2013年9月27日金曜日

財政出動論26 財政赤字の主因は放漫財政でなく設備投資の変動

修正:280209 米国のグラフを2014年まで延長 270208〜09 米国のグラフに矢印など追加260718 参考として米国の部門別資金過不足のグラフを追加。251128前書きに加筆。251001タイトルを少し変更。

   財政再建を重視する論者の議論を見ると、財政赤字の原因が政府の過剰なサービスにあることは自明なことと考えられているようだ。そして、その「過剰」の原因は、政府省庁や政治家が圧力団体・抵抗勢力の圧力で支出を拡大した結果だと簡単に考えられている。
    たしかに、財政赤字が政府自らの選択の結果であれば、財政赤字も財政緊縮も政府次第、政治家次第でどうにでもなりうることになる。また、こうした発想は、政府の収入支出は(個々の家計や企業と同様)経済全体の動きとは無関係であるという見方にも支えられている。
    したがって、財政赤字の解消対策は、抵抗勢力との戦いを制して政府支出をカットすればよいという単純な話というわけである。

    しかし、日本の政府規模は、すでに先進国の中では(財政的にも、人員面でも)相対的に小さな政府に属する(→日本の行政システムは非効率か?参照)。とすれば、政府支出の単純なカットは、他の国々に比べ、政府によるサービスの水準を低くすることになる可能性が強い。また、財政赤字は、経済全体とは無関係なのだろうか。

   そこで、ここでは、日本の財政赤字の原因が、政治家の怠慢による放漫財政が原因かどうかについて概観する。
    なお、ここで使っているグラフは、平成25年10月10刊の日本国債のパラドックスと財政出動の経済学」(新評論)(→→紹介ver.2紹介ver.1アマゾンで使ったものの転用です。このため、少し無駄な記号が入っています。

   次のグラフは、日銀の資金循環統計でみた、日本の部門別資金過不足を表している。資金過不足とは、1年間に生じた貯蓄と負債(負債は負の貯蓄と考えればよい)の増減を表していると思えばよい(なお、言うまでもなく、これは、貯蓄や負債の総額(ストック)ではなく、毎年の変化分(増減した分)を示している)。
    ある部門で資金が余れば、それは貯蓄となって金融機関などを通じて他の部門に貸されて使われる。ある部門が逆に資金不足であれば、金融機関などを通じて他の部門の貯蓄を借りている(その部門では負債が増加した)ということである。
   
    グラフで、0より上側にある部門は貸す側であり、下側は借りる側だ。上側と下側を足すと必ずゼロになる。資金循環統計はこれ(すべて足すとゼロになること)を前提として作成されている。これで明らかなように、誰かが貯蓄を増やせば、必ず別の誰かがそれと同額だけ負債を増やさなければならない(これは、別の誰かが負債を増やしてくれなければ、あなたは貯蓄を増やすことは出来ないということでもある(このことがわかっていない人が、結構多いと思います))。
《各部門》
ピンク・・・非金融法人企業:一般企業のこと
黄色・・・一般政府:国、地方政府(県、市町村など)、社会保障基金(厚生年金など)の合計
緑色・・・家計     水色・・・海外:他国     その他は略

    ここで、黄色(一般政府)の変動に注目してみよう。まずA以外の時期では、黄色は常にグラフの下側にある。つまり、これはAの時期後、長期にわたり、一般政府が資金不足で他部門から借入を続けてきたことを意味する。
    次に、この黄色は、特に4つの時期(B〜E)に急速に変動したことがわかる。Bはバブルの崩壊時、Cは消費税増税後の橋本不況時、Dは米国バブルによる輸出増加期、Eは米国住宅バブル崩壊時(リーマン・ショック)である。

    ここで、ピンク(一般企業)をみると、それが黄色(一般政府)の急変動と、常に逆方向に急変動していることがわかるだろう。以下、この関係を中心に各時期を順に見てみよう。

1 Aの時期:この時期、家計が貯蓄し、一般企業は家計の貯蓄を借りて設備投資を行っている。これが普遍的に「正常な」経済である(家計が貯蓄しているのに、その貯蓄を企業が借りて設備投資をしなかったら、(貯蓄は宙に浮いて)需要不足となり、もちろん大不況である)。

2 Bの時期ピンク(企業)が急速に借入(資金不足)を縮小している。当時はバブル崩壊で、企業は設備投資を縮小したために借入の必要がなくなったし、資産価格の急低下で、資産に比べて過剰となった負債(借入金)をどんどん返済していたのである。
    この設備投資の縮小で経済には需要不足が生じたため生産は減少して、政府の税収は急減し、また景気対策のために財政出動を行ったから、黄色(一般政府)は借入を急速に増やすことになった。これによる財政出動の結果、経済の落ち込みはそれほどでもなかったのである(の政府赤字の急増は、民間需要の減少の一部を政府需要の増加で補った結果であり、それによって全体経済の落ち込みを一定程度抑制した代償なのである)。

3 Cの時期消費税増税、アジア通貨危機、国内金融危機と続き、景気は急速に悪化し、ピンク(企業)は、グラフで0より上に転換(資金余剰部門に転換)し、自ら貯蓄を積み増すようになった。これは極めて異常な状態というべきである(こうした現象は日本だけでなく、重い不況下では世界的に《各国で普遍的に》見られる)。この結果、企業の設備投資のさらなる縮小で、需要不足が拡大して景気は悪化した。この結果、税収の減少に加えて、景気対策としての財政出動や減税によって、黄色(一般政府)の資金不足は急速に拡大した
    ・・・企業も家計も貯蓄を積み増しているということは、民間で貯蓄を借りて使う主体がなくなっているのである。残る「海外」か「政府」のいずれかが借りて使わなければ、経済は破局に向かってスパイラルで落ち込んでいっただろう。「海外」は海外の景気動向や他国の政策に左右される。確実なのは「政府」しかなかったのである。

4 2000年代に入ってITバブル崩壊からの回復後、米国の住宅バブルで米国の輸入が増加したのに合わせて、日本の輸出も増え、経常収支の黒字が拡大(これは、同額の資本収支の赤字(=海外への貸付=海外の借入・負債が増加)拡大を意味する)した

5 Dの時期のとおり、輸出が「継続的に」拡大し続けたことを見て、輸出産業は供給力の増設に動き出し、輸出関連企業が設備投資を拡大したため、企業の資金需要が増加し、ピンク(企業)の資金余剰は急減した。これによる需要の増加で、生産が増加し経済が活性化したことで税収が増加し、財政出動の必要性も低下したことから、黄色(一般政府)の資金不足は急速に縮小した

6 Eの時期:2008年9月のリーマン・ショックで、米国への輸出や、米国への輸出で活況を呈していた東アジア各国への輸出が急減することを予想して、日本の輸出産業は急速に生産調整を行うとともに、輸出向けの設備投資を削減したため、ピンク(企業)は再び資金余剰を拡大させた。それに応じて生産が縮小して税収が減少し、経済対策のために財政出動を行ったことから、黄色(一般政府)は、再び資金不足を拡大(財政赤字拡大)した⑧

7 以上のように、いずれの時期でも、黄色(一般政府)の資金不足(財政赤字は、ピンク(企業)の資金過不足連動して変動を繰り返していることが明らかだろう。

    では、これは、どちらが主導で起きたのだろうか。2つの説があり得る。
    第一は、政府の赤字が、景気特に企業の設備投資の変動に受動的反応して変動しているというものだ。
    第二の仮説は、政府が無駄遣いを急速拡大したり、縮小したりしたために、企業の設備投資が急変動したというものだ
    景気動向と無関係に政府が財政支出を拡大する場合、そのための資金を調達するには国債を大量に発行する必要があるが、そうなると、それが企業の設備投資資金の調達と競合して、企業が資金を調達できなくなり、その結果、設備投資が縮小するメカニズムがあり得る。サプライサイドを重視する新古典派系経済学者は、おおむねこのように考える。

    しかし、例えばDの時期の変動をみると、明らかにピンク(一般企業)の設備投資の急減が黄色の変動の原因であることは明らかだろう。またCの時期の政府の資金不足の急減が、政府のイニシアティブによって生じたというのも事実に反する。これは小泉政権の末期だったが、この時期には明らかにそうした大規模な政策の変化はなかったBの時期も原因は明らかにバブル崩壊による。Eの時期もリーマン・ショックによる輸出の急減を予想した輸出企業が設備投資を急減させたことによるものだ。

 ◎ つまり、以上の、政府赤字の急変動はすべて企業の設備投資の急変動を原因として受動的に生じたものである。だから、第一の説が正しいと考えるべきだ。そもそも、放漫財政なら、以上のような急激な赤字の拡大縮小は普通は生じないだろう。だから、以上の理解は当然に思える。

【参考】米国の例
   リーマンショック後の先進各国の動向も、以上の理解と整合的である。下のグラフは、米国の部門別資金過不足である。
    少し違って見えるのは、米国が恒常的な経常収支赤字(→資本収支黒字)のため海外部門(水色)が資金余剰(=資本収支黒字)であること、また金融企業の資金余剰は米国が金融立国であることと関係している。また家計部門は、恒常的な資金不足で毎年借入を超過させながら活発な消費をしていたことだ。
    こうした米国経済の基本特性を踏まえて、それからの乖離をみていただければよい。
    第1に①ITバブル崩壊でも、②住宅バブル崩壊ーリーマンショック後でも、等しく一般企業(非金融法人企業(ピンク))の資金不足は縮小している。住宅バブル崩壊の場合、08年に縮小に転じ、09年は資金余剰に転換、10年は再び不足となったがそれもわずかだった。
    第2に、住宅バブルの崩壊を反映して、それまでずっと資金不足(借入超過)を続けてきた家計部門(緑)は、08年にプラスマイナス・ゼロとなり09、10年度には資金余剰部門に転換している。
    こうした動きに合わせて、政府部門(青紫)は資金不足を拡大縮小していることがわかるだろう(ただし、米国は、家計部門の資金不足(赤字で借入)、金融部門の資金余剰、海外部門の資金余剰(海外からの借入)の影響が大きく、若干わかりにくい)。

8 補足
(1)もっとも、すべての赤字の原因が景気変動によるとは言えないだろう。特に、日本の高齢化に伴う社会保障分野の負担は増加を続けている。これは、真の「構造的」な問題だ。・・・しかし、この原因としては、日本では少子化対策に本気で取り組まれたことがないことがある。実際取り組んだ他の国々では、明確に政策の効果が現れているのだ。

(2)しかし、ほとんどの財政再建論議では、以上のような景気変動に伴う財政赤字の変動分も含めて、ほぼ「構造的赤字」として捉え、景気変動に伴う巨大な赤字額を前提に、過剰な増税論議が行われている。
    これは、「構造的財政赤字」の算出方法が、実際には、いわば過去の平均値を元に計算されているからだ。このため、不況、長期停滞が長くなるほど、構造的財政赤字は自動的に大きくなり、景気変動が原因の循環的財政赤字分は小さくなっていく。

 ◎   これに関連する話として、永濱利廣氏の「財政赤字」のからくりを知ろ(日経ビジネス)が指摘する、基礎的財政収支では循環的要因よりも構造的要因の方が循環的に動いているという滑稽な現象が起きている(原因は「名目GDP成長率が1%変化したら税収が何%変化するかを示す税収弾性値が現実よりも低く想定されているためである」と指摘されている)という話もある
        注)税収弾性値については「財政出動論5交わらない『短期』と『長期』の視点
          の中段の下あたりで少し触れています。

(3)また、放漫財政であれば、日本の行政は無駄が多く、非効率になっているはずだ。しかし、日本は、先進国の中でも、財政規模が最小クラスであり、公務員数も少ない
    これについては、「日本の行政は非効率か?」でも触れた。

(4)企業が(貯蓄を借りて=負債を増やして)設備投資を増やさないうちに(つまり、設備投資が回復しないうちに)、政府が財政再建(これには、増税か財政支出の削減のどちらか、又は両方が必要。今回の消費増税では両方が予定されている)に取り組めば、経済全体で貯蓄された資金が需要になる割合が減少して、不況が深化する。・・・これは消費税増税の議論に係わる。

2013年9月13日金曜日

財政出動論25 リカード中立命題と負担の次世代先送論

    25年10月10日に新しい本(「日本国債のパラドックスと財政出動の経済学」(新評論)→→紹介ver.2紹介ver.1アマゾンを出版しました。・・・以下の内容も、これに含まれます。
=======================
修正経過270220 (この頁の上段)1の(3)のつぎに「(3)のBボーエンらの議論の誤り2」を挿入。270216〜17 (この頁の中段あたりの)1の「(8)のBバローの遺産」の意味を考え直す」という項を追加。260529 リカード中立命題に関するスティグリッツバートシラーの評価を(参考までに)挿入しました 260508冒頭に松尾匡さんからの引用を挿入 260213地方債、社債について追加(下段の「4補足の(2)挿入)260211さらに補足。2602091940年代以来の「公債負担論争」の経緯などを中心に、内容を補充しました。なお、結論はまったく変わりません。251218新著の「マクロ的中立命題」という用語を中段で付言。251111タイトルをさらに修正。251001タイトルを少し修正。250919末尾に4(以上の理解と「日本国債の安定性」)を追加、2509153の補足(2)に非ケインズ効果等について追加
==================
関連
New Economic Thinking 13 世代会計と等価定理 
New Economic Thinking3 リカード中立命題とマクロ的中立命題 
財政出動論12 財政出動とリカードの公債中立命題 

    松尾匡先生が、「1453日 執行残も貿易赤字も雇用拡大を止めない」というエントリでこのページのテーマに関連することを少し書いておられる(以下が引用)。
現在世代に課税したらその分将来世代が手にする遺産が減るので、一世代全体をまとめたら、課税を将来世代に延ばしても世代間負担は変わらない・・・一国の税や財政の問題は、その気になればおカネが自由に増減できて外的制約にならないので生産資源の配分のあり方の問題としてとらえないと本質がつかめない。」

    この松尾先生の観点は、以下のこのページの観点とは光の当て方が少し違うが、互いに整合的である。(以上、26.5.8挿入)

    以下のこのページの内容を要約すると、国債発行が「負担の次世代先送り」だという根強い議論は、次の点などから、経済学的には明確な誤りであるというものだ。

①    閉鎖経済(〜経常収支均衡経済)・経常黒字国(+基軸通貨国)では国債発行は、同世代の家計(などの民間)から政府への所得移転ないしは資金移転に過ぎない(とするなら、家計(などの民間)は発行時点で「負担」をしている)。


②    また、将来の国債の償還時点での増税を財源とする国債償還は民間から増税でお金を吸い上げて、それを再び国債保有者である民間に返しているにすぎず、単に同じ世代内のお金の再配分にすぎない
        したがって、この将来世代が新たな負担をしているわけではない。もちろん、政治的には増税は負担だが経済学的には新たな負担はない

③ リカード中立命題に係わる議論については、異なる観点を提示する。



1 野口悠紀雄氏・・経済学者にも誤りに囚われている人が多く「ショックを受けた」

    「財政出動論24(消費税増税の影響)」の中段の下の辺りで、野口悠紀雄氏の発言を引用したものを再掲すると、次のとおり。

    将来世代への負担転化論について、野口悠紀雄氏は次のように述べている。
     「国債が負担を将来に転嫁するという誤解・・・国債が内国債である限り、負担を直接に将来に移すことはできない・・・復興財源をめぐる議論で、経済学者の中にもナイーブな誤りにとらわれている人が多いことがわかって私はショックを受けた。」(野口悠紀雄[2012]『消費増税では財政再建できないー「国債破綻」回避へのシナリオ』ダイヤモンド社77~ 79頁)

    この野口氏の認識は正しいと思う(ちなみに「ナィーブ」というのは「素朴な」という意味)
    この理解は、基本的には、ラーナー(1948)によるものである。しかし、その後の、いわゆる「公債負担論争」によって、ラーナーの見解は否定されたというのが現在の「通説」である。
    Lerner,A.P. (1948), "The Burden of the National Debt ", in L.A.Metzler and the others (ed.) Income , Employment, and Public Policy : Essays in Honor of Alvin H. Hansen.

   しかし、その通説には問題があると考える。

(1)国枝氏
    こうした通説の理解を、例えば、國枝繁樹氏の『「内国債は将来世代の負担ではないから積極財政を実施すべし」のウソ』2011年9月20日(日経ビジネスオンライン http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20110914/222645/?rt=nocnt ) でみてみよう。全体として通説の解説として頷けるが、いくつか気になる。例えば、

        ・・・しかし、(内国債への投資は)ほかの資産への投資と異な り、内国債の元利
    支払いの原資は、政府が将来世代に課税して調達しなければならない。この増税分
    の負担が将来世代の負担なのである。
        確かに増税分は、そのまま、内国債の元利支払いに回るので、将来世代は(世代
    全体としては)課税された額と同額を受け取る。その点をとらえて、ラーナーらは、
    内国債は将来世代の負担ではないと主張したのだが、もし貯蓄が内国債以外の
    かの資産に投資されていればそんな税金など支払うことなく、元本と収益を受け
    取り、全額消費することができる。その差が、将来世代にとっての負担である。

    →これは、おかしい。ここでは、将来世代が元利支払いを受けた金額をどうするかが忘れられている(将来世代は増税もされるが、その金で内国債の元利支払いを受ける)。元利支払いを受けた将来世代は、それを全額消費することが出来る。つまり、ほかの資産に投資した場合と内国債に投資した場合に、変わりはないのである。

    しかし、問題は、ここに見るような誤りほど単純ではない。以下、清水 (2002) 氏の展望論文における公債負担論争史の整理に基づいて、この問題を考えよう。
    清水俊裕(2002)「財政赤字の負担は誰が負うのか : 公債負担論の展望」『経済貿易研究 : 研究所年報』28(神奈川大学貿易経済研究所)

(2)ボーエン,デービス&コップ
   「公債負担論争」の時代に戻って見てみよう。ボーエン,デービス&コップ (1960) は、公債発行時の世代公債償還時の世代間を区分して、負担の世代間の転嫁が起こることを示す。まず、公債発行時の世代で公債を購入した者は、次の公債償還時世代に公債を売却すれば、いつでも公債購入分の貯蓄を消費に使える(ため負担は免れる)。一方、それを買った公債償還時世代は、それを買った上に、さらに政府が公債を償還するための増税を負担する。政府の増税自体は、償還で同じ公債償還時の世代に戻されるから、増税は同じ世代内でチャラとなるが、前の世代(公債発行自の世代)から最初に買った負担分だけは残るという。すなわち、負担は次の世代に転嫁されると言うわけだ。
 Bowen,W.G.,R.G.Davis and D.H.Kopf (1960) ." The Public Debt : A Burden on Future Generations?" American Economic Review,50.

    こうした理解は現在でも
負担の次世代先送り論」の核となっているとされる。しかし、こうした考え方には、根本的な問題がある

(3)ボーエンらの議論の誤り
    ボーエンらの議論には問題がある。
    すなわち、そもそも、公債償還時世代は、公債発行時の世代から公債を買わないだろう公債償還時世代に完全合理的な代表的個人を仮定すればもとより、多少とも合理的ならそうした負担が生ずる公債を買うことはない買う義務もない自由な市場なら(強制を仮定しない限り)公債は世代間では売買されない。
   したがって、彼らの議論は、あり得ないモデルを仮定しているのである。
   では、発行された公債はどうなるのだろうか。第一に廃棄されるかもしれない(これは発行時世代が「負担」する)。この場合、政府は増税の必要はない。これは非現実的かもしれないが、インフレが生ずれば同様のことが起きる。
    第二は、次世代に無償で贈与される(遺産相続である。この場合も無償だから、発行時世代が負担していることになる)。これが現実的だろう。

    もう少しかみくだいてみよう。まず、上記の議論は、各世代が1人ずつの社会なら、明らかに成立するだろう。では、各世代に複数の構成員がいる社会で、償還時世代の内の一人が、自分は何らかの理由(想定される税目などで)課税を免れると考えて買うのだろうか。だが、どのような課税方法で増税するかは不確実だ。
    彼は、単に遺産相続を待てばよいのである。そうすれば無償で公債を取得できる。無償で取得できる公債をわざわざ有償で買う人間がいるだろうか(当然、償還時世代のうち遺産をもらわない人たちは買わない(買えば損である))。

    これで終わりだが、もう少し、こうした無償移転の含意を考えて見よう。

    わかりやすく理解するには、企業を考えればよい。企業に寿命はない。したがって、そもそも世代間の「売買」は存在しない。ちなみに、日本国債の購入者に占める個人の割合は数%(2%前後)にすぎない。それ以外は、寿命のない法人である。これは他の多くの国々でもほぼ同様で大差がない。
    つまり、誰が持っているのか?と言えば、それは金融機関をはじめとする企業である。家計(現在はこれに企業が加わる)が行った貯蓄を金融機関などの企業が運用しているのである。したがって、家計は金融機関(企業)が何に投資しているかを離れて、自らの理由で貯蓄したり、引き出したりしているのだ。何かを消費したければどの世代でも自由に引き出せる。この意味で、発行時世代であろうが償還時世代であろうが、どの世代でも家計の負担は変わらないのである。

    公債を直接購入している数%の家計(個人)については、上で整理した。

   あらためて・・・そもそも、経済全体は(企業のように)連続して回転を続けているのである。現在の経済は1秒前あるいは1時間前の経済を引き継いでいる。あるいは1年前の経済を引き継いでいる。さらに同様に1世代前の経済を引き継いでいる。企業が死滅することなく続いているように、経済全体も死滅することなく、連続している。そうした連鎖の中で個人の「遺産」の仕組みも同様の連鎖のメカニズムの一部として機能しているのである。
    こうした連続の中で引き継がれ続けているのは「遺産」だけではない。資産と負債が時間を超えて引き継がれる。資産と負債だけでなく、企業などの組織、技術、知識、ノウハウ、教育訓練、個々の職、取引関係その他諸々の経済システムの時間を超えた存続(遺産を含む)・引き継ぎは、そうした経済メカニズムの一環として機能している。

   さもなければ、経済の回転は止まるのである。経済の連鎖の中で、売買によらずに債権債務が引き継がれるのは、負債(負担、デメリットと言ってもよい)を引き継ぐと同時にそれに対応する資産(メリットと言ってよい)も総体として引き継がれているからだ。

   そうした連続体としての経済システムの中で、公債の売買ないしは移転だけを取り出す議論は、部分均衡的であり、それをマクロ経済全体に当てはめることは出来ない。多くの要因が脱落するからだ。
    負担や負債が引き継がれるなら、それによって生み出された権利や資産も引き継がれる。前者と後者はバランスし常に一致している。ミクロではともかく、マクロで負担だけが残されるということはあり得ない。マクロ経済は、時点時点ごとに常にバランスしている。連続したバランスのある経済から、負担だけが一方的に超過した経済が生まれることはない。負担だけが後世代に引き継がれるということはあり得ない。

    すなわち、ボーエンらの議論に基づく「通説」は、ミクロ的な視野の狭さが生んだものであり、誤っている。

(3)のB ボーエンらの議論の誤り2
    ボーエンらの議論については、もう一つ問題がある。
    上の(3)の議論では、公債を購入した者の負担しか考えていない。公債を購入すれば、購入者の資金は固定される。その購入者が売却しても、さらにそれを購入した者の資金は元の購入者の資金に代わって固定される。常に民間資金が固定され続けるのである。したがって、もし、資金需給がタイトであれば、それは、民間消費と設備投資に影響を及ぼすはずである。これは、(公債購入者だけでなく)その時点の経済全体に影響を及ぼすはずである。
        注)しかし、不況期には資金需給がタイトではない。この点については、
           (9)で論じている。ただし、資金需給に余裕があるとしても、この
           公債発行時世代が「負担」をしていることは変わらない(負担感がな
           いというだけである)。

    つまり、公債発行時点で、すでに公債発行時世代の民間経済は、公債発行によって負担をしているのである。すでに負担をしているのに、それが将来の世代に転嫁されると考えること自体、おかしいと考えるべきだろう。

(4)モジリアーニ
    Modigliani(1961) は、この問題に、経済成長のための設備投資資金の問題を導入した。政府が公債を発行して財政出動を行うと、民間の設備投資に使える資金が(公債による吸収で)減少し、将来世代は、設備投資減少による資本蓄積低下で経済成長率が低下するという負の負担を受けるという論点を導入した。

(5)モジリアーニの議論を需要不足と需給均衡でみる
    モジリアーニの議論は、拙著の主要テーマに係わる。すなわち、需給均衡下や超過需要下の財政出動では、モジリアーニの指摘するような経済成長率低下といった問題が生ずるが、拙著は需要不足下ではこれは成立しないと考える。
    拙著がそう考える理由は、財市場の需要不足(≒不完全雇用)を考えるからだ。財市場で重い需要不足があるとき、財市場で使われなかった資金(購買力)が債券市場等に流入するため、公債発行が民間の設備投資をクラウドアウトすることはない。つまり、民間の設備投資を抑制することはないと考えるためだ。
   公債負担論の研究は、ほんとんどが完全雇用、財市場の需給均衡を前提にしているから、設備投資に影響するという結論は頷ける。しかし、財政出動が、不況対策や今日のような重不況下で行われるなら、これは問題にならない。

    なお、清水 (2002) は、公債負担論研究に関する展望の中で、現在の研究がほとんど完全雇用を前提に行われており、不完全雇用下の研究が不足している問題を指摘している。

    また、田中(2010)は、不完全雇用下の国債の負担問題について(純粋な固定価格の世界(需給均衡が数量調整による場合)という条件下で)、完全雇用の場合とは異なって国債償還のための税負担の転嫁が将来世代の効用を悪化させることはないという結果を導いている。

    田中淳平(2010)「不完全雇用下の国債負担:シンプルなモデルを用いた再検討」The Society for Economics Studies The University of Kitakyusyu Working Paper Siries ,2010-4

    拙著では、不完全雇用(≒需要不足)か完全雇用(≒需給均衡)かは、財政出動のプラスマイナスの効果を大きく左右するが、この視点と田中(2010)の結果は整合的である。

(6)バローの中立命題に基づく遺産の影響
    後出のバローのリカード中立命題に基づく議論にも、この問題が大きく関わる。

    バローは、中立命題論に基づいて、公債発行世代は、公債償還時に子世代が直面する将来の増税に備えて遺産を残すと考える。この結果、公債償還世代への負担の転嫁はないと考える。これは、本ページの上記(3)の議論に近い。

    しかし、このバローの中立命題に基づく議論では、同時に、遺産を残すために、公債発行時世代は貯蓄を増やす必要がある。したがって、公債発行で財政出動しても、(所得のうち貯蓄に回す分が増えるから)消費が減少する。このため、財政出動に効果はないと考える。
    これが(上記の国枝氏が整理するように)現在の通説的な理解である。

    なお、通説とは言え、すべての経済学者がこれを支持しているわけではない。例えば、拙著ではスティグリッツの評価を引用している。同様の引用を「財政出動論12(財政出動とリカードの公債中立命題」でも行っているので、同じ内容をコピーしておこう。

   スティグリッツ1943〜。コロンビア大学教授。2001ノーベル経済学賞)は、「世情にうとい経済学者がよく持ち出し」…「全米の大学院で教えている”リカードの等価定理”…」については「まったくのナンセンス(sheer nonsense)と評している(J.E.スティグリッツ2010]『フリーフォール』徳間書店。115116頁)

    また、ロバート・シラー(1946〜。イェール大学教授。2013年ノーベル経済学賞。01年のITバブルの崩壊や、サブプライム危機前に住宅バブルを警告していたことで有名。住宅価格に関する米S&Pケース・シラー住宅価格指数の開発者でも知られる)も、近著で、リカード中立命題のバロー的解釈について「・・とはいえ、これは多くの経済学者が思っているよりもはるかに実用性は低いのだが。」と述べている(R.シラー(2014)『それでも金融はすばらしい』東洋経済新報社。262頁)
    次の(7)でこれらの評価の意味を見てみよう。

(7)バローの中立命題  (下でも改めてふれるが)
   拙著では、この下でもふれるように、中立命題に関するバローの解釈は非現実的であり、問題があると考える。

    ただし、拙著では、別の理由で、リカードの公債中立命題(バローの解釈)と同様のことが生ずると考える。
    すなわち(拙著では)政府が公債発行で民間の資金を吸い上げれば、その分だけ民間の資金は減少するため資金の制約(→予算制約)で民間の購買力は減少すると理解する。これによって、バローのような超合理的な個人というメカニズムを考えずとも、単純に、その時点の予算制約によって確実に消費や投資が減少することが導かれる。使えるお金が減少するのだから、消費や設備投資が減るのは当然だろう。これは、バローの中立命題の解釈のように、あやふやな「将来期待」に依存していないことに注意して欲しい。

    民間の資金を吸い上げるのは増税も変わらないから、公債の発行は、増税財政出動を行うのと同じ効果を民間経済に与える。それだけで、公債中立命題のバロー的解釈と同様のことが生ずる
    しかし、メカニズムは全く異なる。リカード中立命題のバロー的解釈に沿った現象が仮に実証的に検出されても、それは、こちらのメカニズムによると考える方が自然である。こちらのメカニズムをリカード中立命題のバロー的解釈と区別するために、拙著では「マクロ的中立命題」(後出)と呼んでいる。

    例えば、バローの議論は、リーマンショック後の状況にはまったく適合しない。バローの議論では、まず①政府が公債を発行する。→次に②家計(個人)が将来の増税に備えるために、貯蓄を増額する。→③家計の消費が減少する。→企業はそれをみて設備投資を減少させる。・・・というように進行しなければならない。
    これは、出発点で完全雇用、財市場の需給均衡が仮定されているからだ。このとき、(バローの観点では)政府が公債を発行すると債券市場は供給超過になり、金利が上昇するはずだ。実際はそうではなかった。バローの観点では、この(実際の)ように金利が低下したとしたらそれは中央銀行の金融緩和政策によると考える(ちなみに経済学の標準的理解では、金利が低下すると設備投資が増加して、景気が回復するため、ゼロ金利が発生することはない(だが、現実には、発生している))。

    これに対して、拙著の考えでは、リーマンショックなどの不況で設備投資と消費が減少し、それによって財市場に需要不足が発生する。このとき、需要として使われなかった資金(購買力)が債券市場等に流入する。この結果、債券市場には超過需要が発生し、債券価格は上昇して金利は低下する。つまり、不況になると金利が低下するのは自動的に生ずることであると考える。名目金利低下の原因は、設備投資減少の結果である。つまり設備投資の減少は、金利とは無関係に生じている。だからこそ、金利が低下しても、設備投資は増加せず、ゼロ金利が実現するのである。

    なお、「不況期に資金余剰が発生する」ことは、別のページの「貨幣流通速度で不況期資金余剰」で、ある程度実証的に示した(したがって、不況期には余剰となった資金が債券市場に流入して金利低下が生ずることが予想される)。これは、拙著の観点と整合的である.一方、通説的理解はこれを説明できない。

    リーマンショックで現実に生じたのは、次のようなプロセスだ。①住宅市場のバブルで、土地、住宅の値上がりを前提に、サブプライムローンの貸出が増加する。→②しかし、徐々に住宅資金貸出市場では貸出条件の緩いサブプライムですら貸出相手の質が低下していく。このため、デフォルトを懸念して貸出額が伸びなくなる。→③土地住宅の買い手が減少し、土地、住宅価格の上昇が止まる。→④サブプライムローンのデフォルトが増加する。→⑤住宅市場に流入する資金がさらに減少し、住宅バブルが崩壊する。→⑥家を失う家計や、巨額の負債を抱える家計や企業が続出し、消費や設備投資が縮小する。→⑦住宅債券を組み込んだ多額の仕組証券を保有していた金融機関の破綻が始まる。→⑧リーマンショック。→⑨金融機関の信用危機が発生し、貸出が急減する。→⑩さらに、消費の減少や金融機関の貸し渋りを見て、一般企業が設備投資を縮小する。→⑪このため、資金が余剰となり、金利は低下する。→⑫そして財政出動のために政府が公債を発行する。

    例えば、消費減少の時期(貯蓄の増加の時期)は、バローの議論では、財政出動でなければならないが、現実には、財政出動の前に生じていたはずである。(もっとも、民間が財政出動しようとする政府の動きを予測し、事前に消費を抑制して貯蓄を増やしたのだと強弁されるのだろうが。)

(8)現在の通説:バローの公債負担の次世代先送否定論+財政出動の効果否定論
    今日では、上でふれたように、公債の負担論は、このリカード中立命題との関連で考えられるようになっている。バロー(1974) 等は、この問題に中立命題の公債発行世代が次世代のために残す「遺産」を考慮することによって理解できると考える。
    Barro R.J.(1974),"Are Government Bonds Net Wealth? ", Journal of Political Economy,82.

   上でみた国枝先生の整理(の他の部分)にあるように、通説」的理解では、リカード中立命題とバローの遺産論を認めるなら(それが仮に実証的に正しいなら)、公債負担の先送りはないが、逆にその場合は、中立命題により財政出動の効果もないとなる。

(8)のB バローの遺産」の意味を考え直す
      27.2.16〜17 ・・・ himaginaryの日記『財政赤字は将来世代からの盗用なのか?」を読ませていただいて→この項を追加。

    少し重複になるが、あらためて、バローの遺産に関する議論を整理してみよう。政府が景気対策のための財政出動の資金を調達するために公債を発行すると、家計などは、将来その公債を償還する際に増税が行われると考え(合理的期待)、それに備えて貯蓄を増やす(=消費を縮小する)。すると、公債発行による資金で政府が財政出動しそれで需要が増えても、消費の減少で需要が減少し、それが財政出動の効果を相殺してしまうとバローは考える。

    そして、公債を償還しなければならない時点になると、政府は増税を行い、その資金で公債を償還する。このとき、家計などが増税に備えて予め貯蓄しておいた資金で増税に対応すれば、償還時の民間経済に新たな負担は生じない。償還時点でまだ、公債発行時世代が生きていれば、そうなるだろう。

    しかし、公債発行時世代が亡くなっていたらどうなるかとバローは考える。死期が迫った時点で(自分が生きている内に増税はないと確信したら)増税向けにしておいた貯蓄をぱーっと使ってしまってから死ぬのだろうか。バローは、子の世代が増税を負担するときのために、親は遺産として残す(残す人の割合が結構高い)だろうと考えた。

    このようにバローが考えるメカニズムは、①公債発行時の(貯蓄増加による)消費低下が、財政出動の需要増加を相殺することと、②公債償還時点で遺産があれば、公債が負担の次世代先送りにはならないという2つの点を同時に説明しているわけだ。

    注)ちなみに、この議論は、政府が公債を発行した時点で、誰がどのような
         資金で公債を購入するかという点は除外して考えている。それを考慮する
         (この枠組みで見れば)さらに消費が減少するように見える。

    注)また、そもそも、古典派的に見れば、家計が消費を減らして貯蓄を増や
        せば、金利が低下するから、企業は金利低下に刺激され、それを借りて設
        備投資を増やすので、(消費は減っても設備投資が増えるため)需要は減
        らない。ところが、現実はそうはなっていない。原因は何だろうか。まず、
        金融市場の硬直性が考えられる。しかし、今日の先進国で、規制などによ
        金融市場の硬直性で、預金が企業に流れないということは考えられない。
        企業に資金が流れず設備投資が増加しな いのは、金融市場の需給要因で企
        業に資金需要がないと考えるのが自然だ。

    だが、貯蓄動機を調査しても、将来の増税を意識してというのはほとんどないという結果が出ているし、上の(7)で見たように直近のリーマンショック後の経済変動状況とも合致しない。

    したがって、バローが中立命題で主張しているような、将来の増税を予測して貯蓄を増やすという行動が取られることはない。つまり、財政出動の効果は相殺されないと言えると考える

    公債発行時世代は次世代に遺産として経済システム全体を残す

    つぎに、ここで(3)に再び戻ってみよう。(3)の視点によれば、公債発行時世代が、次の世代に残すのは、公債の負担のみではなく、公債を財源とする財政支出増によって活性化した経済システム全体である。しかし、このような観点は、通常、問題を単純化するために導入する「世代重複モデル」などでは、考慮の対象から脱落してしまう
          注)もっとも、バローの観点では、財政出動の効果は、増税に備えた貯蓄
              増加で消費が縮小して相殺されてしまうから、財政出動は経済システム
              に影響を与えない考える。このため、これは問題ではないことになる。

    だが、バローの考えた「遺産」移転のメカニズムを、経済システム全体の次世代への移転に拡大して考え、公債発行時世代が経済システム全体を」「遺産として」次の世代に残すのだと考えれば、それ以後は、バローが考えた「遺産」のメカニズムが同様に適用され、成立することになるといえるだろう。このとき、その遺産(経済システム全体)が、財政出動によって大きくなっているなら、遺産のメカニズムは、負担の次世代先送り問題を生じさせないことになる。

    財政出動の結果、次世代に引き継がれる経済システムは大きくなってる?
    
    つまり、経済システム全体を」「遺産として」次世代に残すとき、その経済システムが、財政出動によって大きくなっているかどうかが問題になる。
    仮に、その財政出動が掘った穴を埋め戻す工事であった場合、それにより完成した「施設」に価値はなく、確かに、それは次世代には引き継がれない。これは、小野善康先生や飯田泰之先生の公共事業でできた施設の価値論(ただし注参照)も係わる。
                     備投資の価値と三面等価参照。

    しかし、建設業者が工事契約完了で受け取る金額のほぼ100%は、賃金、原材料費、建設機械の償却費やレンタル料、株主配当などとして経済全体に還流していく。その工事のために必要な労働者への賃金の支払いは、その工事が行われなかった場合に比べて消費を増加させる。それは消費財生産や住宅建設を増やし、それらを生産する企業の設備投資を増加させる。
    賃金による消費だけでも、経済全体の消費需要が増加し、生産が増加すれば、需要不足の場合よりも財・サービスの生産は増加し、それはそれを生産する他産業に従事する労働者家計の所得を維持し、全体として、その世代は豊かな消費や住宅投資を維持できるだろう。また、消費などの増加の中には耐久消費財や住宅の増加も含まれるから、それらは将来時点の家計あるいは次世代に残されるだろう。

    さらに、消費の増加に伴って生産企業の生産設備の稼働率が維持され、設備の償却も順調に行われるから、設備の更新投資も順調であり、更新された新しい生産設備は生産性を上げるだろう。また、消費が現在順調であることから、企業は将来の需要も順調であると考え、設備の増設投資も、需要不足状態の経済に比べれば多くなるだろう(逆に、直面する市場が需要不足だと企業が考えれば増設投資が行われないのは当然だろう)。それは生産財生産企業の売上を伸ばし、それらの分野でも設備稼働率が上昇し、雇用が増加するだろう。

    これらによって、経済が需要不足でない状態が維持されれば、家計は将来の雇用不安を感じることなく、消費を行うことができるから、企業は、将来の需要を低く見積もることはないだろう。したがって、企業は安心して設備投資を行うことができる。

    また、穴掘りと埋め戻しに建設機械を使用すれば、それは建設機械需要を増加させ、建設機械産業の生産を増加させる。それは少なくとも生産設備の更新投資を呼び起こし、新しい設備によって生産性は上昇する。また、そうした設備を生産する機械製造業の生産も増加する。

    穴を掘って埋めるだけでも、こうした効果が生ずる。もちろん、その工事が社会的、経済的に有用であれば、はるかによいから、そうしたものを選択していくべきだろう。だから、財政出動の対象を公共事業に限る必要はない。それ以外でも、より経済的な波及の大きい事業があれば、そこに資金を使えばよい。

    この結果、公債発行時の世代は、自らの苦境を脱するだけでなく、拡大した(生産設備などの資産を持つ)経済システムを次世代に残すことになる。少なくとも、資源を有効活用できず、効率の低下した(設備稼働率が低く人材が有効に活用されていない)経済を将来世代に残すことはない。

    これに対して、政府が財政出動の対象を選び、逆に家計や企業が選べないのはおかしいのではないかという疑問があるかもしれない。だが、第一に、政府は、選挙によって家計や企業に選ばれている。第二に、家計や企業は、(合成の誤謬によってであるが)自ら消費を抑制し、設備投資を抑制することでマネーを使わず、経済を不況に追い込んだのであり、自ら選択する自由を放棄しているのである。

    このとき、公債発行による景気対策(財政出動)が(効果がないという議論と)「負担の次世代への先送り」であるという議論は成立しないことになる。
        注)後述するが(下記の参照)、このことは負担」とは何かを考えれば、
            別の意味でも成立しない。すなわち、負担とは、マネーを自由に使え ない
           という状態であると考えれば、公債発行時点で、民間のマネーは公債に投
            資され、購入された公債は(今のように中央 行が買わない限り)常に
            間のマネーを拘束する(個々の銀などは売却できるが、換わりにそれを
            を購入した別の民間経済主体や銀行のマネーは固定れるから、マクロで
            民間のマネーは公債に拘束され続ける)。つまり、債発行時の世代は、
            債購入時点で既に「負担」をしている。それを次世代が再度『負担』す
            ることはあり得ない。

 なお、バローの遺産の議論では、その前段は、公債発行時世代が、自分の子孫にどの程度遺産を残すかは、利他的な動機の程度に依存することになる。ミクロ的には確かにそうだろう。しかし、マクロ的に、経済全体で考えるなら、経済システムに含まれる、負債だけでなく資産もすべてが否応なく次世代に(遺産として)受け継がれるのである。上記の議論は、この観点に立っている。

(9)バローの議論の評価
    こうした通説と拙著の関係はどうなるのだろうか。まず通説は、完全雇用、財市場の需給均衡という条件下では正しい。しかし、拙著では、これは需要不足下では成り立たないと考える。
    つまり、上でも述べたが、財政出動が有効か無効かと言う問題は、需要不足需給均衡かで異なると考える。

    理由は、不況下つまり財市場の需要不足下では、そもそも、財市場で需要として使われなかった資金債券市場等に流れ込むため、債券市場は超過需要下にある(だから、金利は低下)。
・・・また、そもそも、このとき、需要不足を受けて、民間企業は減少した需要に応じて設備投資を抑制しているためそもそも設備資金需要がない(そうした資金が使われないことが需要不足の原因であり不況の原因である)。

    したがって、需要不足という状況で政府が公債を発行しても、それが民間の資金不足を招くことはないクラウディングアウトもマンデル=フレミング効果も生じない。したがって、財政出動の効果は有効となる。
    (これを日本の長期停滞で見ると、例えば、景気循環学会・金森久雄編[2002]『ゼミナール 景気循環入門』(東洋経済新報社)は、90年代から2000年代初頭までは「金利の上昇などのクラウディングアウト現象は起こっていない」と述べている(217)。また、飯田泰之氏は岩田他編[2013]『リフレが日本経済を復活させる』(中央経済社)で「90年以降の大停滞期においてこのような金利上昇による消費・投資需要が抑制されたと考えることには無理がある。・・・金利も財政出動に連動した動きを見せていない」(186頁)「90年代の日本において、財政政策が金利の上昇をもたらしたという事実はない」(191頁)と述べている。)

    これに対して、財市場に超過需要があるときや需給が均衡している状況では、こうした余剰資金はないから、クラウディングアウトもMF効果も発生し、財政出動の効果は相殺される

・・・つまり、中立命題は、需要不足下では、財政出動の有効性とは関係がなくなる。この状況を左右しているのは、需要不足か需給均衡かという区別である。

2 国債発行の場合、現世代は負担をしないのか・・している

    「負担」とは何かと考えると、結局、それはその分「他のものを買えない」ということに尽きる。とすると、そもそも国債発行の負担は現世代がすでにしている。なぜなら、「マクロでは」国債を買った(家計などの)民間部門は、その分「他の用途に」お金を使えない(予算制約である)。だから、国債発行による負担は、すでに発行時点の世代(現世代が)がしているのだ。ただ、不況でお金を消費したり設備投資したりする意思がないので(だからこそ「不況」なのだが)、負担感はない。

(1)ミクロでは、増税は負担だが、国債は負担無しに見える
    もっとも、個々のミクロの経済主体から見れば、たしかに国債購入と増税は違う。増税は取られっぱなしだが、国債は売却すれば、そのお金はまた使えるからだ。仮に売却しなくても、それを担保にお金を借りれば、そのお金は使える。
    だから、個々の民間経済主体から見れば、国債購入は(売って換金できる)「資産」の購入である。だから、国債購入には「負担」はないように見える。

(2)だが、マクロでは、国債と増税は等価である
    だが、仮に、国債を持っている経済主体が「別の何か(消費財など)」を買おうとして国債を売却した場合を考えて見よう。確かに、売却した主体は、お金を使えるようになる。しかし、それを買った別の経済主体は、「新たに」その分「他の何か」を買えなくなる。

    このように、「他のものを買えないという負担」は、民間経済主体間を移転していくのである。したがって、民間部門全体としては、常に(その分「他の用途」にお金を使えないという)負担は維持されている。
    (マクロでは、つまり)民間部門全体としてみると、(国債を買えば)他のものを買えないという「負担」は生じたままなのである。

    ここで、次世代先送論に戻ると、上で見たボーエンらの議論では、国債を自分たちの次の世代に売れば、国債発行時世代は売った後はそのお金は自由になるから、負担を免れられると考えたわけだ。しかし、増税が予想されるなら、合理的な次の世代は、それを買わないのである。また、現実的にも、国債保有者は九十数%が法人だから、そこには「世代」間の売買という概念があり得ない。

    一見、それでも、発行時と30年後の償還時の企業の構成メンバーは、世代の移り変わりを反映しているから、償還時の負担はあるように見える。しかし、増税しても、それはそのまま償還のために、増税対象世代に償還されるのである。この世代のプラス・マイナスはゼロである。負担が生ずるのは、ボーエンらの議論のところで見たように、世代間で売買があった場合である。

    また、仮に、売買があったとしても、償還時世代は、そうした負担と共に、それに応じた資産を経済システム全体を前の世代から引き継いだ中で、引き継いでいるのである。企業の組織システム、職、技術、知識、ノウハウ・・・養育、教育・・・遺産などの形で。それらは、広い意味で「遺産」なのである。遺産は無償である。そして、遺産の引き継ぎは2つの世代で完結しない。償還時世代もまた次の世代に無償で引き継いでいくのである。

 増税で、増税分だけ民間経済主体が買える「他のもの(〜消費など)」が減ってしまうように、国債を買うことによる負担は、民間部門全体としてみると(マクロ的には)、増税と変わりがない
    国債の発行も増税も、民間部門からお金を吸い上げる点では、民間の需要に与える影響は基本的には変わらない。まさに、国債発行も増税も「等価」である。これは、「リカードの公債中立命題(等価定理)」と同様の現象を成立させ得るメカニズムなのである。ちなみに、拙著「日本国債のパラドックスと財政出動の経済学」(→アマゾン)では、これを「リカードの公債中立命題」と区別するために、民間のマクロ的な予算制約を原因とすることから、仮に「マクロ的中立命題」(これは、リカードの命題と異なり、会計的な性格のものだから命題というより、「マクロ的等価定理」がふさわしいかもしれない)とよんでいる。

(3)リカード中立命題のバロー的解釈は、マクロとミクロを混同している
    拙著は、上でも述べたように、バローの中立命題は認めないが「マクロ的中立命題」は認める。そして中立命題に絡んでバローが導入する、将来の増税を支払うための貯蓄を次世代に遺産として残すという(超合理的で非現実的な)立論には疑問を持つが、単に人は次世代に(一般的に)遺産を残すという点には同意する。それは、マクロ経済の連続性を、矮小化した形ではあるが、記述している。

   「リカードの公債中立命題」について見てみよう。リカード中立命題のバロー的解釈(リカードの解釈でもある。しかし、リカードは撤回している)とは、「家計が将来の増税を予想し、増税に備えて貯蓄するため、今の消費が減る」というものである。

    しかし、上で見たように、そもそも家計などの民間経済主体の可処分資金(キャッシュフロー)は、マクロ的には、(公債発行時点で)国債を買った分だけ減ったのだから、その分消費に使えるお金が減るのは当然である。このときに、バローが言うような「超合理的といえる」家計の将来の期待や予想などといったあやふやなメカニズムは必要ない。そんな非現実的なメカニズム無しでも、そもそも、単純に使えるお金が現実に減るのだから、それだけで消費は減ってしまう。

    バロー的な解釈は不要であるだけでなく、それはほぼマクロ経済学的に誤っている。リカード中立命題のバロー的解釈は、マクロとミクロを混同したものである。バローは、ミクロの家計等の行動しか考えなかったのである(ミクロ的基礎付けは考えたが、マクロ的制約は忘れていたということになる)。

 このように見ると、中立命題のバロー的解釈に関連するこれまでの(膨大な)研究はほぼ無意味だと思われる。財政出動の効果・無効果問題は、中立命題とは無関係であり、それとは別に考える必要がある。

    ちなみに、「財政出動論12(財政出動とリカードの公債中立命題)」での引用を再掲すると、ジョセフ・E・スティグリッツ1943〜。2001ノーベル経済学賞受賞)は、リカードの公債中立命題について「世情にうとい経済学者がよく持ち出し」…「全米の大学院で教えている”リカードの等価定理”…」については「まったくのナンセンス(sheer nonsense)と評している(J.E.スティグリッツ2010]『フリーフォール』徳間書店。115116頁)。

3 負担の先送り論はあり得ない

    以上から当然に、国債で財政出動するのは「負担を先送りするものだ」という議論が経済学的に誤っていることは明らかだ。

(1)発行時点の世代が既に負担をしている
 国債が発行された時点の民間経済主体が、すでに他の財などを買えないという「負担」をしているのだから「負担の次世代先送り」がないのも当然だろう。

(2)国債償還時点ではお金を再配分するだけである
 将来、国債を償還する時点では、増税が必要になる。だが、このとき、民間部門から増税で吸い上げたお金を、政府は、国債を保有している民間部門に償還するのである。これは、民間から吸い上げて民間に返しているだけなのである。

   これは、将来時点の民間経済主体間でお金を再配分するだけであり、世代として新たな負担があるわけではない政治的な負担はあるが、経済的な意味では将来世代に負担はないのである。

    そもそも、このとき、国債を保有していた民間経済主体は、資産を国債の形で持っていただけである。国から償還されることで所得が増える訳でもない。国債の形で持っていた資産が、現金か預金に変換されるにすぎない。金利と経済成長率の差額程度は、利益を得たかもしれないが、わずかだろう。その程度である。

4 補足

(1)ただし、経常収支赤字国では「負担の先送り」が生じる
 もっとも、発行時点で国債を買ったのが「海外」の経済主体なら、国債発行時点の国内の世代は「負担」せず、恩恵のみを受ける。一方、将来の償還時点の国内での増税によるお金で国債を償還するとき、償還先は「海外」の経済主体となるから、税で吸い上げた資金は海外に流出する。この場合は、負担の先送りになる。これは、ギリシャなどで起こっていることだ。
 だから、冒頭の閉鎖経済、経常黒字などの条件下ではという条件が効いている。もちろん、日本は経常収支黒字国だから、この項(1)の議論は、日本には当てはまらない。

(2)地方債や社債ではこの議論は当てはまらない(経常収支赤字国と同様)
    このページ全体の議論は、経常収支黒字国(=資本収支赤字国)の国債に関する議論である(上の(1)はその意味)。なお、経常収支黒字には〜経常収支均衡国までが含まれる。

    その条件の意味は、国債を購入する者の範囲が、将来に償還のための税負担をする者の範囲と一致している点にある。この一致がずれると、このページ全体の議論が成立しない。
    例えば上の(1)のように、経常収支赤字国(=資本収支黒字国)では、国債を購入する者(海外の人たちが購入する)とその恩恵(政府が国債で調達した資金で財政出動して)を受ける者(国民)の範囲が一致しない。このため、発行時点では、国民は資金を負担せず、恩恵だけ受け、償還時には、海外に資金を償還するので、償還時の世代は負担だけすることになる

    同様に、例えば、地方債も、購入者は、その自治体の課税対象者でないのが普通である。一方、償還時には、その時点の市民が負担した税金は、市外に流出する。これは社債も同様である。

(3)国債保有では売却すればいつでも負担を逃れられるが、増税では逃れられない
    ミクロの経済主体のレベルでみると、国債を保有している経済主体は、いつでも、それを売却し(つまり他の経済主体に負担を移転し)、負担を逃れられる。しかし、増税では、負担する経済主体は特定され、逃れることはできない。
    したがって、償還時点までは(国債保有なので)ミクロでは負担感はほぼないが、償還する時点で政府が増税するので、増税対象者には一挙に負担が感じられることになる。

               ミクロでは負担感の違いは確かに大きい。だがマクロでは、
            民間部門が全体としては資金を負担し、民間部門の消費や設備
            投資に係わる予算が絶対的に制約されていることには変わりが
            ない。
                もっとも、不況下では、上で述べたように、そもそも、民間
            部門の設備投資や消費の意欲は低下している。したがって、不
            況下では、上で述べた部門全体としての予算制約による国債増
            発の影響は小さい。

                こうした状況下《不況下》で、リカード中立命題や、非ケイ
            ンズ効果の出る幕はあるのだろうか。
                「非ケインズ効果」仮説とは、政府の負債が増えると、財政
            出動は、負債返済のための将来の増税を予想して人々の労働意
            欲や消費が減退して景気はかえって悪化し、逆に緊縮財政は消
            費などを拡大させるというものである。その発想は、リカード
            の公債中立命題に近い。あるいは実質的にそれに準拠している。

                しかし、これに立脚するヨーロッパの「拡張的緊縮政策」は、
            ヨーロッパに悲惨な結果をもたらし、昨年末から今年にかけて
            緊縮策は転換している。
                また、日本は長期停滞で、世界最高水準の巨額の政府累積債
            を抱えており、まさに非ケインズ効果の実証に最適の国だが
            これまでの研究で非ケインズ効果が見られないことには広く合
            意がある。
                さらに、非ケインズ効果の実証研究を行ってきた研究者の1
            人(ペロッティ《非ケインズ効果の研究で有名なハーバード大
            学のアレシナとの共同研究も多かった》)も、過去の研究で非
            ケインズ効果がみられるとしたヨーロッパの4つの国の事例に
            ついて、研究の不備を認め、いずれも景気回復の駆動因は(非
            ケインズ効果ではなく)輸出の増加だったことを明らかにして
            いる。

                簡単に言えば、不況、特に重い不況下では、民間は目前の売
            上の低迷、雇用不安にとらわれ、将来の増税不安などを考える
            余裕はないのである。
                では、逆に、好況下で非ケインズ効果が生じる可能性はある
            だろうか。あるかもしれない。しかし、好況下で財政出動を行
            うことはないのだから、意味はまったくない。また、好況下で
            は、そもそも、上で述べた民間部門の《現在の》マクロの予算
            制約が効いてくるはずで、《未来の》増税などと言うあやふや
            なメカニズムを考慮する必要もない。

(4)以上は第一次近似であり、経済への影響は実際は増税と国債で異なる
 なお、以上はマクロ的な資金循環と予算制約から見た(その意味で基礎的な)第一近似である。実際の細部では、増税と国債発行の影響は異なる。国債は、おおむね元々使う予定のない資金で買われる。だから、不況下では消費への影響はほぼない。
    一方、好況下では、消費や設備投資のための資金需要が強いから、国債発行は、これらの資金ニーズと競合する。このため、金利上昇や、クラウディングアウトなどの影響(さらには消費への影響も)がある。

 これに対して、増税たとえば消費税は、好況でも不況でも、確実に消費に使われるお金を吸い上げる。したがって、それは(好況でも不況でも)消費を縮小させ、景気に影響する。

   償還時点で見ると、増税の方法次第では、増税の負担を行う階層と、償還を受ける階層は異なるかもしれない。それはやはり経済に影響を与える。

    だから、国債償還のための増税は、好況期(で所得が上昇しているとき)に行うべきなのである。

4 以上の理解と「日本国債の安定性」

    通常、日本国債が大変だと言っている人達は、①GDP比の政府負債の規模だけで、単純に議論している。
    これに対して、以上の理解は、に加えて、②その国の需要不足の状況や、③経常収支の状況などが政府の累積債務や国債発行の安定性に大きな影響を及ぼしていると考えるわけであり、これは経済学的な常識に沿った理解でもある。

   そして、これは日本の国債が巨額の発行残高を抱え、かつ毎年巨額の発行を続けている(つまり、これは①を世界最高レベルで《これ以上ないほど》確実に満たしているはず)にもかかわらず、彼等の理論?や理解に反して、日本国債は極めて発行金利が低いこと(これは、日本国債が安全であると評価されていることを意味する)を単純に説明している。

   これに対して、日本国債が大変だと言っている人達は、現在の日本国債の発行金利等が世界最高水準で低いこと、すなわち市場で高い安全性を評価されていることをまったく説明できない

===
◎最後に、もし、この内容に係わる何かについて(特にペーパーに)書かれる場合は、参照文献として拙著『日本国債のパラドックスと財政出動の経済学』(新評論、2013)を上げていていたければ幸甚です(なお、このページだけでなく、このブログの「New Economic Thinking(新しい経済学)シリーズ」に書かれていることは、ほぼこの本に書かれています。また、「財政出動論シリーズ」に書かれていることの大半も同様です)。