2011年1月14日金曜日

財政出動論3 大恐慌期の金融政策の有効性

関連: 4橋本改革 2なぜ財政出動 1財政有効性 「重不況の経済学 公共事業
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                                                                                                 23.8.31末尾で若干補足
                                                                                                 24.2.11日本のバブル崩壊の事例を3に挿入
    この頁をベースの一つとして新著日本国債のパラドックスと財政出動の経済学』(新評論。平成25年10月10日刊。 →→紹介ver.2紹介ver.1アマゾンを出版しました。なお、この本では、日本の昭和恐慌についても、以下で見る米国の大恐慌と同様、マネーストック(サプライ)の増加は、主として政府向け投資(国債投資)の増加によるものであり、民間向け貸出や社債投資の増加がほとんどなかったことを確認しています。
《概要》大恐慌期の金融緩和政策と恐慌からの回復との間に因果関係が見られないことを、金融機関の資金運用先から明らかにしています・・・・

   財政出動論2では財政出動と景気回復(具体的には物価上昇)との関係を見た。財政出動についてはもう少し材料はあるのだが、ここでは、その前に、大恐慌期の金融関連指標と景気回復の関係を見てみよう。

1   1930年代大恐慌の回復原因に関する「通説」の変遷

  ①  1930年代〜1980年代:ケインズ経済学が隆盛だった頃は、
                                        財政出動の成果と考えられていた。
  ②  1980年代〜2000年代:マネタリズム、新古典派経済学の隆盛とともに、
                                        財政政策の効果は否定され、
                                        FRBによる金融緩和の効果だったとするのが通説となった。

  ②の根拠は、第一にはマネタリズムである。 第二は(オバマ政権の2009年1月に経済財政諮問委員長に就任し2010年9月に退任した)クリスティーナ・ローマーらの大恐慌期の研究で、財政政策の有効性が小さいと結論づけられたことがある。

  これに対して、リチャード・クー氏は陰と陽の経済学」(2007)の150ページ図表3-6(あるいは「世界同時バランスシート不況」(2009)の114ページ図14)で《金融政策が有効だという根拠だった》1933年(最悪期)から1936年へのマネーサプライ増加は、ほぼ100%が政府債への投資の増加(財政出動のファイナンス分)に見合うもので、「民間貸出し」は全く回復していないことを明らかにした。 
   また、「重不況の経済学」でも紹介したように、上記の大恐慌研究の権威ローマーも、大統領経済財政諮問委員長就任直後の2009年3月の講演では、大恐慌の教訓として、「自分の研究が財政政策の効果がないと受け取られたのなら、それは違う。ただニューディール政策での財政出動の規模が小さかっただけ」であり、「財政政策については規模が小さいならば効果も小さい」と整理している。これは、財政出動の規模が大きいなら効果も大きいという主張を意味する。 実際、ローマーは、ローレンス・サマーズとともに、世界同時不況対策として、米国の大規模な財政出動を主導した(・・・もちろん、これは大恐慌期には財政出動の規模は小さすぎてその効果は小さかったと主張しているのではあるが)。

   なお、このほかに、理論的には変動相場制下の小国に関するマンデル・フレミング効果の問題があるが、これについては拙著重不況の経済学」でふれているので、後に回そう。

2 通説に反して金融緩和政策と大恐慌からの回復の間の因果関係はほとんど見えない

   クー氏は、上記著書の中で当時の米国銀行の資産運用先を、大恐慌前の1929年、大恐慌の底の1933年と回復後の1936年を比較することで、金融緩和政策には効果がなかったと考えられることを示している。
   ここでは、それをわかりやすく見るために、毎年の推移をグラフで見てみよう。図1は、米国の銀行(連邦準備制度加盟銀行全行)の資産運用先の推移である。

   まず総額の推移を見ると、金融政策が大恐慌脱出に効果があったとする通説に対応して、たしかに1933年を底に銀行資産は増加し1936年には大恐慌前の1929年の水準にまで回復している。通説は、金融政策によるマネーサプライの増加を反映した(この)変化が米経済の1933年から1936年の拡大過程と連動していると見られることから、恐慌からの脱出にはFRBによる金融緩和政策が有効だったと考えたのである。

   しかし、その内訳を見ると、こうした解釈は誤っているように見える。資産の運用先を具体的に見ると、1933年の底に比べると、1936年の貸付」と「民間向投資」(社債などの購入)はほとんど増えていない。逆に、政府向投資(米国債や財務省短期証券)と準備金(連邦準備制度への準備金積み増し)が増加しているのである。

   つまり、第一に、この間の全米の銀行の資産増加の大半は、政府財政出動による政府財政赤字のファイナンスに当てられていることがわかる(次いで準備金の増加)。
   また、第二に、貸付と民間向け投資が伸びていないというこの状況は、2000年代の日本の超金融緩和政策の効果と同じにみえる。同じことが大恐慌でも生じていたことになる。
図1なお、このグラフは「積上グラフ」:つまり 資産残高総額=茶部分+薄緑部分)

(図1及び図2のデータの出所は、"BANKING AND MONETARY STATISTICS 1914 -1941"THE BOARD OF GOVERNORS OF THE FEDERAL RESERVE SYSTEM,1943)

   参考までに、これをさらに詳しく分解したのが下のグラフ(図2)である。1933年から1936年間で停滞している項目は、貸付と民間向投資であり、伸びているのは政府向投資と準備金とその他であり、中でも政府向け投資の伸びが高いことがわかる。

   ただし、貸付は1936年にわずかながら伸びている。これがすべて金融緩和政策の効果(とてもそうは思えないが)だとしても、わずかな効果が出るまでには3年近く必要だとということになる。だが、この貸付の伸びは、当時のGNPの伸びを遙かに下回っている(下の下の図3参照)。

   なお、ルーズベルトは1936年までの景気回復を見て、1936-37年には財政出動の縮小、金融政策の引き締めを行った。この結果、米経済は再度の大不況に突入している。つまり、3年ですら引き締めには早すぎたのである。
   また、このグラフを見ると、1936年以降、「準備金」が変わらず伸びている一方で「政府向投資」が先行して減少している。「貸付」の減少は、『政府向投資」の減少から1年ほど遅れて発生している。したがって、1937-1938にかけての大不況発生の因果関係は、素直に見れば、財政出動の減少→実体経済の活動の減少→設備資金需要の減少→貸付の減少と考えるべきである。つまり、金融的原因ではなく政府の財政出動の縮小が再度の大不況の原因だったことは明らかである。
図2 



  もう一つ参考に、 次のグラフ(図3)はGNPの変化とマネーサプライ、銀行貸出の変化を示している。1930ー1933年の下降期では、マネーサプライはGNPの縮小に遅行している。また、1933年以降の拡大過程では、マネーサプライは概ね一致ないしは先行しているようにも見えるが、その実体は上記図2やこのグラフでわかるように、貸付が伸びていないのであるから、これは、銀行による政府活動のファイナンスに伴う、政府支出の増加を反映しているに過ぎなかったのである。 (24.5.23修正)
図3

   次のグラフ(図4)は、GNPの変化とマネーサプライや物価の変化を見たものである。これをみると,1930ー1933の経済の落ち込み局面では、WPI(卸売物価)が先行し、それに応じてGNPが落ち込んでいる。つまり、実体経済の落ち込みが先行し、金融経済を反映するマネーサプライ(M2)、それにCPI(消費者物価)の落ち込みは遅行している。
図4

3 日本のバブル崩壊後90年代における金融政策の有効性・・・(補足)

    さて、1930年代の大恐慌については、通説は金融政策の重要性と財政出動の効果を低く評価するものとなっている。これに対する疑問が、この頁のテーマであり「財政出動論」全体のテーマの一つである。
    そこで、次に、一つの傍証として日本の90年代のバブル崩壊後の金融政策の有効性がどうかをみてみよう。90年代初頭のバブル崩壊は、その後の日本の長期停滞の引き金となり、長期にわたるマイナスの物価変動など大恐慌に準ずるような大きな影響を日本経済に与えた。

    さて、この問題に関しては、バブル崩壊後に日本銀行が十分な金融緩和政策を取れば、物価変動のマイナスをはじめ経済に大きな影響を与える事態は避けられたという主張が、特に米国の金融専門家によって行われた。
    米国FRB(連邦準備制度理事会)は、グリーンスパン前議長時代からバーナンキ現議長時代に至るまで、資産価格の上昇は、それがバブルか正常な上昇なのかの判別が困難であること、またそれを適切に抑制することは困難であること、そして仮にバブルが発生したとしても、バブル崩壊後に十分な金融緩和政策をとれば経済への影響を小さくできると主張していた。つまり、「バブル対策は、バブル崩壊後にとればよい」と考えるのである。これがいわゆる Fed View である(これに対して、バブルについて事前の予防的対策を主張したのが欧州の中央銀行関係者で BIS View といわれる(BISはスイス/バーゼルに本部を置く国際決済銀行のこと)・・・(世界同時不況後は、当然、Fed Viewの旗色が悪くなっている)。

    Fed View のような金融政策運営方針が成り立つには、バブル崩壊後に必要十分な金融緩和政策をとれるかどうかが重要だが、それが可能だというのが Fed View の立場である。そして、その典型的な失敗例として、日本の90年代初頭のバブル崩壊から90年代を通じた日本銀行の金融緩和政策が不十分だったという点(主張)が取り上げられた。つまり、当時の日本銀行のように金融緩和政策が不十分でさえなければ、その後の日本のような長期の物価停滞・下落や成長率低下は避けられるというわけである。

    その論拠として、バーナンキらFRB首脳などにしばしば引用された研究が、以下で取り上げる(連邦準備制度のスタッフである)アハーン(A. Ahearne)ら(2002)の研究《注》である。彼らは、FRBのFRB/Global model という標準的なニューケインジアンモデルを使用し、政策(名目)金利を3つの時点で(実際の日銀よりも)2.5%分ずつ余分に引き下げたシミュレーションを行っている。その結果は次の図5の上のグラフのように、消費者物価上昇率を最大2%程度押し上げる効果があった。
    しかし、ここで注目すべきは、それがGDP成長率に与える影響である。図5の下のグラフのように、1994年に最大2%ポイント前後GDP成長率を押し上げられているが、それ以外の年次では、成長率の押し上げ効果はほとんど見えない。つまり、94年の効果も1、2年で消滅してしまう。・・・なお、1994年についても、このシミュレーションでは、バランスシート不況のメカニズム等が考慮されていないため、それを考慮すれば、同様の結果が出るかどうか疑問の余地がある。

図5
    この結果について、白川方明『現代の金融政策ー理論と実際ー』(2008) では、「この時期の日本経済を特色づけた最も重要な特徴、すなわち、資産価格の下落に伴う自己資本の大幅な毀損が経済に深刻な影響を与えたルートは組み込まれていない。」(P.409)と評している。
    また、翁邦雄『ポスト・マネタリズムの金融政策』(2011) でも、「日本、そしてその後米欧で経験する金融危機は、金融市場の機能低下および金融機関の萎縮が実体経済を支える機能を失うことによる。・・・アハーンらのシミュレーションでは、金融システム問題による金融政策の波及効果の弱まりは捨象されている。日本経済の資金循環は阻害されているが、金融政策効果だけはこれと無関係に、平時同様、経済に脈々と波及していくことが想定されている」(P.161) と評している。
    (日銀スタッフである)木村ら (2007) はこうした日銀出身の経済学者ないしはエコノミストの批判とほぼ同様の観点を折り込みつつ、日本経済の大型マクロモデルである JEM (Japanese Economic Model) を用いて確率シミュレーション分析を行っている。具体的には、1993年上期から95年上期にかけて名目短期金利を実績よりも最大でさらに1%引き下げた場合のシミュレーション結果が次の図6のグラフである。・・・なお、アハーンらのシミュレーションは四半期単位だが、木村らのそれは半年単位である。
    これをみても、やはり、図6の上のグラフにみるように物価に対しては小さいながら効果があると言えるものの、図6下のグラフを見るとGDP成長率にはほとんど効果がない結果となっている。

図6
    以上の結果は、経済モデルによるシミュレーションではある。しかし、(それらの経済モデルは、シミュレーションで現実の日本経済をうまく説明できるように構築され調整されている)上記のように異なる複数のモデルのいずれを使ったシミュレーションでも、緩和的な金融政策がGDP成長率を押し上げる効果は小さいという結果が出ているとは言える。

4 必要な財政出動と金融緩和のセット

   いずれにせよ、財政出動の効果を具体化するには、金利の上昇でクラウディングアウトや、マンデル=フレミング・モデル《注》が予想するような効果が生じないよう、財政出動と金融緩和政策はセットで行う必要がある。しかし、財政出動が主であって金融緩和政策は従だと考える
    そもそも、流動性の罠が生ずるような重い不況(拙著では「重不況」という)下では、容易には金利は上昇しない可能性が強い。金利の上昇は、流動性の罠からの脱却後の回復局面の後半(?)で生ずるだろう。
             注)単純な「マンデル=フレミング・モデル」:財政出動で景気が回復すると国内金利が上昇する。すると、
                 変動相場制下では、海外から資金が流入し(それは国内金利の上昇を打ち消す)、それは、自国通貨高を
                 招くから、純輸出が縮小(つまり総需要の縮小)して財政出動の効果を打ち消す。