2012年1月11日水曜日

財政出動論22 貨幣流通速度と不況期資金余剰

長いので・・・取りあえずグラフや表(14枚あります)でも眺めていただければ・・・
   改訂  27.2.27 頁の中段に米国の貨幣流通速度と不況との関係を示すグラフとその説明を追加
              24.1.18タイトル修正。24.2.19に3(2)に「リフレ政策」について付言。24.5.31後半部で追加
              24.6.26微修正。24.9.27微修正。26.4.10貨幣流通速度は景気判断の指標の一つとしても使えると
              いう短い注を追加                                                    ブログ全体の目次》   
    この頁をベースに新著日本国債のパラドックスと財政出動の経済学』(新評論。平成25年10月10日刊。 →→紹介ver.2紹介ver.1アマゾンを出版しました。

1 はじめに(不況期の資金余剰を考える意義)

    財政出動は資金を必要とする。各国は世界同時不況直後の大規模な財政出動によって、累積債務が積み上がり政府累積債務の持続可能性に対する懸念が増大し、その結果としてヨーロッパ各国を中心に政府は財政緊縮政策を選択するようになった。米国や日本もそれに追随している。
    そして、それが原因となって、再び世界各地で同時に景気後退が始まっているように見え、このままでは新たな大規模な世界同時不況が避けられないようにも見える。
    こうした観点から、問題となるのは、景気後退期の財政出動資金調達のための国債発行問題である。マンデル・フレミングモデルでは、政府が財政資金を調達するために国債を発行すると、民間資金需要と競合して金利に上昇傾向が生じ、海外資金が流入して自国通貨高となり、これによる純輸出の減少が財政出動の効果を相殺するとされる。しかし、このモデルは、好況期と不況期の環境の差を区別していない。好況期には明らかに民間の資金需要が強いから、こうしたことが起きるだろうことは予想できる。しかし、問題は「不況期に」民間の資金需要がどうなるかである

◎不況期の資金需給がどうなるかを考える意味
                                                                                     
    拙著「重不況の経済学」では次のように考えている。経済が順調なときには、セイ法則が成立し、生産のために賃金や配当、借入金利子として企業から家計に支払われたお金を使って、家計は企業が生産した製品を買う。家計の収入の一部は預金されるが、それも企業が生産設備への投資のために借り出して設備投資を行うので、これも設備を生産する企業の製品が買われる。このようにして、生産コストとして企業が家計に支払ったお金は全額が企業に還流し、生産された製品も全部売れる。これがセイ法則が成立している順調な経済である。こうした状況で、政府が国債を増発すれば、民間の資金需要との競合が生じることでマンデル・フレミング効果が生ずることになる。

    ところが、不況では、製品の一部に売れ残りが生じ、企業は赤字となる。また、価格を維持するために自ら行う生産調整や、市場の価格調整(価格低下)によって企業の売上収入は減少し、相対的に、既存生産設備に対する借入設備投資資金の償還負担が大きくなり、また供給能力の過剰化にともなって生じる雇用過剰による賃金の超過負担で、企業の利益は圧迫される。この結果、企業は新たな設備投資を抑制し、過剰な雇用を圧縮しようとして失業が増加し、それらは需要を縮小させる。これが不況である。
    このとき、セイ法則が短期的には成り立たなくなっている。製品が売れないということは、その分のお金が使われていないということである。ケインズは、そのお金がどこへ行っているかの例としてタンス預金を上げた。しかし、彼は、その方向を追求することなく、お金が十分使われない理由の方に関心を移し、金利・流動性選好問題や家計がどの程度消費するかを規定する「消費関数」の議論へ向かってしまった。

    拙著「重不況の経済学」では、まずは、お金が使われない理由を考える以前に、そのお金がどういう状態にあるかを追求することが有益だと考える。(拙著では)具体的には、使われなかった(需要を形成しなかった)お金は、どこか・・・金融・資産市場に金融資産の形で滞留していると考える(それを使って土地などの不動産資産が買われるかもしれないが、その場合にも、土地を売却した側への支払いは金融資産である。土地の売却額は一般に大きいし一時的な収入だから(恒常所得じゃないから)、土地を売った側が、それを全額消費することはほぼない。つまり、大半は金融資産のまま保有されるだろう)。
       注)所得は、その年に生産された生産物によって生み出される。生産物がすべて買わ
           れれば経済は順調である。だが、お金の使途としては、土地や株もある。土地はそ
           の年に生産されたものではない。株も取引高全体の100分の1ほどは新規発行された
           株式の取引だが、ほとんどはその年より以前に発行されたものである。こうしたも
           のを買っても、その年に生産された生産物の需要にはならない。実際、こうしたも
           のの買益は、単なる価格上昇の反映でありGDPにもカウントされていない
           備投資」は需要を形成するが、こうした「資産投資」は需要とは関係ない。もっと
           も、土地等に売買益や評価益が出ると、気持ちが豊かになって消費を増やす効果は
           ある(資産効果という)。しかし、売買益のごく一部が消費に回るだけで、ほとん
           どは資産に再投資されるか金融資産として保有されるだけである。設備投資と資産
           投資は峻別されなければならない。

    以上の議論では、不況期には資金は余剰になると考えることになる。したがって、政府が景気対策として財政出動を行うための国債消化資金には、こうした資金が供給されると考えるのである。政府が財政出動しなければ、その資金は金融・資産市場に滞留しているだけであり、GDPに寄与する活動には使われない資金である。したがって、政府の国債発行が民間資金需要と競合することもなく、クラウディングアウトも生じない。したがって、同様に、マンデル・フレミング効果は、不況期・回復過程の「途中までは」発生しないと考える。
    こうした視点で見れば、世界同時不況下の世界経済、長期停滞下の日本のいずれも、資金は余剰状態にあり、国債発行環境は良好なのであり、(投機的な動きを除けば)国債消化の懸念はない環境にある。ソブリンリスクを大騒ぎする方がおかしいという理解になる。

    実際、2011年に入って、日米両国の国債の格付けが引き下げられたが、両国の国債の金利は低いままであって格付け引き下げの影響はないに等しい。この騒ぎは格付け会社が経済のメカニズムを理解していないために起きているのであり、現在は世界経済が資金余剰の状態にあることを再確認させてくれる。これほど低利で国債が発行できるほど、金が余っているのだ。不況期に資金は不足しない・・・そもそも資金が使われていないことが不況の原因なのだから。・・・こうした認識は、セイ法則に「破れ」があるという理解からごく自然に導かれる
           注)なお、日米両国の国債金利低下の理由としては、財政出動論19(流
                動性の罠と資金需給、国債金利)ではリスクの増大とからめた説明も行
                っている。
                    こうした観点から、拙著『重不況の経済学」や財政出動論7(「財政
             赤字・政府累積債務の持続可能性」)などは、不況下では、毎年の需
                要不足に対応する余剰な資金(需要に使われない資金→したがってその
                分だけ需要不足が発生する)が発生するから、国債を購入する資金が枯
                渇することはないと主張した。
           注)なお、財政出動が無効であるという主張に対しては、リカードの公債
                中立命題を中心に財政出動論12(財政出動とリカードの公債中立命
                題)》で簡単に整理している。

    以上の拙著の観点が正しいかどうかは、不況期に経済を還流する資金が実際にどのようになっているかをみることで評価することができる。もっとも、通常、不況期には、不況対策として金融緩和政策が取られるため、資金需給は緩和的になる。問題は、金融緩和政策が取られない場合にも、不況期に資金需給が緩和的であるかどうかである。
           注)もっとも、貯蓄・投資のバランスを考えれば明らかなように、不況な
               どで設備投資が不足している状態では貯蓄に対して投資が過小となる。
               このときに、貯蓄は過剰となるから、不況時に資金需給が緩和的である
               ことは明らかである。貯蓄・投資バランス論や需要不足があることが納
               得できるなら、不況期に資金需給が緩和的であることで、このページは
               無用のことだろう・・・が、再確認してみよう。

    この資金需給問題を「貨幣流通速度」を通じてみるのが今回のテーマである。貨幣の流通速度については、拙著(「重不況の経済学」)でも土地取引と貨幣流通速度の関係に関するR.ヴェルナーの見解を取り上げている。また、拙著では不況下でのセイ法則の破れから、不況では必然的に余剰資金が生じ、その結果貨幣の流通速度は低下すると(理論的に)予測している。ここでは、こうした見方が実際に正しいのかどうかをみることになる。

   まず最初に、ヴェルナーが発見した土地取引の増加による貨幣の流通速度低下を確認した上で、本来のテーマである不況と貨幣流通速度の関係を見てみることにしよう。

2 貨幣の流通速度

    ここで「土地取引による」貨幣流通速度低下を取り上げるのは、この後の(3)と3以降で説明する「不況による」低下と、この2の(1)(2)で説明する「土地取引による」低下を分離するためだ。
(1)貨幣の流通速度のパラドックス
     M.フリードマンは、19世紀後半から1950年代半ばまでのデータに基づいて、貨幣需要と経済の関係が長期的に安定していること(貨幣の流通速度と取引量の関係が安定していること)を実証し、ケインズ経済学等に基づく裁量的な金融政策は、インフレをもたらすだけだと批判した。
    そして、インフレ抑制のためには、中央銀行はマネーサプライの増加率を一定のルールに基づいてコントロールすべきことを提言し、各国の中央銀行は、1970年代末から80年代初頭にかけて次々にこれを採用した。
    しかし、各国中銀は、経済との間に安定した関係を持つマネーサプライの範囲を確定することができず、コントロールそのものの問題もあって、結局、1980年代半ばには、米英も含めて各国の中央銀行は、相次いでマネーサプライをコントロールする政策を放棄し、マネーサプライ(マネーストック)は、参考指標の一つという位置づけのものとなった。(異議があるかもしれないが)

    下のグラフ(図1)で、「貨幣の流通量と経済活動の関係」を表す貨幣流通速度の推移を見てみよう。図をみると、まず、流通速度は長期的には低下を続けていることがわかる。次に急速に低下している時期があることもわかる。例えば、土地など不動産需要が活発だった時期には、貨幣流通速度がより急速に低下している傾向があることがこのグラフからわかる。

   注)貨幣の流通速度とはフィッシャーの交換方程式 MV=PTのことである。
       (Mはマネーサプライ、Pは物価、Tは数量ベース取引量) 
         つまり、このVは、お金の回転率である。これを貨幣の流通速度という。
           ここで、この式の右辺は結局「名目GDP」だとして、今は一般に交換方程式と
        として MV=名目GDP したがって =名目GDP/M)が使われている。

 もちろん、この流通速度は、お金がどのような使われ方をするかに影響を受ける。例えば、クレジットカードの普及や決済の電子化といった技術上の変化や制度上の変化あるいは新しい金融商品の開発等は、貨幣の流通速度に長期的な変化を与える。また、長期的には産業構造の変化も影響を与えるだろう。しかし、下の図1のグラフの矢印の時期をはじめとするような短・中期の変化の理由はなかなか考えにくい
    一種のパラドックスである。大経済学者たちを含む経済学界には、長い間その理由がわからなかった。
出所:日銀資料に矢印等を若干加筆

(2)ヴェルナーによる解明・・・不動産取引への資金の漏出
    ところが、1990年代末から2000年代にかけて日銀などで日本のバブル期の金融政策を研究していたリチャード・ヴェルナー(現英サウサンプトン大学教授)が、このパラドックスをシンプルに解明したのである。
    すなわち、原因は、交換方程式の右辺のPTを「名目GDP」で置き換えた点にあったのであるヴェルナー,R.A.『虚構の終焉』PHP研究所、2003)
    問題は、「名目GDP」では、土地取引などGDPにカウントされない取引が除外されている点にあるところが、貨幣は、土地取引にも使われている。貨幣は、様々な経済取引に使われているが、それには、土地に関する取引も含まれている。左辺との対応を考えれば、当然、右辺には土地取引などを含められるべきところだが、右辺を『名目GDP』に置き換えたことで、土地取引などGDPにカウントされない取引が脱落してしまったのである。
    もちろん、経済全体に占める土地取引のウエイトに変化がなければ、見かけ上、問題が顕在化することはなかったのだが、バブルで土地取引に多量の資金が流入し、そのウエイトが中期的に大きく変化したことで、流通速度に大きな影響を与えたのである。
    (以上は拙著「重不況の経済学」でも紹介した。)

    本来、仮に右辺に「名目GDP」を使うとするなら、交換方程式は次のように書かれるべきだったことになる。
             MV=(PT)=名目GDP + α  ・・・・・・(1)
    ここで α は、土地取引などGDPに含まれない取引を含む。

    (1)式から不動産投資向け融資の影響を見てみよう。
     交換方程式(1)の両辺をMで割れば、
                 V=名目GDP/M + α/M  なお、M:マネーサプライ(マネーストック)
     右辺の第2項を移項すれば、
                 − α/M=名目GDP/M  となる。
     したがって、この式の右辺から計算される左辺は、真のではなく、(− α/M)を見ていることになる。つまり、右辺を名目GDPだけで計算する場合は、みかけの貨幣流通速度V’(=V−α/Mを測定していたのである。
      土地取引に資金が流入するほど(1)式のαが大きくなって、見かけのV’(=V−α/M)は低下することになる。これが、我が国のバブル期における貨幣流通速度変動のパラドックスの原因である。
          注)筆者は、ヴェルナーの『円の支配者』や『虚構の終焉』の主張をすべて支持するわけではないが、
               この部分については、ヴェルナーの重要な功績だと考えている。しかし、既存の経済学者・経済学
                    界にとって、こうした見落としは余りにも恥ずかしいことなので、誰もこの功績をとりたてて取り
                    上げないし、ふれないようにしているように見える。そのために知らない学者も多い
出所:日銀資料に加筆

    上の図2の貨幣流通速度のグラフには3つの大きなへこみがある。左と右のへこみはグラフに記入したように、土地取引が活発化した時期である。では中央のへこみはなんだろうか。次の図3のように、これも不動産向け融資が拡大した時期にぴたり一致する。

出所:『虚構の終焉』p.231の図22から不要なデータ系列を削除し矢印を加筆

    図3のように、この3つの時期に不動産市場に資金が流れ込んだことは、次の図4にみるように、この3つの時期に不動産価格が上昇していることと整合的である。
    なお、こうした解釈は、80年代後半のバブル期の貸出の膨張が、ほぼ不動産関連貸出の増加によるという下の図5と整合的である(貞廣彰『戦後日本のマクロ経済分析』(東洋経済新報社、2005))
   このグラフを見ると、バブル期を含むこの時期には、不動産関連3業種への貸出が1982年第1四半期頃に対して1990年頃にはGDP比では2倍以上に拡大している一方で、それを除いた一般業種に対する銀行貸出のGDP比はかなり安定している。
           注)この貞廣氏の方法は、ヴェルナーが、銀行貸出を不動産関連業種への貸出とその他の一般企業への貸出
                に分離した手法とほぼ同じ考え方に基づいている
    一般業種の企業でも若干ふくらんでいるが、これは一般企業の土地取引の影響と理解することができる(本来業務の設備投資のための土地取得でも値上がりの影響を受けるし、一般企業の中には本業を外れた土地投資を行った企業もあると考えられる)。
                                  出所:貞廣彰『戦後日本のマクロ経済分析』(東洋経済新報社、2005)

(3)景気後退期の貨幣流通速度の急低下
    以上のように、(不動産などの資産投資とGDPにカウントされる取引とを分離して)不動産投資への資金流入分を除けば、貨幣の流通速度は中期的には安定している可能性が示された。
    次に、不動産投資が活発化した時期以外の時期の流通速度を見てみよう。
    次のグラフ(図6)を見ると、「不動産投資ブーム後の反動期」を除けば、いずれも前後の時期に比べて「景気後退期に貨幣流通速度がより急速に低下している」ように見える。
   実は、このことはM.フリードマンも確認している。すなわち「貨幣流通速度は景気循環の拡大局面では上昇し、収縮局面では下落する傾向にある」《注》。フリードマンのマネタリズムでは、短期では貨幣流通速度が変動することを認めている。
        注》フリードマン=シュウォーツ『大収縮 1929-1933『米国金融史』第7章』p.60
出所:日銀資料に加筆

   このグラフは2002年までなので、1997年以降のグラフを次の図7で示す。
        データ出所:名目GDPは季調済四半期(内閣府)。M2+CDは季調済月次データから四半期平均(ただし、
                            2008年第1四半期までは旧マネーサプライ統計のM2+CDだが、第2四半期以降はマネーストック
                             統計の季調済四半期平均M2(=旧「M2+CD」ー非居住者預金)を単純に接続)。景気後退期の
                                期間は内閣府による。

    以上のように2002年以降の期間を加えても、土地投資加熱後の回復期(土地投資の手じまいと資金回収期)を除けばいずれも景気後退期に貨幣流通速度の低下率が高くなっている。

    これを確認するために、貨幣の流通速度の変化率を景気の拡張期と後退期で比較してみよう。1980年以降で土地投機の加熱期とその回復期を除いて、景気の山と谷が属する四半期の貨幣流通速度で比較すると次の表1のように、景気拡張期が年率でマイナス1%前後なのに対して、景気後退期はマイナス4%〜18%台と、明確な水準の差がある。
        注)なお、2000年11月〜2002年1月の景気後退期の-18.5%という値については、
             2001年3月から始まった量的緩和政策の影響も考えられるが、これをその直前の
            景気後退期である97年5月〜99年1月期と比較すると、マネーサプライ(M2+CD)
            の変化率は、山から谷の期間でも、その年率でも、97年5月〜99年1月期の方がむ
            しろ大きい。
表1
◎参考までに、米国の貨幣流通速度と不況の関係を見てみよう。ここで、灰色のアミの部分が景気後退期(米国ではNBERの判断が用いられるが、日本の内閣府の景気基準日付の判定基準とは基準が少し違う)である。このうちの例外2件(1973年の第1次と1979年の第2次オイルショックに伴うもので、通常の景気後退とは性格が異なる)を除けば、やはり、不況期に貨幣の流通速度が低下していることがわかる。
 出所:クルーグマンのブログMonetarism in Winter :http://krugman.blogs.nytimes.com/2015/02/25/monetarism-in-winter/?smid=tw-NytimesKrugman&seid=auto&_r=0                     (元はFRED(セントルイス連銀のデータサイト))

   以上を、次の図8で、日本の貨幣流通速度の変化率(ただし、細かい変動《注》をならすために4四半期移動平均をとっている)を見ることで確認してみよう。
        注)原因は日本の四半期GDPのブレが大きいためで、これにはGDP統計上の問
            題があるともされる。
データ出所:図7と同じ
    この図はデータの関係で1981年以降になるが、バブル期・バブル崩壊期を除くとすべての景気後退期で貨幣流通速度の変化率のマイナスが大きくなり、逆に景気回復期では変化率の低下幅が縮小し、持ち直していることがわかる。
    また、その変動の状況を見ると、バブル期とその崩壊期を除けば、貨幣流通速度の変化率と名目GDPの変化率の連動性が高いことがわかる。
        注)このように見ると、貨幣流通速度の変化率は、景気の好不況の判断基準
            の材料の一つとしても使えるように見える。

3 貨幣の流通速度低下は経済をマクロに循環する資金が余剰化していることを意味する

(1)必要なマネーサプライ(マネーストック)量は名目GDPに比例するはず
    M.フリードマンは、広義の貨幣流通量(マネーサプライ)と名目GDPの関係(つまり貨幣の流通速度)は安定していると考えたのであるが、その根拠は、(広義の)貨幣がどれくらいの頻度や回数使われるか(貨幣の流通速度)は経済活動の大きさに比例するだろうという予想に基づく。これは、マクロで考えれば様々な凸凹はならされ平均化されるから、論理的には全体として納得できる予想である。

    上で見たように、名目GDPが土地取引を含んでいない問題があり、また産業構造の変化やクレジットカードの普及、新しい金融商品の登場、金融システムの変化などによる長期的な変化を除いて考えれば、フリードマンの思考は合理的なものと言える。
    そして、このように考えれば、本来必要な貨幣の量つまりマネーサプライ(マネーストック)は、名目GDPの変動に応じて変動するはずである。

(2)マネーサプライが名目GDPの変動と連動しないことは資金余剰・不足発生を意味
   ところが、上記の図8で見たように、(バブル関連期を除いて)名目GDPと連動しているのはマネーサプライではなく貨幣流通速度である。交換方程式(「MV=名目GDP」)の中で連動しているのは貨幣流通速度Vと名目GDPであって、マネーサプライMと名目GDPではない。つまり、こうした短期間でみれば・・・フリードマンが予想したようには、「貨幣流通速度は安定」していない《注》。
            注》もちろん、フリードマンは貨幣流通速度等の「長期的な」安定を主張したので あって、短期の安定は主張
                していない。                   24.10.11注が落ちていたので再付加
    貨幣流通速度が安定していれば、マネーサプライと名目GDPは連動するから、マネーサプライを増やせば名目GDPも増えるようにも見える。しかし、短期でみれば、こうした関係はない。
   リフレ派は、1〜2年程度のタイムラグで、こうした関係が成立していると考え、長期的にはこうした関係が成り立つと考える。しかし、マネーサプライと名目GDPの関係が、仮に長期的にみて安定しているとしても、マネーサプライを増やせば名目GDPが拡大するという方向の因果関係は、保証されていないように見える。
   たしかに、金融政策でマネタリーベース(現金と準備預金)を絞りすぎれば、それはマネーサプライの増加を制約し、それは名目GDPの拡大を制約するだろう。「不足するものが状況を左右する」と考えるからだ。
   しかし、逆の方向つまり、金融緩和下でさらに金融緩和政策を行い、マネタリーベースを拡大しても、「余っているものが状況を左右することはない」のだから、それが直ちに名目 GDPを拡大する効果があることは保証されていない。むしろ名目GDPは別の要因が左右していると考える方が自然であるように見える。
   この意味で、図8は、名目GDPの変動に応じて、マネーサプライ(市中にある資金)が余剰になったり、過少になったりしていることを示している。つまり、「マネーサプライ→名目GDP」という因果関係ではなく、逆の「名目GDP→マネーサプライ」という方向の因果関係が《少なくとも短期では》あるように見える。

   これは、名目GDPの縮小期(不況期)にお金の使い方(頻度)が変化するからだろうか。次にこのことを具体的に見てみよう。
    第一に、不況期には経営上のリスクが増大するから、企業は、設備投資するよりもお金を抱え込む方を選ぶだろう。家計も、失業の不安から意識的にお金を抱え込むと考えて良いだろう。これはどのような影響を与えるだろうか。

    抱え込まれたお金は他の人には使えないように見えるかもしれない。しかし、企業も家計も、そうしたお金は銀行などに預金する。銀行は、預金利子を払わなくてはならないから、それらのお金を企業への融資や投資等に利用して運用しなければならない。つまり、一旦預金されれば、その後はお金は回転していくことがわかる。したがって不況期の、こうした経済主体のお金の抱え込みは、お金の回転率つまり流通速度には影響を与えないように見える。

    第二に、不況期には景気刺激のための金融政策等で金利が低下する傾向がある。一方で、一般に 貨幣の流通速度は、金利低下とともに低下する傾向があるとも言われる。では、金利の低下が貨幣流通速度を低下させるのだろうか。
    しかし、通常、金利が低下すれば、お金を借りて設備投資したい企業が増加して、設備投資の増加と共に貨幣流通速度は上昇するはずだ。これは、企業の設備投資意欲が不況でも変わらないとする場合である。であれば、金利低下時に貨幣の流通速度が低下するのは、不況で企業の投資意欲が低下しているからと考えるしかない。つまり、因果関係は、①不況から金利低下へと、②不況から貨幣流通速度の低下へという二つの因果はあるが、③金利低下から貨幣流通速度の低下への因果関係はない。あるように見えるのは①と②の組み合わせによって生じた、みかけの関係と考えるべきだろう。

    では、金利低下が貸出側の銀行に与える影響はどうだろうか。金利が低下すると、銀行は貸出の意欲を失うのだろうか。しかし、銀行は、金利が低下しようとしまいと、利ざやを稼ぐ必要があるのだから、資金がある限り(金融危機などの資金不足期以外は)貸出意欲は低下しないはずだ。ただし、銀行は、不況期には企業への貸出リスクを高く見て、貸し渋りするかもしれない。
    つまり、因果関係は、「不況」が企業の投資意欲を低める結果、資金が余剰となることで金利が低下し、一方では「不況」で企業の借り入れが減少し、又は銀行の貸出が抑制される結果、貨幣流通速度が低下すると考えられる。すなわち原因は(金利の低下ではなく)『不況』であると考えられる。

   (ただし、タンス預金の増減は考慮する必要がある。実際、金利が低下すればタンス預金は増加する・・・しかし、とりあえずこれは相対的には小さいとみなし、この考慮は、ここでは省略する)

   第三に、そうした資金の一部は、不景気のための需要不足で売上収入が減少した赤字企業の資金需要に応じて貸し出されるかもしれない。だが、赤字企業が赤字補填のために借りた資金は、まさに喫緊の支払いに使われるのであり、支払先の企業や家計を通じて経済に循環していく。こうした意味では、不況期であっても、お金の使い方が大きな影響を受けるとは考えられない。

    第四に、マネーサプライのうち過剰分は、経済の様々な経済主体が、少しずつ支払いを遅らせたり、抑制したりすることで発生しているのかもしれない(第一の場合との違いは、意識的か無意識的かという違いだ)。とすると、過剰なお金は、様々な経済主体に分散して所有されているはずだ。とすると、そうした状態の資金は、ほかの経済主体には使えないようにも見える。つまり、過剰と言っても使えないお金ではないかという疑問もあるだろう。
    しかし、それらの資金も、第一の場合と同じように、実際は預金などの形になっている分が大きいだろう。預金されてさえいれば、それは金融機関の集合的な資金量の一部となり、貸し出され、やはり経済を循環していくことになる(唯一の問題は、純粋な現金貨幣として保有する分(つまりタンス預金分)の増加がどの程度かであるが、上記のようにそれは小さいものとみなして、ここでは考慮を省略しよう)。

   以上を考慮すると、不況期の貨幣流通速度の低下は、不況を原因とする資金の過剰(マネーサプライの過剰)を意味していると理解できる。

4 不景気時にはどの程度の資金余剰が生じるのか

    以上をおさえた上で、上で見た貨幣流通速度、マネーサプライ、名目GDPの関係をより詳しく見てみよう。

    次のグラフ(図9)は、1981年から2011年の間の貨幣流通速度、名目GDP、マネーサプライ(M2+CD)の対前期比伸率(4四半期移動平均)の変動状況である。

データ出所:図7に同じ
   これを見ると、まず①〜⑥のうち、①②④⑤⑥の各景気後退期に、マネーサプライ(マネーストック)の対前期比伸率と名目GDPの対前期比伸率の差が拡大(黄色く塗った部分)していることがわかる(も同様だろう)
         注)その他参考 ゼロ金利政策:19992月〜20008量的緩和政策:20013月〜063
    これらの景気後退期には、名目GDP伸率の減少率よりもマネーサプライ伸率の減少率が小さいかむしろ増加している。この結果、減少後の名目GDPに相当する経済活動に必要十分な資金に比べると、この時期には、資金が過剰に(経済の各所に)存在していることになる。発生する過剰資金の量は、貨幣流通速度の低下率におおむね比例する。貨幣流通速度の低下が著しいときには、マクロに循環する資金(マネーサプライ)には大きな余剰が生じているのである(貨幣流通速度の低下はその反映にすぎない)
        注)こうした資金は、上記2で見たように、個々の企業にとっては、リスク耐性を強化するために必要不
               可欠な資金である場合が多いだろう。しかし、そうした現預金等は通常は金融機関に預けられる。金融
              機関は、そうした資金を集め、まとめて(個々の企業のリスクに対応する資金という性格を離れて)運
              用可能であるし、運用しなければ利息の支払いに応じられないのである。

   例外はであるが、この時期はバブル崩壊という特殊な事態による景気後退なのである。そして、グラフの状況を見れば、この大不況が資金的な問題と深くかかわっていることがわかる。一方、このグラフで見る③以外の5回の景気後退期の大きな違いからは、逆に、③以外の5回の景気後退については、資金的な問題とは別の問題が後退の原因である可能性を示唆する(筆者は「需要」の問題であると考える)。

    以上のように、③というバブル崩壊に係わる特殊なケースを除けば、景気後退期には、経済を循環する資金は余剰となると考えてよいだろう。その結果として、貨幣の流通速度の低下という現象が見えているのである。

(2)金融緩和政策とマネーサプライ(マネーストック)
    ここであらためて交換方程式に基づいて考えると、景気後退期に貨幣流通速度の低下率が高くなる原因としては、2つの可能性がありうることがわかる。
(交換方程式:MV=名目GDP (Vは貨幣の(所得)流通速度、Mはマネーサプライ))

    第1は、名目GDPの減少である。この場合は「V=名目GDP/マネーサプライ」式右辺の分子が縮小するわけである。
    もっとも、通常は、政府が国債を発行して、ある程度は資金を吸収し、それを政府支出に使うから、低下の程度はその分低くなる。

    第2は、不況緩和政策としての金融緩和政策の影響である。金利引き下げのための市場への資金供給や量的緩和政策で、マネタリーベースが増加すればマネーサプライも増加する傾向がある(「V=名目GDP/マネーサプライ」で分母のマネーサプライが増加すれば、必然的に貨幣流通速度は低下する)。

    この2点を踏まえて、マネーサプライが反映する金融緩和政策名目GDP貨幣流通速度に与える影響の程度を見ると、上記グラフを若干加工した下の図9bのグラフで、を含む時期とを含む時期(「マネーサプライ変化の寄与大」と表示)は、マネーサプライの変化が貨幣の流通速度の変動により大きく影響を与えているように見える。この2つの時期は、金融政策が積極的に採用された時期と考えられる。

    一方、④⑤⑥⑦を含む時期(「名目GDP変化の寄与大」と表示)には、名目GDPの変化つまり景気動向自体が直接、貨幣の流通速度の変動に、より大きな影響を与えているように見える。
   (もちろん、マネーサプライの量を維持することも積極的な金融政策とは言えるのだが、ここではどちらがより能動的に貨幣の流通速度に大きな影響を与えているかという観点で見ている。)

    このようにみると、貨幣流通速度には、金融政策的側面(マネーサプライ)が影響を与える時期と、景気(名目GDPの変動)が影響を与える時期があり、通常は、景気動向が大きな影響を与えていると見ることが出来る。
データ出所:図7に同じ

(3)景気とマネーサプライ

    関連する問題として、あらためて上記の図9、9bを元に、金融政策と景気の関係を見てみよう。
    上記図9、9b②、④、⑤、⑥(⑦)では、名目GDP伸率の低下(景気後退)に先行する時期やその時点のマネーサプライには特段に大きな変動は見られない。つまり、こうした場面では、マネーサプライ(マネーストック)の変動が名目GDPの落ち込みをもたらしたとは言えない

    例えばはリーマンショック後の「外需の落ち込み」が原因だと考えられる。実際この時期に、リーマンショックが日本の金融に大きな影響を与えたとはいえないし、グラフを見ても、マネーサプライには特段の異常な変動は見えない。また、の時期には東アジア金融危機があったが、このレベルで見る限りやはりマネーサプライに特段の異常な変動はない。
    全体として、これらの時期は、マネーサプライだけを見ていては、経済をコントロールできなかったと言えるし、名目GDP伸率の急速な落ち込みを防ぐ手段も見えない。

    次に①にあるマネーサプライ伸率の突出については、この時期が1980年2月から83年2月の景気後退期に入っていることから、景気対策としての金融緩和政策が原因と考えられる。

    最後に③は、バブル崩壊に関連する。金融政策がバブルの崩壊に係わったことは事実だろうが、問題はその後のGDP低下の時期も金融政策が名目GDP伸率の低下を引き起こしたかどうかである。
    グラフを見ると、バブル崩壊後のこの時期、91年から93年初頭までの約2年にわたって、マネーサプライの伸びが名目GDPの伸びを下回っている。これは、一見、マネーサプライ(マネーストック)の不足を意味するように見える。しかし、これは、必ずしも金融政策が(実体経済に対して)引き締め的だったことを意味しないかもしれない。マネーサプライの相対的縮小の大部分は、土地関係取引の圧縮分に対応していたかもしれないからだ。
         注)このバブルは、基本的に土地などの資産取引に関するものであって、GDPの定義上、土地取引はGDPに
              カウントされていない。しかし、土地取引は、土地などの資産価格を通じて実体経済(GDPの対象となる
              経済)とリンクしている。
                  バブルは、こうした土地取引への資金の漏出によ って発生したわけである。このバブルは、土地な
              どの資産取引のバブル崩壊によって発生し、それが通常の企業が保有していた土地資産等や金融機関を
              通じて、実体経済(GDPの対象となる経済)に波及したのである。

    もっとも、これを今回のリーマンショック後の米FRB(連邦制度準備理事会)の対応と比較すると、対応に大きな違いがあったことは明らかだ。
          注)ケインズは「紐を押すことはできない」といったが、これは金融緩和という状況下で金融政策の有効
              性がなくなることを意味するのであって、資金が逼迫している状況下では、当然に金融政策の影響は大
              きい(まさに「紐を引くときの効果は大きい」のである)。問題は、このときはどうだったかである。

    以上からは、少なくとも②と④では景気後退の原因として金融的問題の影響は考えられない。また、①では景気後退対策として金融政策が行われたと考えられる。については、バブル崩壊の主要な原因の一つとして金融政策の影響が考えられるが、それ以後の落ち込みについては、断定的なことは言えない

5 以上から

(1)マネーサプライ(マネーストック)と実体経済の連動の程度
    まず、当たり前とも言えるが、(少なくとも)これくらいの短期で見ると、マネーサプライと実体経済(名目GDP)の連動性は非常に低い
    もちろん、例えば、経済成長率が高いにもかかわらず資金供給量の増加が常に遅れ気味で、マネタリーベースが常にタイトに推移している状況では、連動性は高まるだろう。また、金融政策で強い引き締めを行えば、それに応じて設備投資や住宅投資が縮小し、それに伴う需要の縮小で名目GDPがシュリンクするという意味で、連動性が高まると思われる。
   しかし、過去20〜30年、一部の時期を除いて、日本の現状では、全般に金融は緩和的だったため、マネーサプライ(マネーストック)と実体経済の連動の程度は低下しているのである。つまり、名目GDPはマネーサプライとは無関係に動いている。
    逆に、マネーストックと実体経済の連動性が低下していたことを見れば、金融政策は比較的、緩和的だったとは言えるのではないだろうか。・・・常にかつ十分に緩和的だったかどうかはまた議論があるだろうが。

(2)不動産バブルと不況期には貨幣流通速度は低下→不況期だけは余剰資金が発生
    不動産バブル期と不況期には、マネーサプライと名目GDPの変化率の差が拡大するため、貨幣流通速度が低下する。前者の場合、不動産取引に資金が流入するため、GDPに反映される実体経済の規模に比べてマネーサプライが大きくなり、結果として貨幣の流通速度は低下して見える。一方、後者の場合、不況により名目GDPの伸び率が縮小するため、名目GDPを基準に見ると貨幣流通速度は低下する。この場合、資金は金融機関や債券投資などに滞留する。
    この結果として、不動産バブル期は、資金は土地投資に流れ込む分で資金需要は高まる。貨幣流通速度の低下は見かけのものにすぎない。これに対して不況期には経済活動の相対的な不活性化により資金は遊休化する。
    つまり、不況期には余剰資金が発生する。これは図9図9bで明らかだろう。

(3)理論的に見た不況期の余剰資金発生
    標記のことについては、詳しくはすでに財政出動論15(財政赤字問題の基礎=貯蓄問題)で述べているので、ここでは簡単に整理しよう。

 (セイ法則)
    セイ法則に従うと、企業が商品を生産する際に、生産のために家計が企業に提供する労働や資本や資金の対価として賃金や配当や利子などを支払う。家計は、そこで受け取ったお金の全額で商品を買うとちょうど、企業が生産した商品が全部売れる。これがセイ法則である。
    この場合、家計が商品を買えるのは、企業が商品を生産して(商品を供給する際の生産コストとして)家計が商品を買うお金を家計に支払っているからだ。つまり、「供給が需要を規定する」、需要は供給に追随すると考えるのである。需要は供給に追随し、独自の要因では動かないから、経済を動かすのは「供給だ」、供給側(サプライサイド)の問題さえ考えれば経済の問題はすべて解決すると考えるのが新古典派経済学である。

    しかし、家計は受けとった収入のうちの何割かを貯蓄する。すると商品はすべて売れないことになるように見える。だが、その貯蓄を企業が全額借りて設備投資に使えば、設備投資のための生産財の需要が発生するから、企業のうちのいくらかは生産財という商品を生産すればよい。企業が家計向けの消費財と企業向けの生産財を適切な需要に応じた割合で生産すれば、やはり企業の生産物(商品)はすべて売れる

    これがセイ法則であり、新古典派経済学の根幹をなしている。これが部分的には破れることがあるとはじめて主張したのがケインズである。
    今日では、ごく一部の学派を除いて、セイ法則は常には成立しないと考えられている
        注)だが、経済学の理論モデルは、通常はセイ法則の成立を仮定して構築されていると考えて良い。理論
             的には、そのように構築した上で、現実的なセイ法則の不成立部分を、その純粋「理論」からの乖離分
             として捉え、純粋理論からの乖離の理由や原因を改めて研究するというのが現代経済学の研究スタイル
             と言える。

 (セイ法則の破れ=需要不足)
    そもそも、家計が十分に消費しないと、それは貯蓄に向うから、貯蓄が増えることになる。通常、経済学者は、企業はお金が有り、それが借りられれば無条件にそれを借りて設備投資を行うと仮定している。消費が減っても設備投資に係わる生産機械などに対する需要は増えるので、総需要は変化しない。すると上記のようにセイ法則が成立することになる。
    ただし、多くの経済学者は、セイ法則は常に成立するわけではないと考える。なぜ成立しないかについては、2つの見方がある。

 ① 多くの経済学者は、(常にお金を貸す側(金融機関側)を中心に見るので)設備投資が減少する原因は、金融機関側の貸し渋りが原因と考える。貸し渋りの結果、設備投資が減少し、需要が不足すると考える。
    ①a 貸し渋りの原因としては、第一は、金融政策による資金供給が抑制気味で資金に制約があると考える説だ。この場合は、金融政策の緩和誘導が政策提言となる。
 ①b 第二は、金融危機などで金融システムに問題が生じる場合である。例えば、日本では1990年代後半に山一証券や拓銀の破綻などに伴う金融危機があったし、最近では、リーマンショック対策としてFRBが大規模な金融緩和政策を実施しているのはこの観点による。
    
② もう一つの見方として、企業側が借入を抑制することがあり得る。景気後退で消費が減ると、企業の売上は減少する。そして、その状況を踏まえて、将来も売上が減少したままだと企業が予測すると、企業は、金融機関にいくらお金があっても、それを借りてまで設備投資をしないだろう
    設備投資をしない場合に予想以上に需要が伸びて売上を逃すリスクよりも、設備投資をしたのに売上が伸びず設備投資資金の返済に窮する方がはるかにリスクが高い。最悪倒産である。実際、バブル崩壊後、多数の企業がこのようにして倒産し、銀行管理で生き延びても、まさにゾンビ企業呼ばわりされたのである。そうした実例を見れば、企業が積極的に設備投資をしなくなるのも当然だろう。この結果も、やはりセイ法則に破れが生ずる。

    以上のような3つのセイ法則の破れのメカニズムの現実への当てはまりは様々であるが、筆者は②が過小評価されていると考える。借りる企業側に独自の原因があって、貸出量が減っている場合があると考えるべきなのである。
   実際、①に関連して、日本の長期停滞の真因に関して対立する原因論を論争的に取り扱った 「浜田宏一・堀内昭義・内閣府経済社会総合研究所編[2004]『論争 日本の経済危機』日本経済新聞社」では、「銀行機能の低下がマクロ経済のパフォーマンスの劣化の原因ではないという堀雅博・木滝秀彰論文(第8章「銀行機能低下元凶説は説得力を持ちうるか」)について、編者の「浜田、堀内とも同意」している(338ページ)。また、「浜田は堀内とは異なり、九〇年代の企業のパフォーマンスは、銀行機能の低下よりも、デフレ下での企業の投資意欲の萎縮によると考えている。」としている(同じく338ページ)。  24.5.30追加

    ①の2つ(a,b)の場合は、金融政策で問題はある程度は解決するかもしれない。しかし、②は、金融政策のみでは解決が困難であるように思える。例えば、1997、1998年の金融危機の影響については、既に「財政出動論4(橋本財政改革が生み出した恒常的な財政赤字)」の中段以下で触れたところであり、そこでは金融危機の影響は小さいと評価した。また、リーマンショックは、米欧の金融機関に大きな打撃を与えたから金融政策の役割は大きかったが、日本の金融機関への影響は小さいと考えられている。

    次の図10を見ると、1990年代中盤以降、預金と貸出の乖離が進んでいる。これは金融機関の貸し渋りが原因かもしれない。また、とくに大企業が直接金融から間接金融にシフトした影響もある。だが、次の図11を見ればわかるように、企業(非金融法人企業)は1998年以降、資金余剰部門になっている。この状況では、企業は内部留保で資金を毎年豊富に生み出しているわけだから、企業が設備投資を抑制している理由は資金がないからではないそもそも現在は一般企業には資金需要がないのである。企業が金融機関からお金を借りない(図10)のも当然だろう。



   (企業の資金余剰の状況を見ると)
    ちなみに、この2つのグラフ(図10,図11)は、上記の貨幣流通速度からみた短期の資金余剰状態を超えて、90年代以降の日本がより長い期間継続的な資金余剰状態にあること(したがって、経済の停滞状態にあること)をも示している。・・・上記でみた貨幣流通速度でみた資金余剰は、変化率で見ているため、こうした中長期の変動は見えないのである。
    こうした大恐慌レベルの極めて重い不況下では、中期的に企業部門が資金余剰になることは広く見られることだ。図12は、大恐慌期の日米両国の企業部門の資金余剰を示している。
    また、今日たまたま見たフィナンシャルタイムズの記事でも、世界同時不況とユーロ危機下で要求されている緊縮財政にあえぐ「 スペインでは2007年から2012年にかけて、民間部門が資金不足 から資金余剰に転じ、その差が国内総生産(GDP)の16%相当に上っている。注)」と紹介されている。
 注)・・・訳の出所:JBプレス

    こうした図10〜12とスペインの例は、もちろん企業部門の資金余剰を示しているのであって、(上記で見てきた貨幣流通速度による資金余剰の確認とは異なり)経済全体の資金余剰の状況を直接示しているわけではない。しかし、少なくとも、企業は資金が余っているにもかかわらず設備投資を抑制している。
    これは、企業が家計の貯蓄を借りて設備投資に使うという通常の関係が崩れ(=企業自身が貯蓄をする側にまわっている)、貯蓄を借りて使ってくれる主体が国内の民間主体の中では不足ないしは消滅したことを意味する(貯蓄・投資バランスが崩れている)。(なお、国外への輸出を伸ばすことができるなら、輸出相手国に貸してやればよいが(相手国はその資金でこちらの輸出品を買ってくれる)、世界同時不況下では、今以上に貸出しを(したがって輸出を)伸ばすことは困難である)。
    これは需要不足を意味すると共に、需要として使われない資金が余剰となり、それが資産市場に流入することを意味するワルラス法則どおり、生産物市場で需要不足があるときは、資産市場などの他の市場では超過需要が存在しているはずである。実際、今まさに国債市場などの資産市場では超過需要が生じ、国債金利は超低金利状態となっている。長期不況下で、巨額の国債を発行し続けても、金利は低いままに止まるのはこうした理由による。・・・「財政出動論7 財政赤字・政府累積債務の持続可能性」参照
    これは経済の基本的なセオリーどおりなのであり、長期不況下で国債が円滑に発行し続けられていることをパラドックスと考える人たち(=どうも少なくないらしい)は基礎的な経済学をよく理解していないというしかない。
    日本ではこれを政府が不十分ながら国債発行で吸い上げて支出し代わりに需要を作っているが、スペインでは、EUから緊縮財政を求められているために、それができない。企業が使わず、政府が使わないなら、家計が金融機関を通じて企業から借りて消費にでも使わない限り(もちろん考えにくい)、巨額の需要が不足していると考えられる。若者(15〜25歳)の失業率が5割を超えている(51%)というのも不思議ではない。
24.5.31追加

図12

 (需要不足=需要に使われない資金が余剰となる)
   以上からは、不景気時には、消費の伸率低下のために売上が縮小し、それを受けて企業の需要の将来見通しが低下する。このために(消費減分は貯蓄が増加し利子率が低下するにもかかわらず)設備投資需要が減少するため、資金は使われずに(金融機関から見れば融資先、投資先が不足している状況)、経済のそこかしこに滞留し(その結果、貨幣の流通速度が低下し)ていると考えられる。
    まさに、不景気時には、マクロ的な資金の余剰が生じていると考えられるのである。

(4)結論
    財政出動問題の最大のネックは、財政の持続可能性財政出動論9(財政持続可能性と負債償還能力)参照)にあるが、その基礎には国債発行による資金調達が①民間の経済活動に影響を与えないか(民間を資金不足にしないか)、②調達金利の上昇なしに可能かどうかという問題がある。

   そして、ここまでの検討の結果、財政出動が必要な景気後退期には、以上のようにマクロ的な資金余剰が発生するために、こうした問題の不安が小さいことが明らかになった。
    景気後退期そのものが、需要として使われない資金が発生することと同義であり、景気後退期対策は。そうした資金が使われるようにすることなのだから、その方策として、「使われない資金」を国が吸収して、需要を形成するように使うことはきわめて合理的なことである。これは、「財政出動論15(財政赤字問題の基礎=貯蓄問題)」で整理したことだ。

6 補足 「潜在GDP」から政府財政出動の上限を考える

    ここまでは、マネーサプライ(マネーストック)名目GDPの関係から、資金余剰が生じることを見たわけである。しかし、財政出動のための資金の上限を考えるときには、これ以上の資金利用の余地がある。
    「景気後退期の財政出動の上限」は、おそらく、物価上昇や賃金上昇を引き起こさない最大限の生産規模という意味での潜在GDP」で計算した「GDPギャップ」が一つの上限となるだろう(もっとも、実際は、それを元に、乗数効果による民需の増加分を勘案し、それを控除した額が政府の財政出動の上限となる)。・・・これは、拙著「重不況の経済学」第6章第1節で述べたことでもある。
        注)そこでは「・・・これは、マクロ経済の資金循環から見た政府財政の妥当な規模
            を示すものだから、ここでは、これを「マクロ経済補完の観点でみた基準財政規
            (以下「マクロ経済補完基準財政規模」と略す)と呼ぶことにしよう。これ
            はGDP、民間消費、設備投資、住宅投資等が所与のときに、漏出超過額または
            GDPギャップが生じない水準の政府財政規模を意味する(ただし、政府の支出
            に乗数効等があるとすれば、その程度によって民間消費や民間設備投資等も増
            加するので、単純な加減算では必ずしも決まらない)。・・・」と述べている。
        注)なお、通常「潜在GDP」の算出は、過去一定期間の平均的GDPのトレンドを
            に計算されるから、それとは異なる計算を行う必要がある。

    この場合、政府の財政出動の拡大に合わせて、ここの意味での「潜在GDP」がフルに実現するに適当なレベルまで、金融政策でマネーサプライ(マネーストック)を拡大させる必要がある(そのレベルは、直前の貨幣流通速度から逆算できる)。

    政府の財政出動によってマネーのニーズが高まっていれば日銀がマネタリーベースを操作すれば、容易にマネーサプライは増加するだろう(逆に、マネタリーベースのみをいじっても大した変化は生じないだろう)。これが、大恐慌期のマネーサプライ増加の意味・・・《財政出動論3(大恐慌期の金融政策の有効性)図1で見たように、当時のマネーサプライの増加は、「民間への貸付けや(社債)投資」で伸びたのではなく、政府向け投資の伸びによって実現した》・・・である。

    したがって、このレベルまでは、金利の上昇、クラウンディングアウトを引き起こすことなく、また物価上昇を引き起こすことなく、政府の財政出動が可能である。
    もっとも、経済が正常なときの財(生産物)別の需要と供給能力のバランスと、政府の財政出動によって作り出される財別のニーズ(と供給のバランス)にはずれがあるから、財の一部では過剰需要が発生する可能性があり、そこでは価格の上昇が生ずるだろう。したがって、言うまでもなく、財政出動の上限近くでは、財政政策、金融政策ともに慎重な運営が必要になる。

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◎最後に、もし、この内容に係わる何かについて(特にペーパーに)書かれる場合は、参照文献として拙著『日本国債のパラドックスと財政出動の経済学』(新評論、2013)を上げていていたければ幸甚です(なお、このページだけでなく、このブログの「New Economic Thinking(新しい経済学)シリーズ」に書かれていることは、ほぼこの本に書かれています。また、「財政出動論シリーズ」に書かれていることの大半も同様です)。