原因、ワシントン・コンセンサスの背景、あるいは「格差の拡大」といった問題についての説明になる。単純化して『長期停滞』に代表させたもの。

    ただし、アバウトにである。「アバウトに」とは、思考の流れをアウトライン的にという程度の意味である。だから、とりあえずあまり厳密ではない。もっと も、厳密に考えても、きちんと成立するだろうとは考えている(多少の修正を加えることはあり得るかもしれないが、)。

    『himarinaryの日記 』2016-10-25さんから、ジェイソン・ファーマン米CEA(大統領経済諮問委員会)委員長の「新たな財政政策の五原則」の中の一文 を引用してはじめよう。
低金利は危機の副産物というわけではなく、むしろそれに先行していた。先進国の10年物国債金利は1985年には約6%だったが2005年には2%を切った。現在の超低金利を脱したとして も、5~10年前に当然視されていた水準に戻るとは考えにくい。」
   (’Five principles to follow for a new fiscal policy' "英フィナンシャルタイムズ" OCTOBER 20, 2016 )

    なぜ、低金利になったのかが、ここでの「長期停滞論」の思考のヒント、出発点だ。だが、ここでは、それに基づく思考の展開過程を辿るのではなく(それにより得られる結論を経済史に沿って説明しよう。

1 1960年代〜70年代にかけて米国経済の「供給側」に問題


    1960年代には、ヨーロッパ諸国が第2次大戦からの復興を遂げ、日本の復興と高度成長も始まり、主要国でただ一国のみ戦災を受けなかったために生じていた米国経済の圧倒的優位は低下し、米国産業の国際競争力は、低下しつつあった。時代はブレトン・ウッズ体制下であり、固定為替相場制下にあったから、それは貿易赤字の拡大を生じさせた。
   単純化して言えば、貿易赤字とは、国内経済の供給サイド(生産能力、効率性、価格競争力等々)に制約がある状態の結果として生ずる現象だと言える。
    ちなみに、一方で、60年代初頭、民主党のケネディ政権で始まった米国のベトナム戦争への本格介入は、次のジョンソン政権でさらに拡大し、60年代末のピーク時には、陸上兵力のみで54万人がベトナムに派兵され、米国の財政を圧迫した。
           なお、米国の要請により韓国やオーストラリアを中心とする同盟国も合わせ
        て6,7万人を派兵したが、米国は、そのうち5万人規模の派兵を行った韓国
        に対し て、兵士の給与全額を負担したほか、大規模な経済支援を行った。こ
        れも、米国の財政・経済を圧迫した。ちなみに、日本やヨーロッパ諸国も、
        米国の要請に応じて、韓国経済に大規模な経済援助を行った。いわゆる 「漢
        江の奇跡」が起きたのは、この時期である。
   貿易赤字に伴う経常収支の赤字の支払いのため、ドルは海外に流出し、米国外に拠点を置いて流通するドルが規模を急速に増していった(→ユーロダラー)。
   こうした変化を受けて、ドル・ショック(ニクソン・ショック)が発生する。これは、直接的には、ドルと金の交換停止を指すが、それが必要になった原因は、米国の国際競争力の低下にある。国際競争力の低下によって、米国は、もはやドルの発行量に応じた金準備を蓄積することが出来なくなったのである。貿易上の国際競争力の変化の調整は、基本的には為替レートによって調整せざるを得ない(内的減価は 痛みが大きすぎる)。だが、当時はブレ トン・ウッズ体制下の固定相場制だった(ちなみにユーロを使用する国々間も固定相場制と同じだが、ユーロ圏内で生じた南北の競争力格差について、ギリシャなどは内的減価を求められたためギリシャ経済は疲弊した)。それを変えようしたことが、金とドルの交換停止の実質的な意味である。その後、ドルを減価させた上で為替レートを固定し固定相場制を維持しようとしたスミソニアン合意もあったが、長続きせず、結局、世界は変動相場制に移行していくことになる。

   重要なことは、こうした一連の変動は、米国産業の国際競争力の低下を反映したものであり、加えて、当時の米国は、ベトナム戦費やジョンソン政権の社会保障支出などによって国内経済は需要超過状態にあり、米国製品の供給には限界(供給制約)があったため、輸入が不可欠となって貿易赤字が拡大していたのである。

2 これを受けて、経済学も「需要の経済学」から、「供給の経済学」に転換

(1)不足制約原理
    供給に制約があるときは、供給に関わる障害を取り除けば、経済は成長できる。ここでは、「供給を重視する経済学」が経済をよく説明できるだろう。
   逆に、需要に制約があるときは、需要の障害となっている原因を取り除けば、経済は成長できる。このときは、需要を重視する経済学」が経済をよく説明できるだろう。
   全体の仕組みの一部分になにか制約があれば、全体のパフォーマンスは低くなる。その部分(全体の一部)の制約を解決すれば、他をいじらなくても、それだけで全体のパフォーマンスが大きく向上する。
   こうした、不足して制約のあるものが全体のパフォーマンスに大きな影響を及ぼす現象は、普遍的に見られる現象である(というより当たり前である)。
   効率改善の手法等で使われるクリティカル・パスとか、ボトルネックの考え方の基礎にはこれがあるし、経済学でも、例えば(忘れられた原理だが)ショートサイド原理は、これと同じ考え方がベースにある。また、そもそも、経済学の定義として今日でもしばしば引用される、ライオネル・ロビンズの経済学の定義:「様々な用途を持つ希少性のある資源と目的との間の関係としての人間行動を研究する科学」(ウィキペディア)の中の「希少性」とは、まさに、それが「希少」=不足しているものであるが故に、経済現象全体を制約し、その現象全体の挙動を規定することになるために重視されているのである。

   拙著(『日本国債のパラドックスと財政出動の経済学』(新評論、2013)の補論3
(238-243 ページ))では、これを『不足制約原理』と名付けて普遍的に成立する有用な原理として紹介している。これは、経済環境の変化のなかで、不足するもの(要因)が変化することによって、経済現象の挙動を大きく左右する因子が移り変わっていく状況を理解するための視野を広げる意義がある。経済現象を左右する主要因は、特にリーマンショック前後の経済のように経済を規定する状況が大き変動することで、様々な要因が経済を説明するウエイトが変化している(部分がある)と考える。

(2)支配的な経済学の供給側の経済学への転換
    さて、主に大恐慌という需要の不足する経済下で成立したケインズ経済学は、需要を重視する経済学だったから、供給が不足するようになった1960年代後半以降の米国では、主に供給側の要因が経済変動を規定するようになったため、経済に適合しなくなっていった。この結果(そのほかにもいくつかの要因が重なったと一応は言っておこう)、米国の経済学界は、ラグを伴いながらも、供給を重視する新古典派系の経済学に転換していった。米国の経済学は当時(〜現在も)世界の経済学をリードしていたから、「供給の経済学」が世界を席巻することになった。

   米国以外のヨーロッパ諸国などの先進国では、供給制約の大きかった戦後復興期(このころは供給の経済学が妥当したはずだ)を終えた70年代以降は、むしろ需要の不足が経済を規定するようになった。だから、ヨーロッパの先進国には、米国とは逆に供給の経済学は必ずしも当てはまりはよくなかったかもしれない。
   しかし、米国以外にも供給不足の経済はあった。開発途上国の経済だ。これらの国々は、資本が不足していたし、適切な教育を受けた労働者も不足していた。技術も不足し ていた。米国で発展しつつあった供給重視の経済学は、世銀などの開発援助などを通じてそれらの国々に当てはめられ、それに基づいて援助が組み立てられた。 画一的なあてはめには問題があったが、供給不足の経済の国々の経済の理解には米国生まれの新しい?経済学はそれなりに通用する部分も少なくなかった。

(3)今日、需要不足が持続的に生ずることはあり得ないと考えられている
       (この項は、飛ばしてもかまいません)

    供給を重視する新古典派系の経済学である今日の主流派経済学では、需要不足が(一時的には別にして)持続的に生ずることはあり得ないと考えられている。な ぜなら、均衡状態ではセイの法則が成り立ち、このとき、生産物(これを財・サービスという)の生産のためのコストとして株主の配当、労働者の賃金、政府へ の税金等として支払われたマネーは、効用最大化原理に従って、全額が生産物の購入に使われるから、生産された生産物は全て売れるからだ。
    だから、生産側つまり供給側のみを考えていれば、需要は自動的についてくると考えられている。これから、投資を重視する供給側の経済学が導かれる。
   だが、分配されたマネーの中で、その一部を生産物以外の購入に使う割合が増加することがあれば、生産物のすべては売れないように見える。 個人では、こうしたことは(例えば貯蓄)は頻繁に生じている。しかし、経済全体では、こうしたことは生じないと考えられている。例えば、個人が貯蓄を増や しても、別の個人は貯蓄を減らしているだろう。また、仮に経済全体の貯蓄が増えても、それを企業が金融機関を介して借入れて、設備投資に使えば、設備投資 の内容(工作機械とか生産機械などの生産設備等)も生産物なので、結局、生産されたすべての生産物が売れると考える。

    こうしたメカニズムについては、拙「New Economic Thinking11 需要不足・巨額国債発行と貨幣の循環~セイ法則不成立のとき何が起きているか」の前半で解説している。

   しかし、例えば、マネーが生産物(財・サービス)ではないものに使われるとどうなるだろうか。例えば土地、債券などの金融資産などである。一見、金融資産や土地に投入されたマネーは、それらを発行したり売却した企業や国が受け取り、そのマネーは企業や国が行う設備投資、消費や基盤整備に使われるように見える。つまり、土地や金融資産を売った者は、それを財・サービスのために支出するから、経済全体で見ると差引相殺されるように見える。しかし、売った者がその売却代金を使って、(財・サービスではなく)さらに別の土地や金融資産を買ったらどうなるだろうか。つまり、売却代金(の一部)が土地や金融資産に再投資され続ける場合である。
    ・・・これがどんなときに生ずるかと言えば、土地市場や金融市場に持続的にマネーが流入するような場合である。前者の典型はバブルである。後者もバブルだったり、不況で使い道のないマネーが金融機関にマネーのまま滞留する場合がある。
   あるいは、マネーを使わずに、マネーのまま保管,保蔵してしまったらどうなるだろう。マネーは大抵が金融機関に預けられる。だから、金融機関は、それを他の者に貸すのが普通である。すると、借りた者はそれを使って、家を建てたり(住宅投資)、工場の建設など設備投資に使うと考えれば、すべてはやはり生産物の購入に 回り、需要の不足は生じないように見える。
   だが、そうならない場合があることは、実証的に示すことが出来る。

   これについては、拙「財政出動論22 貨幣流通速度と不況期資金余剰」 で、グラフを使って示している。ここで、貨幣の流通速度とは、貨幣の使用の頻度のことである。貨幣の使用の頻度は、バブル期と不況期に低下することが実証的にわかる。これは、バブル期には、土地市場などに資金が流入していること、また不況期には、資金が金融機関に滞留して(預金が減らないか増える一方で、 貸出の頻度・回転率が低下して)いることを示している。

     上記の「New Economic Thinking11 需要不足・巨額国債発行と貨幣の循環~セイ法則不成立のとき何が起きているか」の後半では、こうした現象を資金の循環に沿って解説している。

   このようになる原因は、個人や企業が、不況やバブルという環境下で、「一斉に」 消費を節約して貯蓄を増やしたり、設備投資を一斉に縮小したりするからだ。こうなると、Aさんの行動をBさんの逆の行動が打ち消すというマクロ的な相殺のメカニズムは働かない。

3 供給重視の政策によって分配が変化した


    (2の(2)に続く形になる)
   かくして、米国では、供給重視の経済学が支配的になるに従って、供給制約を取り除くために、設備投資を促進する政策が推進された。例えば設備投資資金の供給拡大のために、株主への配当を優遇するなど株主の株式投資を促進する政策、あるいは社債投資を促進する政策など、貯蓄性向の高い富裕層への分配を促進する政策につながった様々な制度の改革が行われた。これらの政策は、供給重視の経済学や、新自由主義的な思想によって正当化された

4 しかし消費の伸びが低下したために、設備投資が停滞し、資本のリターンも低下

    だが、こうした分配の変化は、真の最終需要である消費の主体である勤労者の所得を抑制する方向に作用し消費の伸びは停滞した。富裕者の消費性向は低く、その大部分は投資(ただし、金融資産投資や土地投資である)にまわされるからだ。その結果、(生産物増産を目的とした)設備投資による供給増加政策は供給過剰を招いたから、設備投資のリターンは低下した。したがって、設備投資資金需要は低下し、金利は低下していった。
    次のグラフを見ると、世界の成長率は、1970年代に断層的な変化(低下)を生じたことがわかる。原因としては、オイルショックなどの影響や、ドルショック以後の変動相場制への移行などいくつかの要因が挙げられている。
   だが、ここでは、優勢となった新古典派系経済学を背景に分配が変化し、需要の制約が強まったことが(→需要の成長の不足という制約を経済にもたらしたことにより)、成長率の低下をもたらしたという仮説を提示しておこう。

5 →資本の運用者は二つの方向《資産投資の拡大》と《海外投資拡大》を志向

(1)「資産投資の拡大」と「バブル」
   一つ目は、「資産投資の拡大」である。「資産」は、その時点(今の時点)の経済のサイクルで生産されたものではないという点で「生産物」(すなわち「財・サービス」)とはまったく異なる。マネーが資産投資に持続的に多く流入することで生ずるのは、「資産価格」の上昇のみである。これは財・サービスにおける「物価の上昇」と同じものであるから、「生産」が増えたわけではない。
   さて、上記3で見たように、分配の変化によって生じた消費の停滞によって、設備投資も停滞し、それによって、設備投資資金需要が停滞したため、マネーは、まずは、金融資産投資や土地などの不動産投資に機会を求めた
   ここで、資産市場への資金の流入がどの程度かを示す資料を見てみよう。金融資産とは将来時点の財・サービス購買のための蓄積だと考えれば、財・サービスの生産《GDP》が伸びない中での、金融資産のみの規模の増大は、(マクロ的には、それによって将来買える財・サービスは相対的にどんどん少なくなっていくのだから)本質的にバブル的であり、不安定なものである。下図を見ると、「金融資産/名目GDP比」は、例えば1980年には1.09倍だったのに対して、2005年には3.17倍に増加している。
    ここで、次の言葉は示唆に富むだろう。すなわち、金融危機では「資産の所有者は、・・・住人のいない賃貸住宅のようなものです。不動産ではあるものの家賃収入はありませんから価値がないのです。」       (U.ヘルマン『資本の世界史』太田出版、2015、269ページ)
   この「賃貸住宅」を金融資産に置き換えれば、「住人がいないために家賃収入がない」とは、「資金需要がない(借り手がいない)ために金利が極めて低い」となる。リターンが少ないのに大量の金融資産が増え続けている。これはバブルの特徴でもある。

    また、土地投資も基本的には、土地価格の上昇は、市場に流入する資金量に依存するから、財・サービスの生産規模(GDP)の伸びを伴わない価格上昇は、基本的にバブルである。

   かくして、資産市場では、実際にバブルの生成と崩壊が頻繁に繰り返されるようになった。
   需要の経済学(ケインズ経済学)が中心の時代には、バブルの発生と崩壊の頻度は低かったが、ちょうど、供給重視の新古典派的経済学や新自由主義経済学が主流を占めるようになった頃から、バブル発生と崩壊の頻度が上昇しているように見える。
   2000年以降を見ても、世界的な規模でのバブル崩壊は、2000年代初頭のITバブルの崩壊、そして米国の住宅バブル崩壊を背景に生じたサブプライム危機から2008年のリーマンショックに端を発した世界金融危機がある。

(2)海外投資・・・グローバル化の推進
   もう一つの道は、海外投資の拡大である。これを、実体経済企業と資産運用者の2つの視点で見てみよう。

    a 企業は低コストを目ざして開発途上国での生産を志向した
   企業の経営層は、需要が停滞する国内市場での売上拡大競争(それは成長市場での売上競争とは異なり、ゼロサムゲーム、つまりシェア争奪競争である)に勝って利益を上げるために、低賃金で低コストの生産ができる開発途上国での生産を志向した。

    b 資産運用者・富裕層も高い投資リターンを開発途上国に求めた
    資産運用者・富裕層も、先進国である自国市場での(金融)投資のリターンの低下、金利の低下から、成長可能性が高く、高い投資リターンが期待できる新たな投資先を探していた。それは海外に(開発途上国)あった。

6 海外投資の円滑化に向けて、金融と投資の「グローバル化」が必要とされた


    先進国の経済主体が、開発途上国に投資を行う際の障害は、投資環境すなわち規制、リスク、それに為替レート等である。

    企業が、開発途上国に工場を建設するときには、事業の開始や工場の建設に関して、さまざまな許認可が必要になる。子会社を設立する場合にも、その支配に関して規制がある場合が多かった。また、生産された製品の輸出や原材料、部品の輸入に関しても制約が大きい場合が多かった。かくして、規制が多すぎることが経済発展の障害だとして、開発途上国を中心に規制の緩和が強く求められた。また、工場から、港湾等への道路などの交通基盤等のインフラ整備も重要になる。
    また、開発途上国で生産した製品は、自由に先進国に輸出できなければならない。すなわち、自由貿易が推進される必要があった。
   一方、金融投資家・資産運用者が、開発途上国に金融投資を行う場合には、資本規制が障害になる。また、外国為替政策に関して予見性がない政策運用がしばしば行われては、リスクが大きい。さらに、例えば、融資相手先金融機関に対する規制が強かったり、金融機関に対して政府の恣意的な強い影響力が働く可能性があったり、あるいは投資先企業の財務諸表等にその国特有のローカルルールがあって適切な分析評価ができないといったことがあると、リスクが高くて自由な投資ができない、等々といったことがある。
    したがって、開発途上国への投資を円滑化していくためには、こうした様々な制約を取り除くことが不可欠になる。それが金融や投資の「グローバル化」の意味である。

   かくして、開発途上国に対しては、生産工場の建設投資や金融投資を安定的に行える環境を開発途上国に作らせる政策が取られる(推奨される、また可能なら強制される)ことになった。その際の推奨又は強制の基準となったのが、いわゆる「ワシントン・コンセンサス」などである。

7   ワシントンコンセンサス等の強制や自由貿易で、投資・金融のグローバル化が進行

   開発途上国は、ワシントン・コンセンサス等の受入によって、途上国自身の供給拡大の制約となっていた資本を先進国から容易に調達できるようになり、技術についても、先進国企業は、先進国内での価格競争に勝つために、先進国市場で通用する製品を低賃金の開発途上国で生産してもらうために、積極的に技術を移転した。

    開発途上国には、生産する製品の市場はなかった(=国内市場での需要不足)、製品は先進国市場に輸出すればよかった(=海外の《先進国》市場依存)
   これは、開発途上国で、高度成長のためのマクロ経済政策を容易にした。もし、海外の先進国市場への輸出ができなければ、国内で生産された製品の市場を国内に求める必要があるから、マクロ経済政策においても需要に対する配慮が不可欠になる。
   だが、海外への輸出が可能なら、国内の需要に配慮する経済政策は必要がない(低い)。かくして、高度成長する開発途上国では需要を意識せずに供給側の政策のみで成長が持続できた。供給重視の経済学バンザイである。一方、仮にもし、先進国市場が開放されていなければ、新古典派系経済学の有効性、信頼性は直ちに深刻な危機に直面しただろう。
   このためにも、「世界貿易の自由化」が、持続的かつ執拗に推進されたのである。「貿易の自由化」は、供給側のみを重視する新古典派系経済学の延命にも大きく寄与した(不可欠だった)といえる。だが、それは、自国内で完結するマクロ経済を世界経済に拡大することで生じた一時的な延命に過ぎなかった

8 その結果、先進国での雇用停滞から先進国市場の需要の停滞が生じた

   上記のように、低賃金の開発途上国で生産された製品の市場は、先進国で生産された製品に価格競争で打ち勝ち、その市場を奪うことで確保された

   しかし、それによって、先進国国内の生産が打撃を受け、先進国では労働者の雇用が奪われ、あるいは先進国労働者の賃金は、開発途上国との製品価格の競争を理由に抑制され、消費を担う中心層の所得の停滞により、先進国の消費需要は(さらに)停滞するようになった

   もちろん、開発途上国製品の先進国市場でのシェアが小さいうちは、先進国で生産された製品の市場を奪っていけるから、開発途上国は輸出を伸ばせる。
   しかし、開発途上国の輸出品が先進国の製品を先進国市場内で駆逐し、先進国市場で大半のシェアを占めるようになると、それは当然に、先進国の雇用や賃金の抑制・減少を通じて先進国消費者の所得減少に直結し、先進国の需要が停滞するようになる。その結果、その先進国市場の需要に大きく依存するようになった開発途上国の製品輸出も頭打ちとなる
    かくして、先進国の需要の停滞は、最終的に開発途上国の輸出の停滞に反映されるようになり、開発途上国の急速な成長は制約されるようになった。
    すると、開発途上国の急速な成長による高い投資リターンを期待して行われていた様々な投資は、成長の停滞によって需要の当てが外れリターンを期待できなく なる。その結果、流入していた資本は期待はずれの結果を受け取ることになる。崩壊というほどまでには至らずとも、バブルの行き詰まり的な現象も現れることになる。

   これが、「グローバル化の行き詰まり」という現象として現れることになる。(=今は、ここに到達したところ)

9 結局、供給を重視する新古典派系経済学を背景とする新自由主義経済学は・・・・

    先進国内では、富裕者や企業への分配を増やすことで、富裕者の所得を拡大したが、それによって消費の大部分を占める中間層以下の消費が停滞したため、国内市場では設備投資を増やすことはできず、資本のリターンは低下した。これは、供給主導の標準的経済学の行き詰まりを露呈することになる。
   これに対して、金融界・資産運用者や新古典派系エコノミスト達は、海外の開発途上国への投資によって、資本のリターンの向上を図る政策を政府を動員して行い(ワシントン・コンセンサス等)、一時的にはそれに成功した。また、国内では、海外の発展途上国製品との比較で、労働者の賃金の抑制にも成功したが、それは先進国の国内需要の停滞をもたらし、それはさらに開発途上国の輸出の停滞につながったため、開発途上国投資も終焉を迎えて行き詰まっている。

   すなわち、海外投資資金は、一時はグローバル化によって、開発途上国への投資という行き先を得たが、それも行き詰まった。開発途上国の輸出成長自体が、先進国の豊かな市場の存在を前提としているからだ。そして、開発途上国の輸出成長自体が、その先進国の豊かな市場を毀損し、その結果は開発途上国の成長自体の抑制に跳ね返っている。

   国内での資産投資もバブルを生むだけであり、その先は崩壊のリスクが高まっている。・・・まあ、米国金融業の政治力、影響力が大きいし、経済学者も飼い慣らして来たので彼らも使えば、政府が助けてくれるけど。

    開発途上国は、労働者の賃金を上昇させ、国内市場(=自前の需要)を育てていくことで、成長をすることができる。しかし、労働者の賃金の上昇は、先進国への輸出競争力の低下と相反する関係にあり、微妙な調整舵取りが必要になる。 決して容易でない経路である。

   これが「長期停滞」のメカニズムだと考えます。