2011年3月21日月曜日

危急の問題対応のためのマネジメントからみた組織論

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    23年3月11日(金)の大震災と津波災害を見ていて感じたこと。
    画面を見ていると壮絶です。そして、個々の人たちに目を移すと若い頃の数年間の仙台暮らしで知った朗らかな東北の人たちが、つらい現実に向き合っています。
    今は、一刻も早く東北の皆さんの元気が回復されることを祈ります。

    ここでは、この大事件に係わるマネジメントの問題を取り上げます。多少なりとも、今回の震災対応のお役に立つかもしれないと思うからです。仮に役に立たないとしても、一般的なせっぱつまった問題の解決に多少の参考になるかと思うからです。・・・ならないかもしれませんが。

1 問題状況=短時間で効果的かつ最善のマネジメントを行う必要がある状況
  複雑で大きな問題があり、しかもそれが生命の危険に係わるなどで、問題を短期間で解決せざるを得ないような危急のケースがある。今回の大震災の救援や、福島第一原発の震災・津波による問題などである。

    こうした危急の場合、その対応は、目の前の問題に集中されがちである。そしてその結果、それ以外の問題に対する認識や取り組みが視野の外になりがちである。それに気づかない状態が続くとそのうちのいくつかの問題が視野の外で大きくなって、突如問題が顕在化し、対応が後手に回ることが多い

   今回の大震災対応は全体として、適切に最善が尽くされていると考えるが、一部については、こうした問題が生じた可能性がある。

例1
    例えば、福島第一原発では、当初、対応にあたる各組織は当面の問題だった圧力容器内の温度上昇対策に専ら注力していたが、その一方ではその視野の外では使用済み燃料プールの温度上昇が起きていた。このため、後者のための対策、たとえば高所用消防車その他注水のための機器の手配、動員が多少後手になった可能性がある。
    注》もちろん、問題が認知され、対応が開始されれば、そのためのチームが作られ、
        対応がなされているはずである。

例2
    また、東北方面への主要道路に関して、大震災対応のための緊急車両のために、一般車両の高速道路利用を規制したことは適切なことだったと考えるが、燃料の輸送車も一般車両として規制されたため、燃料不足などの問題が生じた。

   こうしたとき、重要なのは、視野を外に広げる仕組みを持つことである
    もちろん、高い能力を持った視野の広い人材がいればよいと思うかもしれない。しかし、高い能力と視野があっても、眼前の危急の問題にとらわれてしまうことは避けられない。能力の高い人材も、その評価基準や価値観自体が眼前の問題が基準になってしまい、それ以外の問題は小さく評価されてしまう

    こうした問題への対応は、個人の能力に頼るのではなく組織・体制・制度で対応すべきだ(個人の能力に頼る対応はリスクが高すぎる)。こうした観点から第一次湾岸戦争の兵站・後方支援を担当したウィリアム・パゴニス中将の体験談を見てみよう。

2 ウィリアム・G・パゴニス『山・動く』1992
    この本は、1990年8月〜1991年にかけて行われた第一次湾岸戦争の後方支援司令部の活動を、その司令官だったパゴニス中将自身が描いたもので、危機管理、経営管理参考になるとして、当時高い評価を得た本である。私がこれまで読んできた本の中では、ベストテンに入るほど強い印象のあった書でもある(でもあります)。
    パゴニス,W.G.『山・動く』同文書院インターナショナル、1992・・・絶版ですが

    今回の大震災のプロセスを見ていて、この本のこと、その中で私が印象に強く残った点を思い出されたので、ここで紹介しよう(アマゾンの書評などには書かれていないことを書くことになると思います)。

(1)第一次湾岸戦争とは
    1990年8月2日に、サダム・フセイン治下のイラクが、突如クウェートに侵攻し、8月8日にはクウェートの併合を宣言した。このため、これを認めず、さらにイラクのサウジアラビアへの侵攻に対応するため、米国を中心とする多国籍軍が編成され、55万人の兵員、700万トンの物資、13万台の車両がサウジアラビアなどに急速に送り込まれ、1991年2月23日には、多国籍軍がクウェートの奪回に向けてイラクに侵攻し、イラク軍を圧倒した。
   注》世界は、サダム・フセイン政権が打倒されるものと考えたが、当時の米国の
       ジョージ・H・W・ブッシュ大統領(いわゆるパパ・ブッシュ)は、イラクの
      クウェート侵攻前の状態を回復後(開戦から100時間後)に一方的に停戦を宣言
      して戦争は終了した。
          専制的なサダム・フセイン政権は、この敗北で内部から倒れるとも思われた
       が、持ちこたえ、息子のジョージ・W・ブッシュ大統領が2003年3月にイラク
       侵攻(これをイラク戦争又は第二次湾岸戦争という)を行うまで存続すること
       になった。

(2)『山・動く』のストーリー(概要)
   開戦当初の8月8日に、パゴニス少将(その後、湾岸戦争開始直前に昇進して中将)は、後方支援(兵站あるいは補給)の専門家として、現地軍とサウジアラビア政府の間の輸送面の調整と派遣軍司令部に助言することを目的にサウジアラビアに派遣された。

   ところが、当時は、イラク軍のサウジ侵攻の危険が高まっているという危機感から戦闘部隊の輸送が優先され補給部隊や(補給部隊の調整、管理、統制を行う)後方支援司令部ユニットの輸送が後回しにされたため、戦闘部隊や戦闘車両は続々とサウジアラビアに到着し陸揚げされるにもかかわらず、それを輸送する輸送車両、輸送部隊も少なく、燃料、食料、弾薬などの物資の部隊への補給が遅れ、現地は混乱状態にあった。このため、独自の介入に乗り出したのがスタート。

   彼は(不完全に)漠然と委任された権限を元に、現地に到着する他の部隊から必要な要員を半強制的に集め(現地徴兵していると言われたそう)、実質的な後方支援司令部を編成し、輸送の混乱を調整、収拾していったというのが物語の大筋である(この結果、本来、計画上派遣されることが予定されていた正式な後方支援司令部ユニットの派遣は中止された・・・柔軟な米国らしい・・・注》)。
        注》米国では、こうしたことは比較的よく見られる。例えば、戦後、CIAは、
            米国の情報部門の中心となったが、当初は、競合する組織が外にもあった。
            CIAはその競争を勝ち抜いて現在の地位を得たのである。米国では、行政
            機関にも競争がある
               日本では、様々な組織に関して、重複の無駄を避けて効率化するという理
            由で、組織を統合したり、新たな組織を設置するとき、最初から1本に絞る
             ことが多い。
                 ところが、その結果、統合された組織には、必ずしも適任とは言えない
            トップの下に、官僚的・お役所的な組織ができる場合が少なくない。
                行政改革では、重複が非効率だと言われ、効率のために組織を統合すべき
            などとお決まりのように言われることが多い。
                 しかし、市場競争を考えればわかるように、市場の仕組みは、同じ商品を
             持つ企業が競争することが前提になっている。つまり、市場システムは組織
             の「重複」を前提にしているのである。
                効率化のために重複を廃し、同じ製品を生産する企業を絞った社会主義
             ステは、複数の企業が同じ製品を生産するという点で「無駄な」はずの市
             場システムに効率性で負けたのである。
                 行政改革も、十年一日のように「組織の統合」を唱えるのではなく、競争
             うまく導入した仕組みを考えるべきだと思うのだが。

    このように続々と増員され、サウジアラビアのイラク国境に並行に配備され展開していった多国籍軍に、短期間に物資(燃料、弾薬、車両、戦闘資材、テント、兵舎、トイレ、調理器材、居住資材、水、食料、生活資材、事務機材等々)や人員を過不足なく輸送し(多国籍軍の急速な作戦配備、展開に応じて、補給する先も大きく変動していった)また、イラク国内への侵攻時の補給のための物資の集積と輸送計画を策定し、そのための準備を行うなどのためにいくつかの工夫を行っている。

    実際、当時は、こうした55万もの大軍が米国を遠く離れた湾岸地域に送られ、必要な機材や弾薬が十分に配備され、作戦正面に急速に戦闘配備につき、さらに開戦と同時に、高速度でイラク領内に侵攻できたことには《軍事関係者にとっても》非常な驚きがあった

   通常、正面の敵を圧倒、突破し、敵のエリア後方に深く侵入しても、数十キロも進むと燃料その他の補給を待つために停止せざるを得ない。敵は、その時間を利用して態勢の立て直しを行う余裕が得られる。ところが湾岸戦争では、多国籍軍は、ほとんど停止することなくイラク領内に深く進入できたのである。この結果、イラク軍は、ほとんど有効な反撃を行えないまま敗北していった。これが多国籍軍側の損害が極めて小さかった主な理由の一つである。
  湾岸戦争の成功は、補給・輸送の成功の貢献が極めて大きかったとも言える。

    ここでは、こうした多国籍軍の展開と侵攻を支えるためにパゴニスが採った方法を重要だと考える順に2点取り上げる。

(3)その1:「当面の後方支援」司令部から「中長期を考える組織」を分離したこと
    「われわれが2つの異なった性質の課題に直面していること、またそれに対処するにはそれぞれ別の組織が必要なことがすぐに明らかになった。一方で、当面する問題を短期間で素早く解決していく必要があった。・・・・しかし、いかなる不測の事態にも対処できるように・・・前向きの計画を立てられるような、危機を一歩引いたところから眺められる組織が必要だった。」 『山・動く』152ページ
   このため、パゴニスは、『後方支援作戦本部』とは別に『後方支援支部』という小規模な組織を設置した。後者は一種のシンクタンクでもあり、将来発生することになるだろう問題について情報を収集し、不測の事態や将来の計画の立案に当たった。

   つまり、1)当面の問題に迅速に対応するための組織と、2)全体を俯瞰し中長期を検討する組織の2つである。
    なぜ、分離すべきかといえば、価値観が異なるからだ。前者では当面の問題が最優先される。そうしたところに後者の職務を果たすチームを入れて、そのチームが何がしかの提案・提言をしても評価されない。

   前者では、当面の問題を効率的に迅速に片付けることが期待されているが、後者では当面の現実から離れて長期的にあるいは高い視点から情報収集し論理的に検討して対策を考えていく。前者の視点からすれば、後者の仕事は悠長に見えるようなものになってしまう。「長期あるいは広い視野で方向を定める部門」と「当面の問題を片付けることが中心の部門」は相容れない。                            

    部門が一つだけだと、その部門は、必ず『当面の問題を片付ける部門』になってしまう。そこからは、長期的な視点や高い視点から俯瞰して組織全体の方向を見出すようなものは出てこない。
   トップは、このように明確に機能を分けた2つの部門を置いて、その双方を使いこなしていくべきなのだ。

   もちろん、前者(当面部門)が例えば数百人いるとすれば、後者(長期部門)は数人でよい。
    注》多くの企業や行政組織で、企画部門には、本来は後者の役割が期待されてい
           るのである。ところが、それを理解していないトップは、企画部門を機動的で
           便利な「当面部門」として使っているために、長期部門として機能していない
           企画部門が少なくない。

   上記の1の「例1」で、当面の「圧力容器」問題を担当する主力部隊の外に、もう一つ数人でよいから他の問題の発生の可能性とその対策を先行して考える小さな部隊多分、数人程度)を設置すればよかったのではないかというのが教訓である。結果論に近いとも言えるし、実際設置されていたのかもしれないが。

(2)その2:前線情報収集のための「ジャンプ指揮所」と前線本部の設置
   広範囲に分散する後方支援部隊の活動とその目標を調整し指導するために、移動して指導する「ジャンプ指揮所」を設置した。これは、広大な地域に分散して行われている後方支援活動の状況に対する目、耳ともなった。

   また、船からの補給受け入れ拠点の港湾都市ダーランに設置された司令部のほかに、同一の機能を持つ前進本部をイラク国境に向けて展開している多国籍軍の背後に設置している。

   これは、別の目的もあり、そのままということではないが、東北地方の太平洋側全域にまたがる広大な地域の大震災支援活動を行うための随時の情報収集にとって参考にはなるだろう。
・・・つまり、物資や各種支援サービスの過不足情報や問題点の情報を常時収集し、それによって、刻々変化する非支援者、非支援地域の状況に応じて支援の対応を変化させていくために、情報収集は不可欠である。このためには、そうした情報を各自治体から上げられる情報だけでなく、それと同時に、ある程度自ら情報を収集するために「前進本部」が必要だとも考えられる。

2011年3月10日木曜日

財政出動論16 構造改革は日本の停滞を解決しない

関連:財政出動論15《財政赤字の基礎=貯蓄》 拙著「重不況の経済学
            その他1〜9目次                       ・・・《このブログ全体の目次

    いまでも、日本の構造改革を主張する人たちがいるので、念のために少し整理してみよう。

1 構造改革の中核的な理論家たちは既に退出した

▲構造改革の根拠 となっていた諸仮説はほぼ実証されなかったからだ

    1990年代末にhayashi & Prescot によって(RBC理論に基づいて)日本の1990年代の長期停滞・成長率低下の原因生産性上昇率の低下(+労働時間の短縮)にあるという仮説が提出され、それは当時の日本の停滞をよく説明するように見えた。
    そして、その生産性上昇率の低下を説明する仮説として、労働市場の歪み(で、成長分野に人材が移動できないという)仮説金融市場の歪み(で、ゾンビ企業が人材と資金を吸収して成長分野に人材や資金が移動しないという(ゾンビ企業仮説を含む))仮説が提唱された。

    それらは当時の日本の停滞をよく説明するように見えたため、そうした市場の歪みを是正する「構造改革」が必要だとされ、小泉内閣で構造改革が実施された。

    ところが、その後、これらの仮説は、仮説提案者達自身を含む客観的な実証研究によって、ほとんど説明力がないことが証明されたし、それに替わる新たな仮説の提示もされなかった。

    また、経済面でも小泉政権期の「構造改革」期間中に日本の成長率がまったく上昇せず、一人当たりGDPの順位にいたっては、小泉政権6年の間に、OECD諸国中で3位から19位まで一直線に低下した。理論面でも政策面でも、構造改革は実証されなかったのである。

    以上は、拙著「重不況の経済学」第1章で紹介した。このうち諸仮説の実証結果については、林文夫編[2007]『経済停滞の原因と制度』〈経済制度の実証分析と設計 第1,勁草書房 を中心に紹介している)

2 今構造改革を主張している人は事情を知らない追随者たち?
    したがって、日本のマクロ経済学者で、当初、構造改革の必要性についての理論的基礎を提示していた理論経済学者たちのほとんどは、この問題からはすでに実質的に撤退している。成果が出なかったのだから、そのことを大々的に宣伝して撤退するわけもない。

   見識のある経済学者たちはひっそり退出したので、構造改革の追随者たちには、それを知らない人が多い。いつのまにか「はしご」が外されているのに知らないままなのである。・・・いま構造改革を主張している人たちは、理論的根拠がなくなっていることを知らないまま主張している・・・と思うのだが。

   なお、これは、「日本の長期停滞の原因、解決策」に関する限りにおいてである。供給に問題を抱える米国、ギリシャ、開発途上国などでは、供給側の問題を解決するために、構造改革は有効だろう。これは《構造改革論13(構造改革が必要なのは米国だ)》で論じた。

3 成長率の低下は断層的に急激に生じている

    付け足しだが、日本の停滞が構造的な問題ではないことを簡単に別の側面から見てみよう。

日本の成長率低下は連続的に徐々に生じたのではなく断層的に急激に生じている

   のグラフ(図1)を見れば一目瞭然だが、日本の長期停滞つまり成長率の低下は徐々に連続的に生じたのではない急激に断層的に生じている。変化は急激なのだ。

▲市場の歪みがこんなに急速に変化するはずがない

    こうした急速な変化が、構造的な市場の歪みによっては生じ得ないことは明らかだ。生じるとすれば、市場の歪みが短期間に急速に大きくなったことになるが、それはあり得ないことだろう。
    仮に、「歪みが急速に起きたとする」なら、その急速な歪みの原因を明らかにすべきだ。仮にそうした原因が存在するとしても、それは歪み論の外にあるだろう。当然、それは構造的な問題ではあり得ない。

    ちなみに、この急速な変動の原因は、1991〜92年頃のバブルの崩壊だと見るのが自然だろう。
                 注》ついでながら、1970年代前半の成長率の急低下は、1971年のニクソンショックないしは1974年の第
                      1次オイルショックと関連があると考えるのが自然だ。

   要するに、実証以前に、常識さえあれば、日本の成長率の低下(長期停滞)が構造的な問題によるものでないことは一見して明らかだったように思える。
図1
出所: 社会実情データ図録 http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4400.htmlÅ   (矢印を加筆)

    ちなみに、1998年の落ち込みは、橋本財政改革による財政出動削減によるものと考えられるし、2001年の落ち込みは、小泉構造改革当初の財政出動削減(方針の提示)に係わるものと考えられる・・・・。

   …もっとも1990年代末で見ると下のグラフ(図2)のように、2000年以降の変化が見えなかったわけだから、成長率は「赤のトレンド線」のように変化しているように見えたかもしれない。とすれば「常識があれば」という上記の表現は少し言い過ぎかもしれない。しかし、この赤線の傾きも急激に過ぎることには変わりはない。
図2


2011年3月6日日曜日

財政出動論15 財政赤字問題の基礎=貯蓄問題

関連:財出16《構造改革》  12《リカード中立命題》 7《財政赤字の持続可能性》
 拙著「重不況の経済学」 その他1〜9目次                        このブログ全体の目次


    政府の財政赤字に対する議論は多いが、「財政赤字がなぜ生じるか」について、初歩的なことがわかっていない議論が多い。辛坊治郎氏の一連の本は、そのように見えるし、《財政出動論7(財政赤字・累積債務の持続可能性)》で取り上げた相沢幸悦・中沢浩志両氏の本でもそうだ。また、同じく財政出動論7でふれた榊原英資氏もひょっとしてそうかもしれない。大前研一氏の見方もそのようにみえる(『大前研一の新しい資本主義の論点』の「はじめに」を読む限り)。・・・と書くとまさに蟷螂の斧だけど・・・。

■不況とは「貯蓄」が十分に使われない状況のことだ
    いまさらという気もするのだが・・・整理してみよう。

   これは「誰かが収入の一部を消費せず貯蓄するなら、別の誰かが、その全額を借り入れて、その全額を使わないと経済は正常に回らない。」という問題に関わる。

1 簡単なセイ法則の理解
    セイ法則については、すでに財政出動論7同12《リカード中立命題》などで書いてきた。ここでも、この問題に必要な範囲で簡単におさらいをしよう。

    問題は、企業が製品を生産する場合に、家計などがその製品を買うためのお金はどこから来るのかという点にかかわる。

(1)単純なモデルで
    簡単にするために、この消費のために貯蓄は使えないとしよう。同様に簡単にするために、政府も貿易もないとしよう。

    すると、家計が企業の生産物を買うには収入が必要だが、その収入は企業から得るしかないことがわかるだろう。企業と家計の関係をみると、まず家計は企業に生産のための労働力を提供して賃金を得る。また、家計は企業への出資に対して、その株主として配当を受け取る。また、企業が生産するために資金を(銀行を通じて)貸して利息を受け取る。

   家計は、こうして受け取った賃金、配当、利息の合計所得を限度として、企業から生産物を購入できる。逆に(当然ながら)受け取った額(=所得)以上を企業に支払うことはできない

   つまり、企業の売上げ総額は、企業が家計に支払った額と一致する。これがセイ法則である(あるいは、その一側面である)。

   だから、企業の生産という「供給」活動が「需要」を決定するとも言えるわけだ。

(2)家計が全部を使わず貯蓄する場合
   しかし、現実には、家計は、その全額を消費せず、一部を貯蓄することが多い。こうした貯蓄という要素を入れる場合に、設備投資という要素を入れて考えるのが現実的だ。

   貯蓄された分は消費に使われないから、その分家計が買う生産物は少ない。しかし、そもそも、企業は消費財を生産するために、設備を増設したり、効率化するための設備投資を行う必要がある。企業は、競争力を維持するために、あるいはもっと儲けるために、資金さえあれば常に設備投資をしたい、そのためにはお金を借りたいと考えているとする。すると、結局、企業は、家計が貯蓄したお金を全額借りて設備投資を行うことになる
   設備投資では、消費財ではないが、やはり別の企業が生産する生産物(生産のための機械などの生産財)が調達される。したがって、各企業は,家計の消費ニーズ企業の設備投資ニーズにちょうど合うような比率で消費財生産財を生産すれば、各企業が生産した各生産物はすべて売れるわけだ。

    このように、やはり、セイ法則が成り立つ場合が考えられる。

(3)セイ法則が部分的に成り立たない場合
    しかし、一般に、経済学者の多くは、現実の経済ではセイ法則が常に成り立つとは考えていない。少なくとも短期では成り立たないと考えられている。

   では仮にセイ法則が成り立たないとどうなるだろうか。
   生産物の購入にまわる資金が少なければ、生産物は売れなくなり企業は窮する。不況である。
   逆に、生産物の購入に回る資金が増えれば景気過熱である。資金が増えるとは、例えば過去の貯蓄を取り崩すことでもよいし、海外から借りても良いし《=資本収支黒字=経常収支赤字》、政府・日銀が紙幣を少し余計に発行しても良いし、銀行から借りても良い。銀行には信用創造機能があって銀行の預金残高以上に貸すことも出来る。信用創造とは要するに二重貸しである。

        注》銀行がいくらでも信用創造できるのであれば、政府・日銀が銀
            さえコントロールすれば、貸出を増やして景気調節ができる?
            考えられるかもしれない。
                たしかに仮に、企業の設備資金需要が常に高いなら、銀行が貸出
            の蛇口を緩めれば、いくらでも貸出は増えて設備投資が増加し、そ
            れが生産財需要を作り総需要が拡大する。
                 だが、現実には、借り手側の「企業が借りたくない」場合があり
             うる。例えば、売上げの将来見通しが低い場合、設備投資のリスク
             が高いと企業が考える場合などだ。こうした場合には、設備投資を
             定するのは金融側の事情ではなく、実体経済企業の側である。
                 しかし、実は、現代経済学では、「企業には常に旺盛な資金需要
              がある」という前提で理論が組み立てられていることが多い(そう
              した前提で組み立てられた理論が現在の状況を適切に説明できない
              のも当然だろう)。
                 一つの側面を図1で見てみよう。これは、金融機関の預金残高と
             貸出残高の比率を示す「預貸率」の長期推移を示したグラフである。
                 ここでは、預金と貸出の推移を見て欲しい。1990年代初頭までは、
             預金と貸出はほぼ連動して変化していた。現代の標準的経済学は、
             こうした関係を前提に構築されている。実証が、こうした状況を対
             象に行われていれば、それが「正しい」という結論が出るのも当然
             だろう。ここでは、金融政策は有効だ。
                 ところがバブル崩壊後の日本では、それ以後、預金と貸出の連動
             が失われたのである。預金残高が増えているのに、貸出は伸びず、
             むしろ減っている。負の相関といってもいいだろう。拙著『重不
             況の経済学』では、こうした状況を『重不況』といっている。そこ
             では、1990年までのように軽い景気循環では生じない現象が生じる。
       図1
                                                                               (資料出所:内閣府『日本経済2007-2008』に赤矢印を加筆)

   さて、ニューケインジアン的な見方で言えば、セイ法則が破れる原因として考えられているのは、摩擦のようなものだ。例えば需要減少や増加などの認識に時間がかかって企業の対応が遅れたり、価格が硬直的で市場による調整に時間がかかりすぎたりというものだ。・・・これらは、実は、「供給側の問題」であることに注意しよう。(だから、ニューケインジアンも市場の改革などの構造改革を支持する傾向がある。)
    これらは、軽い不況では機能している。しかし、大恐慌のような「激しい」不況あるいは日本の長期停滞のような「長期」にわたる重い不況(重不況と定義)では、(これに加えて)「多数の」企業の将来の需要見通しが斉一的に低くなったりリスク回避マインドが斉一的に高まるということがセイ法則の破れのより大きな原因になると考える。これらは、資金市場においては、資金の「需要側」の問題であることに注意して欲しい。(しかし、金融政策を重視する立場の人々は、資金を「供給する側」の金融機関を(常に)問題にする傾向がある。)

   こうなると、貯蓄された資金を企業は十分に借りて使わないため、生産財の需要は減少し、企業は生産物の売れ残りに直面する。この結果、企業が、設備投資を抑制し(貯蓄された資金の全額を借りてくれなければ)、総需要は不足することになる。

   以上を踏まえて、政府の財政赤字を考えよう。

2 需要不足をなくすためには、貯蓄全額が借出され、消費・投資に使われる必要あり
   上記からわかることは、「需要不足がないようにするには、貯蓄全額が借り出され消費又は設備投資に使われなければならない」ことだ。

   一部でも使われないとき、生産物は売れ残り、経済は縮小スパイラルに陥る。そうならないためには、誰かが借りて使うしかない

    経済主体は、大きくは家計、企業、政府、海外の4つがある。ある年度の「収入」(左辺)に対する使い道(右辺)を見ると、つぎのように書ける。
  「家計」収入 = 家計の消費・住宅投資への支出 + 家計の貯蓄増
  「企業」収入 = 企業の消費・設備投資への支出 + 企業の貯蓄増
  「政府」収入 = 政府の消費・政府投資への支出 + 政府貯蓄増(=▲国債)
  「海外」純収入= 海外純消費(純輸出)への支出 + 海外純貯蓄増(=▲海外債権)

    左辺、右辺それぞれ合計すると
      {「家計」収入+「企業」収入+「政府」収入+「海外」純収入}
           = GDP + {家計の貯蓄増+企業の貯蓄増+政府貯蓄増+海外純貯蓄増}

        注》なお、「家計の消費・住宅投資への支出+企業の・・・・=GDP」 である。

     ここで、左辺の収入の合計とは(裏返してみると)生産者(企業等)が(広い意味のコストの対価として)家計(などの経済主体)に支払った額の合計と等しく、右辺のうちのGDPとは生産者が生産物販売の対価として受け取る額に等しい。
     需要不足がない状態とは、左辺の収入の合計とGDPが一致することだから(そうでないと、生産者の支払額と受取額に差が生じる。GDP側が少ないと生産者は赤字だ)、右辺第2項の{ }内の合計はゼロでなければならない。 つまり、
         {家計の貯蓄増+企業の貯蓄増+政府貯蓄増+海外純貯蓄増}=0 ・・(ア)式
である。

    この(ア)式を、日本の現状に合わせてわかりやすく書き直せば
    家計貯蓄の増加 + 企業貯蓄の増加 ー 政府財政赤字 ー 経常収支黒字 =0 つまり
    家計貯蓄の増加 + 企業貯蓄の増加 = 政府財政赤字 + 経常収支黒字 ・・・(イ)式

となる。これが、セイ法則が完全に成立する条件、つまり景気が順調であるための条件である。

    つまり、日本は現在、
    ① 家計貯蓄=プラス(増加)
    ② 企業貯蓄=プラス(増加)
    ③ 海外貯蓄=マイナス(資本収支赤字=経常収支黒字)
    ④ 政府貯蓄=マイナス(財政赤字)
である。

   これらのうち①②は、それぞれ簡単には縮小できないし、仮に方法があっても時間がかかる。これにもっとも効果が高いのは、実際に企業の売上げが改善し、将来の売上げ見通しが高くなったり、現実に失業率が低下し雇用不安が解消することである。

    いわゆるリフレ政策は、こうしたマインドの改善を誘導するために金融緩和政策を用いるべきとする。しかし、それがどのように働いてマインドを改善できるのかは不明である。たとえば、リフレ政策の結果、デフレからインフレになったとして、物価上昇分だけは計算上の売上げが増加するが、「売上げ数量は増えていないから、企業は増産のための「設備投資」の必要を認めないし、雇用の増加の必要も感じないつまりインフレ自体は(多分、インフレ期待の上昇も)、(イ)式を改善しない。必要なのは実質成長で数量が増えることだ。ここでは、価格上昇は、それが数量増加につながってはじめて意味がある。リフレ政策では、今のところ、そのルートがよく見えない。
    結局、それに効果がある政策として有力なのは、下記の「輸出立国政策」か「財政出動」のどれかではないかと思える。

  注)(リフレ政策の効果に係わる)金融政策の効果を、90年代から00年代前半
         の企業の銀行借入と設備投資の関係で見てみよう。すると、下の図のように、
        両者はほぼ無関係であるというしかない(例えば93年の銀行借入の山と97年
        の設備投資の山は、関係があるようにみえなくもないが、余りにも時期(4年
        近い)が離れすぎている(一般に、金融政策が実体経済に効果を現すラグは
        1年〜 1年半とされている)。また、98年には設備投資が大きく落ち込んだに
        もかかわらず銀行借入にはそれにかかわる変動が見えない。つまり無関係と
        いうしかない)。
      しかも、むしろ、91-92年や01-04年あたりを見ると銀行借入は設備投資の変
  化に遅れて生じているように見える。素直に解釈すれば、銀行借入の増加が設
        備投資の変化を引き起こしたのではなく、設備投資を増やしはじめた後、必要
        に応じて銀行借入が行われているのだ。
                   貞廣彰『戦後日本のマクロ経済分析』2005から又引き
           一方、(例えば)企業の「経常利益」との関係を下のグラフで見ると、「銀
        行借入」との関係とは異なって、相関が高い。しかも、まず経常利益が変化し、
  その後に設備投資が増加するという前後関係が明らかである。これは、企業が、
  現実に利益が出始めてから設備投資に着手していることを示している。
      この間、特に物価が大きく上昇した訳ではないから、経常利益上昇の原因は、
  販売数量が増えて生産が増加したために、遊休化していた生産設備や労働力の稼
  働率が上昇し、設備や労働力の効率性が上昇したことによると考えられる。稼働
        率が上昇すれば、既存の生産能力の限界に達しつつあるのが見えるから、将来的
        に不足する生産能力を増強するために、設備投資が追加されるのである。(重い
        長期不況でリスクを重視するようになった状況下の)企業は、基本的には、既存
        の生産能力では生産が間に合わなくなる見通しが生じてから(そうした状況は経
        常利益の増加に反映される)、生産能力の増強(つまり設備投資や雇用の拡大)
        に転じるのである。単に金融緩和で手元資金が潤沢になれば自動的に設備投資を
        増やすというものではない(ちなみに、資金がありさえすれば、無条件に、売上
  見通しに無関係に設備投資をしてしまうような経営者は失格である。金融政策の
        過度の信奉者は、このような失格経営者を典型的経営者として想定していること
        になる(しかもそれが「合理的な経済人」だと考えられていることになる))。
                     出所:貞廣彰『戦後日本のマクロ経済分析』2005

(再び本論に戻ると)
   一方、③を大きくして①と②の合計とバランスさせれば、政府赤字はゼロになる。これが、輸出立国政策である。ただし、少なくとも、日本の現状ではこれは不十分である。日本では東アジアへの輸出の伸びが期待されているし、重要なことだ。しかし、国際的には、こうした政策が「グローバル・インバランス」を生み、今回の世界同時不況を生んだとされる。したがって、将来的には、こうした政策は縮小されざるを得ないとも考えられる。

 それで足りない場合は、政府の財政出動が必要になる。つまり、
    ④ 政府の貯蓄=マイナス(政府財政の赤字)
である。

    これを踏まえて、拙著「重不況の経済学」や財政出動7でも取り上げた次の図2をみてほしい。この図で、資金余剰とは簡単に言えば貯蓄増資金不足とは借入増と考えればよい(なお、おおむね上下のプラス分とマイナス分を足せばゼロになるように作られている。また、これはストック(蓄積量)ではなく毎年の増加量または減少量(フロー)を表している点に注意)。

    ここで、特に1998年以降を見ると、家計の貯蓄(の増加幅)は縮小しているが、一般企業(非金融法人企業)の資金は『不足』から『余剰』に転換している。設備投資は小さいままなのに企業は資金余剰なのだ。
    これは、上記図1の、銀行等の預金残高が増えているのに、企業への貸出が増えていないことと整合的だ(企業の資金余剰が増加しているのに、企業への貸出が増えるわけがない)。
    こうした状況下では、家計も企業もお金を使わず(→需要が減少し)貯蓄を増やしているだけだから、政府が、使われない貯蓄を国債発行で借り入れて支出し、需要を維持している。つまり、政府の財政赤字は、日本経済がなんとか存続していくための必須条件となっている。

     図2

3 以上から何が言えるか
(1)家計と企業の貯蓄が不況で増加し続ける限り国債消化資金が枯渇することはない
   これは、財政出動論7《財政赤字の持続可能性》で述べたことだ。仮に不況から回復し、設備投資が増えれば、景気対策のための政府赤字の役割は低下するから、国債発行の必要は低下する。また、回復で税収が増加するから、自動的に国債発行の必要もなくなる。

    つまり、国債を消化するための資金は、過去の貯蓄による貯蓄残高の総額《ストック》で決まるのではなく、毎年の貯蓄増加分《フロー》の中から出てくるのである。このように理解すると、冒頭でふれたような相沢幸悦・中沢浩志両氏らの議論が成り立たないことは明らかだろう。

(2)政府赤字がゼロになる条件
    政府赤字がゼロになるには(イ)式右辺が、
   「家計貯蓄の増加+企業貯蓄の増加ー経常収支黒字」=0になる必要がある。
とすると、

① 0でないのに、直接的財政再建によって左辺の政府赤字を0にしたら
    経済は縮小スパイラルに陥る。

    これこそまさに橋本財政改革で起こったことだ。(実際は、なりかけたので、あわてて大規模な財政出動をしたために回復した。しかし、改革以前よりも赤字幅は大幅に拡大した。→《財政出動論4(橋本財政改革)参照)

② 過去20年の財政出動(財政赤字)が十分だったかどうかは簡単にはわからない。
    しかし、20年間の日本経済の停滞は、それが常に不十分だったことを示していると考える。

③ もちろん、純輸出が増えても良い(→経常収支黒字の増)
    2004〜2007年頃の「実感なき景気拡大」は純輸出(=輸出ー輸入)の拡大によって生じた。特に輸出企業が、輸出向け製品用の生産設備の設備投資を拡大したので、景気にはさらに「プラスの影響を与えた。

    しかし、小泉政権では、景気回復によって増加した税の増収分をほぼそのまま財政赤字の解消つまり国債発行の削減に振り向けたため、総需要は(政府財政出動の縮小で)回復前とそれほど変わらず、長期にわたり景気回復は「実感のない」ままに止まった

④ 財政出動の中でも減税は、一般に家計貯蓄や企業貯蓄の増加をもたらすだけだ。
    上記のように、《設備投資が増えない状況では》「貯蓄の増加」=「需要の減少」を意味するのだから、家計や企業の貯蓄が増えても」景気はまったく回復しない。それどころか貯蓄が増えると、不況が重くなるか不況の期間が延びるだけである。

    財政出動を減税に使う場合、「特に」家計に依然として強い雇用不安があり企業の売上げの将来見通しが悲観的なままという状況下にあるなら、減税(による可処分所得の増加や税引後利益の増加)は、そっくり家計貯蓄や企業貯蓄の増加につながるだけで(イ)式右辺の縮小にならない
    具体的には、企業減税で企業の税引後利益が増えても、売上げが上昇したわけではないから、将来の売上げ見通しが上昇するわけではない。したがって、設備投資を増やす理由がない。利益は、設備投資にはまわらず企業の貯蓄に積み増されるだけだ。
   また、家計の減税で労働者の可処分所得が増えても、勤め先に仕事がないなら、雇用不安は変わらないから、消費を増やす理由にはならない。可処分所得の増加は家計の貯蓄を増やすだけだ。これは、いわゆるバラマキ的各種交付金についても同様の傾向がある。
    つまり減税等は、景気回復という政策目的に照らせば、財政赤字を無意味に増加させるだけである。軽不況下とは異なって、特に重不況下では効果は弱い。

    ・・・・しかし、多少は、消費や設備投資には回るだろう。ないよりはましである。

    また、家計への減税等については、低所得者層への減税や直接交付金は、消費に回る割合がかなり高い。景気対策としては低所得者層に対する減税や交付金は意味がある
    一方、今の状況下では、景気対策としての高所得者層への減税や交付金にはまったく意味がない。ほとんどが貯蓄に回されるだけである。
    また、企業減税で意味があるのは、国内での設備投資に対する減税のように、国内での消費や投資が直接特定できるものに対するものである。一般的な法人税率の引き下げにはほとんど意味はない。

⑤ 財政出動で政府消費や公共投資を増やせば、それは直接企業や家計を直ちに潤す
   企業に発注があれば、生産設備の稼働率は上昇し、遊んでいた労働力が動き出す原材料の発注が関連企業を通じて多様な分野に及んでいく。現実に企業の売上げが上昇するから、それは売上げの将来見通しに影響を与える。現実に仕事があるから、労働者の雇用不安は解消される。