2015年10月14日水曜日

New Economic Thinking 12 「需要不足」とは(←→需給均衡)

〜財・サービス市場の需要供給関係における「需要不足」とは何か〜

改訂:271026 些細な修正(タイトル修正。1の(1)の括弧内追加)

    拙著『日本国債のパラドックスと・・・』、「New Economic Thinking11」「New Economic Thinking10」「New Economic Thinking2」などでは財・サービス市場の「需要不足」という概念を普通に使ってきた。需要不足とはなんだろうか。参考として以下では、(財・サービス市場の)需要と供給の関係から、需要不足とは何かを改めて整理してみる。

1 供給とは何か
    まず需要」とは、購買力(お金)の裏付けのあるニーズをいうと考えるのがまあ順当だ。では「供給」とは何だろうか。

(1)取引ベースで(需要と)供給をカウントする場合
    まず、これを取引ベースで考えて見よう。取引が行われれば、売る者がいれば買う者も必ずいる。だから、取引が決着した段階あるいは交換ベースで考えれば、常にセイ法則どころか一般均衡も成立しているといえる。
    しかし、この定義では、需要不足は存在しえないことになる(一般均衡を証明しようとした19世紀のワルラス、あるいは1950年代のアロー=ドブリューの業績とは何?ということにもなってしまう)。いずれにしても、これは、政策的な対応が必要と考えられる「不況」を把握する概念としては価値のない定義である。不況を扱えるようにするための定義はこれではない。
    なお、需要不足が存在することは、主流派経済学者にも、おおむねコンセンサスがある(一部の有力だった学派が否定しているにしても・・・その学派は、リーマンショックで支持が激減した)。

(2)生産ベース供給をカウントする場合 
    取引の前には「生産」する必要がある。この「生産」と、取引ベースで把握される「供給」は完全にイコールではない。取引が成立しマネーと交換される財・サービスと、生産される財・サービスの量は必ずしも一致しない。
    取引が成立した財・サービスの供給量(=取引ベースの供給)と、生産量に乖離がある場合、例えば生産過剰の場合、それは「(意図せざる)在庫」の増加として(GDP統計などに)現れる。つまり、こうした売れ残りは、ミクロの企業単位では常に発生しているし、経済全体で見たマクロでも、GDP統計で見れば、意図しない在庫の変動として把握出来る。
    現実を見れば、経済全体の合計でも在庫変動が発生し、それは景気循環とある程度連動している。これは、財・サービス市場全体としても、しばしば「需要不足」が発生していることを示しているここではじめて需要不足が出てきたわけだ
        注)なお、このとき、購買力の原資として使われなかった(需要不足に対応する)
           マネーはどうなっているのだろうか。この問題を扱っているのが拙著『日本国
           New Economic Thinking10」「New Economic Thinking2」などである。

(3)生産体制(生産準備段階のコストを考慮した)ベースで供給をカウントする
    しかし、不況を引き起こすアンバランスは、これだけに止まらない。
    企業が意図せざる在庫が発生しつつあることを認識すれば、当然、合理的な企業は、生産数量を調整するために、生産設備の稼働率を下げ、労働投入を削減(最初は時間外労働の抑制から始まり、雇用の調整に進んでいく)し、原材料や中間財の発注量を縮小していく。これは、現代企業では広く見られることだ。
    これは労働需要を低下させるし、原材料や中間財生産企業の売上の減少に結びつく。また、目の前の需要量低下は、一般に企業の需要の将来見通しを引き下げさせる。それが低下すれば、必然的に企業は設備投資を縮小する。これは設備投資で購入されるはずの生産設備製造企業にとっては、需要が縮小することになるわけである。
  
    また、生産縮小が間に合わなかった分を中心に、企業は販売価格を下げ売り切ろうとするかもしれない。仮に売り切ったとしても、問題はある。(名目)売上収入総額が減少するからだ。さらに、ミクロの企業では、生産のための設備投資雇用契約原材料や中間財の発注契約は、一定の売上金額を想定(計画)した上で、契約が行われる。
    ところが、(生産の前提としていた)計画未満の単価でしか販売できないとなれば、企業は、原材料や中間財の発注数量と単価を切り下げ、賃金や雇用を削減するなどの対応を取る。
    これによって販売単価の低下に100%合わせてコストも削減できれば、実質的には、マクロ的な一般物価の下落となり問題はないように見える(名目売上は下がるが実質売上は維持)。しかし、この場合でも、業種による需要変動の差などの存在によって様々なあつれきが生まれるだろう。
    さらに重大な問題は、設備投資のための資金の元利返済負担は、名目の売上総額が縮小しても変わらないことである。設備投資のための元利償還負担(の財・サービス1単位(1個)当たり負担)の上昇は、他の支出(新たな設備投資、賃金、配当など)を圧迫する。
    これは、企業の資金的余裕を狭め、新たな設備投資、企業消費その他の支出を縮小させる(アーヴィング・フィッシャーの負債デフレーションのメカニズム)。資金的余裕の低下は、雇用や原材料・中間財コスト圧縮に対する圧力として働き、賃金や雇用、下請け企業への発注単価は、必要以上の圧縮(売上低下率以上の圧縮)を強いられることになるだろう。

   なお、需要の減少に対して、(価格の低下ではなく)生産数量の縮小で対応しても、名目売上総額が縮小することは変わらないから、借入金の元利償還負担の(売上総額に占める)割合は上昇し、やはり負債デフレのメカニズムは働くことになる。

  以上のように、取引ベースで需要と供給が一致していても数量調整によって生産ベースで生産と需要が一致しても、また価格調整によって生産と需要が一致しても不況的現象(経常利益の縮小、雇用の縮小、賃金の低下、中間財や原材料仕入金額の圧縮、設備投資の抑制・縮小等々)が発生しうる。

2 「供給」とは「供給能力」と考える

(1)このブログなどにおける需要不足に関わる「供給」の定義
    以上から、需要不足を考える際の供給とは「供給能力」のことだと考えてみよう。生産者は、自社の供給能力を具体化するためにあらかじめ設備投資を行い、労働者を雇用している。また、原材料や中間材については事前に供給契約を締結している部分も少なくない。
    設備投資は過去に資金を調達して実行済みであり、資金の元利償還負担支出は、基本的に固定されている。賃金や雇用契約あるいは原材料や中間財の供給単価などは、簡単には変更できない場合も少なくない。
    こうした中で、その供給能力に見合う名目計画売上額が実現できない見通しが生じた場合には、企業は、生産数量を縮小し、単価を下げる過程で、設備投資の抑制、雇用や賃金の抑制、原材料、中間財の発注の縮小など様々な不況的な現象を引き起こす

    こうした理解は、潜在的な供給能力を示す「潜在GDP」とリンクしている。つまり、これは、不況の指標の一つと言えるGDPギャップ(あるいは「需給ギャップ」(=|潜在GDPー実現したGDP|))概念とリンクしているのである。
        注)ただし、こうした観点で見た「需要不足」と「GDPギャップ(需給ギ
            ップ)」の実際の算定方式(算定機関により異なる)のロジックが完全に一
            致しているわけではない。

(2)マネーの循環でみると「供給能力」で問題をみる意味がわかりやすい
    この定義の意味を、マネー(貨幣)の循環で見てみよう(つまり、セイ法則をマネーの循環で捉える)。まず、セイ法則が成立しているとき、財・サービスの生産・分配・支出に関わる取引で使われるマネーは、そのプロセスでは規模を変化させず(生産→生産コスト等としての分配→支出→(生産物の需要)という)循環を続ける。

        注)なお、そのままでは成長のない経済である。成長が生ずるには、生産性の上
            昇のほか、企業、家計、政府(及び海外)が貯蓄を取り崩すか、あるいは負債
            増加させることで、この資金循環にマネーを投入すればよい。そのマネーは、
            融システムが、信用創造によって創出する。

    次に、財・サービス市場で需要不足が存在するとき、つまり、セイ法則が成立しないときには、循環しているマネーの一部が財・サービス取引に使われないことになる。その結果(財・サービスの需要(の代価支払い)として使われないマネーが発生することになるから)財・サービスの需要が減少することになる。このように理解すると、上で見た、「生産体制(生産準備段階のコストを考慮した)ベースで供給をカウントする場合」の需要不足」の定義の有用性がわかりやすい。GDPギャップ(需給ギャップ)との関係もわかりやすい。

    以上を踏まえると、セイ法則の需要と供給の一致に関して、「供給」とは、生産設備や労働者などの生産組織が生産可能な量(潜在的な「生産能力」=供給能力)を指すものと考えるのが現実的であるようにみえる。
    このシリーズでは、供給能力と需要を比較して、需要不足を捉える。この場合、セイ法則の「需要と供給の一致」とは、このように、おおむね「需要」と「供給能力」の一致を指す。

    拙著『日本国債のパラドックスと・・・』、「New Economic Thinking11」「New Economic   Thinking10」「New Economic Thinking2」などでは、このような意味で「需要不足」を捉えている。
    なお、こうした理解は、特殊なものではない。

2015年10月4日日曜日

New Economic Thinking11 需要不足・巨額国債発行と貨幣の循環〜セイ法則不成立のとき何が起きているか

 改訂経過:280510 冒頭の概要に「政府」と「家計」の違いについて「注」を追加。271216 冒頭部分(《概要》の上)に、このシリーズ全体の主張の核部分の解説を簡単に追加。271201 271127の「注」の書きぶりを増補改訂。271127 上から3分の1あたりに「注」として設備投資研究開発の関係を追加(「中間投入」で検索)。同時に「企業消費」という言葉を削除。271119 末尾近くに「3 参考:図2に『財政緊縮』を追加」という項目を追加。271101 信用創造との関係の項目に関する項目に若干加筆。271017〜19 1の末尾に「(6)セイ法則と「財・サービス生産」の不可分性と、「資産」」の項追加など。 271016 表題を修正。271011〜13 細々と加筆。271009 書き忘れていた図1図2中の(1)〜(3)式の説明を追加しました。271008 表題を変え、頭書き部分を中心に大幅に加筆しました。

    リーマンショック後の今日、日本を初めとする先進各国では、巨額の国債発行への危惧から、財政再建が常に課題とされるようになり、経済政策は、ゼロ金利下でも量的緩和などの金融緩和政策に依存し続けています。しかし、回復しつつあると考えられる米国ですら、その回復は弱々しいままです。この結果、世界経済は停滞を続けています。
    こうした状況に関して、現代のマクロ経済学は有効な方策を提示することができていないと考えます。提示できていない理由は、現代マクロ経済学が「不況」特に重い不況を十分に理解出来ていない点にあると考えるのが自然です。
    この一連のシリーズや拙著は、「セイ法則の不成立が経済全体に及ぼす影響を再考すべき」と提案しています。ワルラス法則(後出)によれば、不況などで財・サービス市場に需要不足が発生しているとき(=セイ法則不成立のとき)、論理的に、他の市場(主として金融などの資産市場)では超過需要が発生しなければなりません。
    しかし、現代マクロ経済学は、そうした(財・サービス市場と金融市場(ないしは貨幣市場)間の)相互作用を基本的に無視します(古典派の二分法の影響)。これは、不況が軽微であれば、近似として許容しうるかもしれません。しかし、重い不況下では、それを無視することはできないと考えます(これが「再考」の意味)
    こうした「セイ法則不成立の影響の再考」はどのような実益をもたらすのでしょうか。結論の一つは、不況で(財・サービス市場で需要不足となり)セイ法則が成立していないときには、(それが主に資産市場特に金融市場において超過需要を生み出すため、)常識に反して、金融市場では自動的に金融緩和が生じ、債券金利は低下すると考えられます。とすれば、巨額の国債発行による政府の財政破綻に関する危惧は、おおむね杞憂と考えられることになります。また、マンデル=フレミング・モデルやクラウディングアウト発生論に基づく政府の財政出動無効論不況下では意味がないことになります。

    こうした点については、拙著『日本国債のパラドックスと財政出動の経済学』(2013、新評論)や、New Economic Thinking2 で、ワルラス法則に基づいて、不況下での金利低下、国債発行の安定(=日本国債のパラドックス)のメカニズムを説明しました。また、その帰結については、New Economic Thinking3〜8 (目次からリンク)で簡単に概説しています。

《概要》
   この頁では、これをもっと基礎的な資金の循環に基づいて(かつワルラス法則ではなく、セイ法則から出発して改めてわかりやすく説明しなおします。すなわち、1で、つぎのような貨幣の循環図(図1)に基づいて、セイ法則の成立やGDPの三面等価の原則のメカニズムを整理し、ついで2で、セイ法則の破れのメカニズムと、それが金融市場等に与える影響を整理します(図2)。
        注)これを理解すると、政府の支出の増減がマクロ経済全体に与える影響や、
           家計や政府の行動がマクロ経済に与える影響を整合的に考えることができ
           ます。
              例えば、しばしば、「政府」を「家計」のように考えることは誤りだと
           言われます。なぜ誤りなのかは(論理的には)意外にわかりにくいでしょ
           う。 このページの説明は、こうした「政府」と「家計」の違いを理解する
           ことにもつながります。
              この点について、ここで簡単に説明すれば、論理的には、政府にしろ家
           計にしろ、支出を節約することは、マクロ経済に負の影響を与えます。し
           かし、政府の一般会計の歳出規模は100兆円弱(28年度当初予算は96兆
           円)です。これは、日本のGDP約500兆円の2割を占める巨大な経済主体
           であるということです(国の財政政策はさらに、地方公共団体の歳出にも
           大きな影響を与えています)。
               こうした巨大な経済主体の支出の判断は、マクロ経済(日本経済全体)
           にダイレクトに大きな影響を与えます。ですから、政府の財政政策は、マ
           クロ的な資金の循環を考慮した上で行われなければなりません。しかし、
           現実は必ずしもそうはされていません。日本経済の長期にわたる不調の原
           因は、この点にあると考えます。
              これに対して、個々の家計の規模は、(例えば1世帯当たり仮に500万
           円程度とすれば)GDPの1億分の1程度です。無数にあるとも言える個々
           の家計の中には、支出を切り詰める家計もあれば、増やす家計もあって、
           その方向は通常はランダムです。ですから、個々の家計を日本経済全体で
           合算すると、個々の家計の支出の変化は相殺され平均化されてしまいます。
           これが、家計に関してマクロ経済への影響を余り重視する必要がない理由
           です。
              もっとも、そうはならない場合があります。大多数の家計が一斉に同じ
           支出の変化を行う場合です。すると、それはマクロ経済に巨大な影響を与え
           ます。
              典型的なのは、好況不況に伴う支出の変化です。好況になれば、多くの家
           計は所得が今後伸びるなどと予想して消費を拡大しますし、逆に不況になる
           と失業不安や残業手当の減少、賃金の抑制などによって消費を一斉に縮小す
           る傾向があります。また、先の消費税増税に見られるように、実質所得が伸
           びない中で税負担が上昇すると、家計は、それに合わせて一斉に支出を調整
           します。通常はランダムである家計行動の方向性ですが、それを斉一的に
           化させるような経済事象が存在することに注意しなければなりません。
              さらに、財政当局が、将来の増税が不可避であることを国民に理解しても
           らうために、将来の年金破綻や医療保険制度の持続可能性に関して家計の不
           安を煽っているような国では、家計は、将来不安から、それに備えて貯蓄を
           増やすために、消費を節約します。これは、経済の長期的な停滞を引き起こ
           します。
    その意義は、拙著『日本国債のパラドックスと・・・』などと同様、財政の持続可能性等についてまったく常識と異なる理解を与えてくれることです。
    主要な結論は、不況の(財・サービス市場での)需要不足(注)の規模に対応して、それ(需要)に使われなかった資金(購買力)が貨幣市場や債券市場などの金融市場に流入するため、金融市場では超過需要が発生(普通預金や国債・社債の需要が増加)して金利が低下します(これはワルラス法則と整合的)。このため、財政出動のための国債発行が安定(=巨額の国債発行を続ける日本の世界的な低金利を説明)しますし、どのような場合に国債の発行が不安定になるかの条件を明確にすることにもつながります。また国債の大量発行に伴うクラウディングアウトやマンデル=フレミング効果の発生は抑制されるため、財政出動の効果を相殺するメカニズムが働かないというものです。これは、従来の財政出動の評価を逆転するものということになります。
    つまり、以下では、巨額の国債発行を続ける日本で世界最低水準の金利が実現し(日本国債のパラドックス)、また財政出動の効果を相殺するクラウディングアウトやマンデル=フレミング・モデルの機序が発動しないことを説明します。
        注)「需要不足」の定義については、「New Economic Thinking 12」参照。

    この頁の記述は長いですが、単純で易しい議論の連続なので、この議論が正しいかどうか、読んでいただいてご意見などをいただければ幸いです。・・・ツィッターで「@KitaAlps」をつけてつぶやいていただければ届きます。

《以下本文》
    一般に、経済学者の大多数は、セイ法則が一時的に成立しないことがあると考えている。この「New Economic Thinking」シリーズなどの各ページも、同様に考える。

    しかし「セイ法則が成立していないとき、何が起きているか」について、経済学者の大多数は、財・サービス市場の需要不足のみを考え、それが資産市場に与える影響を考慮しない。これは、ワルラス法則を考慮すれば、不可解であるように見える。

        注)ワルラス法則とは・・・ 生産物(財・サービス)市場だけでなく、貨幣、債
            券、証券、土地などの資産市場労働市場などの全ての市場のうちのどれ
            か1つあるいは複数の市場で超過需要ないしは超過供給があっても、すべて
            の市場の(超過)需要と(超過)供給を合算れば、超過需要(または超過
            供給)がゼロになることをいう。これは、(生産物市場のみを対象とする)
            イ法則とは異なり、全ての市場を対象としているから、会計則であり、し
            たがって必ず成り立つ。・・・しばしば誤解されるが、ワルラス法則は、ワル
            ラスの一般均衡論とは異なり、別のものである(ワルラスが一般均衡の存在
            を証明する過程で使用したために知られるようになったため、ワルラス法則
            と呼ばれているが、ワルラス自身が述べているように、発見者はクールノー
            である)。
                仮に生産物市場に超過供給があれ、生産物の生産は抑制傾向となるから、
            労働市場も概ね超過供給傾向となる。したがって、ワルラス法則に従えば、
            場では、それらの合算額と同規模の超過需要が必ず発生しなけれ
            ばならない
                すなわち、ワルラス法則は、(生産物市場に関する)セイ法則に破れがあ
            るときには、必ずそれ(セイ法則の破れ)が(主に)資産市場に影響を与
            えることを意味する。

    拙著『日本国債のパラドックスと・・・』(2013、新評論)や、New Economic Thinking2New Economic Thinking10 等は、財・サービス市場の需要不足は、セイ法則の破れを意味するとともに、ワルラス法則により、それは貨幣、債券、証券、土地などの資産市場に影響を与えると、シンプルに考える。

    このようにワルラス法則が貫徹する観点から、セイ法則の不成立が及ぼす影響を整理すれば、①不況下では(金融政策が中立であっても)金利は低下する。②不況が深いほど赤字国債の発行が安定する。③不況ではクラウディングアウトや、④マンデル=フレミング・モデルは(ほぼ)機能しないど(New Economic Thinking8など参照)、現在のマクロ経済学の常識に反する結論が得られる。
        注)不況下の資金余剰による金利の低下・・①これについては、New Economic 
             Thinking2New Economic Thinking10 、あるいは拙著『日本国債のパラドッ
            クスと・・・』で述べていることであり、また、このページで論じるテーマな
            ので、ここではこの程度にとどめる。
                財政緊縮政策について・・上記の中で、②は国債発行の安定性に関する問題であ
            る。リーマンシク後先進各国では、巨額の財政赤字の発生と、それによる政
            府累積債務の著増が生じ、その反として、それを背景に、財政の持続可
            る懸念が高まり、多くの国々では、それに基づき財政緊縮政策がとれてき
            た。しかし、上記の②は、その財政緊縮を(特に経常収支黒字国ないしは均
            いは基軸通国に関しては)無意味なことと評価させることになる。
                そもそも、1990年代半ばには、(今から見ると極めて小さいが)バブル崩
            壊後の政府累債務の増加を受けて、日本政府の財政は破綻の危機に瀕するとの
            見方が経済学者の通説的理解となり、それは有力な経済学者たちからも強く示さ
            れていた。それを受けて、97年の消費増税以来、不況下で財政削減、緊縮政策
            が持続的に進められてきたのである。ところが、現在の政府累積債務は、当時と
            比較にならない(数倍の)規模に達していにもかかわらず、国債の発行は極
            て円滑であり、コンスタントに世界最低水準の発行金利巨額の国債が円滑に
            行され続けている(=日本国債のパラドックス)。
                この点については、量的緩和や異次元緩和の効果ももちろんあるとは言えるだ
             ろう。だが、量的緩和や異次元緩和が行われていなかった時期にも国債の発行は
             世界最低水準の低金利で安定して行われていたのである。
                 また、速水、福井総裁時代の日銀の金融政策については、ゼロ金利解除、量的
             緩和の解除を含め、不十分な金融緩和政策によって、日本の経済停滞が続いたと
             批判が根強い。しかし、国債の発行は、そうした不十分な?金融緩和政策にもか
             かかわらず安定していたのである。
                 こうした事態にあまりにも慣れすぎていて、意識されないが(ゆでガル状態
            ?)、これは経済学の常識に反することであり、主流派経済学の観では容易に
            説明が難しいことを認識しなければならないと考える。
                ちなみに、将来、不景気から脱却した景気回復期には、金利が上昇しれに
             債利払費の上昇が懸念されるが、それは現在子配当課税の税(現
            20%程度)めることで容易に対応可能と考える
                財政出動の効果について・・上記の中で③④は、財政出動の効果に関する問題で
            ある。これについては、③財政出動のための国債発行により、民間企業の資調
            達が困難となり(クラウディングアウトが生じ)、それによって民間設備投資が
            減少して、財政出動の効果が相殺されるという議論がある。
                また、同様に財政出動のための政府の資金調達(国債発行)によって、金融
            市場の資金需要が増加する(特に大国では、これにより金利が上昇する)とで
            海外資金が流入し、それによって(変動相場制では)自国通貨高となって、貿
            収支の黒字が減少しあるいは赤字が増大する(外需が減少する)ため、財政出
            動の効果が相殺されマンデル=フレミング・モデル)。
                つまり、それらによって生じる需要の減少が財政出の効果を相殺することな
            ど、財政出動にないとする見方が通説とされてきた。
                しかし、これらの考え方の根拠とされた実証研究は、好況と不況の区別が十分
            にされていないこと。また、軽微な景気変動下では、不況を認知してから実際に
            財政出動が具体化するまでにタイムラグがあり、財政出動が具体化した段階では
            でに景気が拡張過程にあり、好況と財政出動がぶつかることも少なくない。こ
            のため、財政出動の影響の評価には、しばしば好況期、景気拡張期の状況(デー
            タ)が混入し、不況下での財政出動の影響は十分には解明されてこなかった
               しかし、例えば、リーマンショック後現在まで続いているような長く重い不況
            では、こうしたタイムラグの問題は実質的に存在しない。
                また、日本の90年代以降には公共投資の乗数効果が低下してきているとの
            証研究が一時注目された。しかし、これについては小巻 [2015] によって、これら
            研究が行われた時期のGDPデータに問題があったことが明らかにされた。
                すなわち、従来のGDP統計では8SNAかつ(物価や品目ウエイトに関し
            て)固定基準年方式が採用されていたが、それから新しい93SNAかつ連鎖価
            格方に移行する際に、93SNAのみの適用が先行し、数年間は固定基準年方
            式がそのま維持された。その間に公表されたGDPデータを使って行われた研
            究では公共投資の乗数効果の低下という結果出たが、その後の連鎖価格方式に
            移行後のデータでは、乗数効果は(上昇し)再びほぼ元に戻っていると考えられ
            ることが明らかにされ
                    小巻泰之[2015]『経済データと政策決定』日本経済新聞出版社

             このように、このページやこのブログの「New Economic Thinking」シリーズ
         や「財政出動論」シリーズ、また拙著『日本国債のパラドックスと・・』の基本
         的観点は、通説には反するが、それが実証によって否定されるとは考えていな
         い。

    このような拙著や拙頁のワルラス法則を重視する観点の帰結は、経済学の常識と大きく乖離した不況の理解をもたらすが、その乖離の原因を貨幣の循環の視点でみればNew Economic Thinking10 の末尾でも論じたように(不況下では、取引媒介機能を果たす貨幣は減少するものの、それは価値保蔵機能を果たす貨幣に転化・移行しているだけであり、貨幣の総量に変化はない。このため取引媒介機能から見た貨幣の供給量は全体として過剰となっている点にある(注)。これは「貨幣流通速度と不況期資金余剰」でみる事実関係と整合的である。
       注)なお、これは貨幣供給(特に信用貨幣)が実体経済にとって、少なくともあ
           る程度は内生的であるという理解を前提にしている。

    こうした結論は、常識的な経済の理解と乖離している。その乖離は、標準的なマクロ経済学の理解が、長期におけるセイ法則の成立を前提とした基本理論に基づいて組み立てられており、短期のセイ法則の不成立は認めるにしても(それは財・サービス市場の需要不足が発生することを認める程度に止まり)、「財・サービス市場の需要不足」が「金融などの資産市場」に与える影響が、事実上考慮されていないことに起因していると考える。

    これは、一時的な「財・サービスの需要不足」以外の部分に関する経済学者の思考が、(暗黙のうちに)セイ法則の成立を前提とする長期の基本理論に縛られているからだと考える。例えば、一般均衡、古典派の二分法、貨幣ヴェール観など・・・
    もちろん、このように考えても、軽微な景気変動では、問題が小さいかもしれない。しかし、現在の世界経済が直面しているような大規模な経済変動下では、齟齬が大きくなると考える。

    そこで、このページでは、財・サービス市場に需要不足があるときに、それが貨幣市場を初めとする資産市場にどのような影響を与えるのかを、「貨幣」の循環を通してあらためて見てゆく。これにより、セイ法則が成立するメカニズムが明確になる。また、それに基づいて、「セイ法則が成立していないときには何が起きているのか」を、より詳しく見ることができる。結果は、ワルラス法則に基づく上記の理解と整合的である。

   さて、まず、セイ法則は、成立している場合(好況期など)もあるし、成立していない場合(特に不況下)場合もあると考える。これは、おおむね無理のない理解だろう。もちろん、「成立していない」といっても、少なくとも9割方はセイ法則に沿った経済の動きがあると考える(もちろん、仮に9割しか成立していない状況になれば、経済は1930年代の大恐慌以上の不況になる。1%でも成立していない部分があれば不況である)。

    以下では、なぜ「9割方正しいのか」貨幣の流れで見てみる貨幣の流れで見れば、セイ法則の成立の条件も明確になる。
    まず、最初の1では、セイ法則が成立するものとして、そのメカニズムを貨幣の循環を中心に追いかけ、セイ法則が成立するメカニズムを理解する。
    続いて2では、セイ法則が成立していないとき、貨幣の循環はどのように変化しているかを追いかけ、それによって、セイ法則が成立しない場合に、それが貨幣市場、債券市場、証券市場などの資産市場に与える影響を見ていく

1 貨幣の循環で見るGDPの三面等価の原則とセイ法則
    〜セイ法則が少なくとも9割方正しいのは、それを実現するメカニズムがあるからだ〜

    セイ法則が成立、あるいは成立しないにしても9割方正しい理由は、それを実現するメカニズムがあるからだ。そのメカニズムは、財・サービスの生産とその購入に係わるメカニズムであり、付加価値の創出に係わるフローのメカニズムでもある。ストック(債券、証券、土地、ストックとしての貨幣などの資産)は、その変化分がフローとして、このメカニズムに係わるが、ストック自体は表には出ない。
    そして、セイ法則が成立するメカニズムに伴う産出の結果は、わかりやすくは、GDPや国民所得などとして把握される。
    このメカニズムは、貨幣のフローを通じて理解するともっともわかりやすい。

   このセイ法則を理解するには、GDPの三面等価の原則から出発するのがわかりやすいと思う。 GDPの三面等価の原則は、GDPの3つの側面である生産』『分配』『支出』の規模が等価であることを言う。これは、付加価値の生産を会計的に捉えれば自然に理解出来る原則である。
    この生産ー分配ー支出の関係を、貨幣の循環で見ると、図1のように描くことができる(もちろん、煩雑になりすぎないように多少省略している部分がある)。この図を見ながら、三面等価の原則の意味と、セイ法則について整理してみよう。
    重要な点は、企業などが生産した何か(財・サービス)を誰か(家計や海外や政府)が買うとき、買うお金はどこから出てきているのかという点だ。お金が無から生まれるわけはない。
    もちろん、(過去に行った)貯蓄を取り崩して買う場合もある。また、誰かが過去に行った貯蓄を借りて買う場合もある。だが、そもそもその貯蓄はどうして蓄積することができたのだろうと考えてほしい。また、貯蓄取り崩しだけで企業の生産物を買う経済は2、3年で破綻してしまう。それは持続可能な経済ではない。

    安定した経済では、企業の生産物を買うお金は、企業がそれを生産する際に支払った賃金、利子、配当、税金など以外に存在しない。こうした事実の理解こそ、セイ法則やGDPの三面等価の原則の根拠である。図1は、その関係を描いたものだ。
    なお、この後ふれていくが、過去に蓄積された貯蓄ではなく、今もこのサイクルの中で貯蓄が行われている。この今のサイクルの中で行われる貯蓄を別の経済主体が借りて使うのは、過去の蓄積である貯蓄(それは「資産」として扱う)を取り崩すのとは全く異なる。

    簡単に言えば、このようにして生じる経済取引に伴う貨幣の循環(この図1)を見れば、図1の (1) 式や (2) 式で見るように、三面等価セイ法則(「供給」が「需要」を作り出す。あるいは「供給」=「需要」)が、どのようなメカニズムで生じるかがわかる。また、 (1) 式と (2) 式の対応関係から、おおむね、GDPの三面等価の原則とセイ法則が同じメカニズムの2つの現れであることも理解できる。

    まず、経済主体として、ほぼ中央に縦に並んでいる「家計」「企業」「政府」「海外」(貿易相手国)がある(なお、図中にの左側に「企業」がもう一つ出ているが、これは場面が違うために、わかりやすいように表示しただけである。また、金融機関は独立の経済主体としては捉えず機能のみを四角形で表示している)。

    また、この一連のフローのサイクルで「生産」されるのは、「財・サービス」のみであることは重要な意味を持つ。実際、現実の経済でも、(通常の経済の状況の把握のために取り出した期間(例えば「年度」)内で)「生産」されるものは、「財・サービス」だけである。また、この図1では、「支出」の対象となるのも「財・サービス」のみである(後の図2では、財・サービス以外のものが支出の対象となる場合を考える)。これにより、GDPは、財・サービスの生産に係わる経済を扱うのである。この生産によって付加価値が生まれる。分配とは、その生産で生まれた付加価値を分配することを言う。
 
        注)しかし、実際には「支出」の対象となるモノは財・サービスだけではない
            わかりやすく言えば、例えば土地である。土地は、「生産」されたものではな
            。だから、それは生産コストの支払を必要としない。したがって、土地に関
            しては「分配」も生じない。同様のものには、債券もある。株式証券もある(実
           は貨幣も同様なのであるが、話がわかりにくくなるので後段で説明する)。
               こうした「支出」の対象となるものの中で「財・サービス」ではないものを
           」と呼ぶ。資産は、土地のようにそもそも生産されたものではないか、
           あるいは、既発の金融資産のように、少なくとも現在の期内で生産されたもの
           ではない。資産は、支出の対象とはなるが、対象とする期内に生産されたもの
           ではないことは重要な点である
               資産の売買の際には、通常は売買に差益ないしは差損が生じ、したがって税
           法上の所得が生まれるが、その売買差益は、財・サービスの物価の上昇と同じ
           で名目値に影響を与えるだけで、実質値には影響がない。それは経済学上の
           (あるいは会計上の)付加価値ではない。だから、一国で創出された付加価値
           の総額であるGDPは、資産価格の売買差益を含めない。つまり、売買差益は
           税法上の所得にはなっても、経済学的な意味で「所得」ではない。
               この図1の中では、「資産」は扱わないが、扱わないことには意味があるの
           である。

(1)生産と分配

    図1では、まず、企業が「財・サービス」を『生産』する。
            注)この生産とは、付加価値の生産である。他の企業などから原材料や部品
            (中間財)を購入した場合、その支払額を控除したものが自社が創出した
            加価値である(=付加価値のミクロの定義による)。一国全体の企業等の生
            産したすべての付加価値を合算した額をGDP(=一国の国内で生産された
            付加価値の総和)というが、このようにすることにより、一国の企業の売上
            額の合計では下請け企業の生産=売上額がダブル計上されることを排除して
            いるのである。

    このとき企業は、生産にともなって他の経済主体に様々な支払を行う。この支払いが、GDP統計では「分配」に相当する。これが図中の家計への「分配①」、企業自身への「分配②」、政府への「分配③」である。
   これらの「分配」にかかわる貨幣の動きは、図1では、主には、「生産」の箱から、家計、企業(自身)、政府という3つの経済主体(部門)に向かう直線の矢印で、また政府と家計及び企業間の分配は、薄めの曲線の矢印で示されている。
    ここで、
分配①=家計が提供する労働力の対価としての賃金
            +家計が提供する資本出資(株式購入・保有)の対価としての配当
            +家計が提供する預金を(金融機関を通じて)貸出を受けた対価としての金利
である。
分配② =企業自身が過去に行った設備投資(生産設備)の減価償却費
             +経営の安定化や将来の設備投資の原資などとして内部留保
分配③=政府が提供するハード(インフラ)やソフト(市場制度などの維持や安全など)の対価としての租税
分配①B=家計が政府に納める租税ー政府からの所得移転(生活保護、定額給付金など)
分配②B=企業が政府から受ける補助金

    したがって、分配①Bを考慮すると、企業と家計の間の分配は
         家計への分配=分配①ー分配①B
         政府への分配=分配③+分配①B
    また、分配②Bを考慮すると、企業と政府への分配は
         企業への分配=分配②+分配②B
         政府への分配=分配③ー分配②B

    となる。しかし、以上の、家計、企業、政府への分配を合算すると(結局、分配①B、分配②Bは相殺されるから)、
        生産額 ≡ 分配①+分配②+分配③ ・・・・・・図1参照
となる。

    ここで、企業が「生産」したもの全てが売れれば「生産額」が定まり「分配額」も定まり 「生産額(付加価値額)≡ 分配① + 分配② + 分配③ 」となる。
    企業が他部門へ分配しないものは、分配②で自部門内にとどまり、それも分配にカウントするのだから、この左辺と右辺をつなぐ等号は合同であり常に成立する。つまり、「総生産額=総分配額」(この等号は合同)となる。これが『三面等価の原則』のうち生産」と「分配」の2面の等価である。

(2)分配と支出

    つぎに、分配を受けた「家計」「企業」「政府」は、受け取った貨幣をどのように使うかを見る。
    これに係わる貨幣の動きは、図1では、家計、企業、政府から直線で伸びる矢印で示されている。家計が行う「①消費・住宅投資」、企業が行う②設備投資」、政府が行う③政府最終消費・公共投資」は、そのまま、「支出①」〜「支出③」となって、生産物(財・サービス)への支出(これは生産者である企業にとっては「需要」でもある)となる。

    一方、家計、企業、政府は、受け取った分配のうちの一部を貯蓄する(図1には、家計からの「家計貯蓄」、企業からの「企業貯蓄」、政府からの「政府貯蓄」として表示。ただし、政府は貯蓄の一部を外為特会にも貯蓄)。これらの使途は直線の矢印で示されている。こうした形で行われた貯蓄は、図1では「(貯蓄)」と「(外為特会)」として表示されている。
    これらの貯蓄は、直接あるいは金融機関などを通じて、「全額が」他の経済主体に対する広義の貸出(融資、証券投資、債券投資などの形態を問わず)になると考える(なお、ここではこのように考えるが、後出の図2ではそうならない場合を考える)。図1では、この各種の形態での貸出(投資を含む)を点線の曲線で示している。

    ここで重要な点は、生産に際して家計、企業、政府が受け取った貨幣(分配)の合計は、以上の(分配からの)直接の支出と(分配のうち貯蓄された分から貸出を受けた分を使った)家計、企業、政府、海外の支出の額合計(「支出①」〜「支出④」)一致しなければならないことだ。また、支出された額の合計額は、企業の生産物の売上げになるから、最初の「生産額」は(事後的にと言えるが)それと一致しなければならないことである。

    このとき、企業は最初の「生産」に支払ったコスト(→「分配」)配を受けた家計や政府などがその貨幣で生産物を買ってくれる(支出)ことすべて回収することになる。
    つまり 生産=分配=支出 が成り立つ。

    簡単に言えば、これが貨幣の循環から見た三面等価の原則が成立するメカニズムである。

    なお、これが成立するためには、上で「一致しなければならない」と書いたことが実現しなければならない。これはどういうことだろうか。
    例えば、家計が「(過去に行った)貯蓄を取り崩して」支出①を拡大した場合はどうなるかを考えてみよう。
    まず(第一に)、家計部門が過去の貯蓄を取り崩したことで、(例えば企業がその貯蓄を借りていたとすれば)企業部門は、その分の借入金を返済しなければならなくなる。すると、企業の新たな設備投資や消費は減少する。つまり、需要はプラスマイナスゼロで総額は変化しない。
    もっとも、いくつかのプロセス(例えば金融機関の信用創造(信用創造については後出))により、企業の設備投資や消費が減少しなかった場合は、需要が増加することになるように見える。しかし(第二に)、生産は当初のとおりであり変わらないから、この総需要の増加は、生産物価格の上昇を引き起こし、一般物価が上昇するだけになる。つまり、実質値では、変化(成長)はない。
    このため、以上の第一、第二の点を考慮すれば、「一致しなければならない」ことになると考えればよい。
        注)ただし、時間軸を加えて考えれば、これによって物価が上昇すると、企業は
            需要の増加を認識して、借入を増やし(金融機関は信用創造により貸出を増や
            し)て、設備投資を増やし(これ自体がさらに需要増加となる)、生産を増加
            させるかもしれない。これは、次のステップでは考える必要がある。しかし、
            ここでは、そこまでは考えない。
    
    以下では、これをさらに部門別に詳しく見た上で、次の(3)で、それを合算したらどうなるかをみてみることにする。

家計
    分配(=分配①ー分配①B)を受けた家計は、それに金融機関からの借入((図1では)金融機関から見て「A貸出」と表示)を加えて、それを消費及び住宅投資に使い、残りを貯蓄する。
    家計: 分配①ー分配①BA貸出=消費+住宅投資+家計貯蓄=支出①+家計貯蓄
           (なお、ここで貯蓄は増減分である(ストックではなくフロー分)。以下同様

    右辺のうち、消費及び住宅投資は、企業が最初に生産した財・サービスの購入に支出され、それが企業の売上額となる。この流れは、図1の中では太い実線の矢印で示した「支出①」に含まれる。
    一方、貯蓄は、多くが金融機関への預金となる。この預金については、家計(家計全体の中の個々の家計のうち必要とする家計)に住宅投資や自動車などの購入のローンとして貸し出され(太い点線の矢印で示した「A貸出」)、財・サービスの購入に支出される(支出①に含まれる)。預金の残りの多くは、企業の設備投資に貸し出される。これは、つぎの企業のところで述べよう。

企業
    分配(分配②+分配②B)を受けた企業は、それを「設備投資」や「企業活動のための消費」に使うが、普通は企業の設備投資には、それでは足りないので、家計が行った預金を金融機関を通じて借り(「金融機関」のハコから企業へ向かう太い点線の「B貸出、新発社債、新株。このほかに「貯蓄」のハコからの点線の矢印で示したように、家計などが自ら新発社債購入や新株投資を行う流れもある。これも含めて)、設備投資として支出され(太い実線で示した「支出②」)、もし残れば企業貯蓄となる。
  企業: 分配②+分配②B+B(貸出、新発社債、新株)=設備投資+企業貯蓄
                                                                                                                 =支出②+企業貯蓄
    (繰り返しになるが)この式の右辺のうち、設備投資は、企業(部門)が生産した財・サービスの需要となる(最右辺の支出②)。

        注)ここで、GDPの計算基準の国際的な改定を受けて、日本でも「研究開発費
            が設備投資に組み入れられることになった。これを材料に、「設備投資」の意
            味を見てみよう。
                現在の生産サイクルと将来の生産サイクルを区別しないで考えると、つまり
            時間を考慮せずに考えると、生産過程で必要な原材料や部品などと同様、設備
            投資で整備される生産設備は、いずれもいつかの時点(現在〜将来の時点)の
            生産物の生産に対する投入物(生産要素)である。
                しかし、GDP統計(あるいはより厳密に国民所得統計)では、「現在の」生
            産物の生産サイクルに限定して経済を切り取り(あるいは一定期間を切り取り)
            カウントする。
                このとき、「設備投資」は、「今の」生産物の生産費用ではなく、「将来」
            (わかりやすく単純化すれば、今ではなく「来期」)の生産物生産のための支
            である。だから、これは現在の生産サイクルの中の投入物としては扱えず、
            独自の需要として(いわば「最終需要」として)計上されることになる。これ
            は、設備投資が、将来の生産サイクルのためのものであって「現在の」生産物
            の生産サイクルの外にあるからだ。
                これに対して「現在の」生産物の生産サイクルで使われている生産設備は、
            「過去の」設備投資で形成されたものだ。過去の設備投資で作られた生産設備
             は今の生産に使われるだけではなくて翌期の生産にも翌々期の生産にも使われ
             る。このため、それを当期で使われる分だけを分割して当期(今)の生産費用
             として計上する。これが減価償却費である。生産ー分配ー支出の3面等価のう
             ち分配に、雇用者報酬などとともに減価償却(固定資本減耗)が顔を出すのは
             このためだ(なお、分配とは広い意味の生産コスト)。
                 逆に、「現在の」設備投資は、未来の何年かの生産設備として機能し、その
             コストは翌期以降の生産に応じてコスト(減価償却費)として計上される。

                これに対して、現在の生産物の生産のための「原材料や部品」等は他の企業
            に発注され、受注企業にとっては需要となるが、それは最終的に、現在の生産
            サイクルで生産される最終生産物の部分として、それに含まれることになる。
            つまり、現在の最終生産物の生産サイクルの一環をなす。それは現在の生産物
            の生産サイクル1サイクルの中に収まってしまう。それが「中間投入」という
            意味である。中間投入物は、他の企業の売上げでもあるので、経済全体では企
            業間の生産・販売側とその購入側で相殺されてしまい、表には出てこない。

                こうした関係を反映し、現在の生産物生産のための中間財投入は、概ね現在
            の生産物の生産規模に連動するが、「設備投資」の規模は現在の生産規模と必
            ずしも連動しない。むしろ、現在の設備投資の規模は、将来の生産規模の予想
           (売上見通し)に大きく影響される。

                これに対して、これまで「研究開発費」は、企業が生産物を生産する際の原
            材料や中間投入物扱いされ「今の」生産物の生産費として計上されてきていた。
                しかし、元来の研究開発費の性格を考えれば、これは将来のための支出であ
            って、現在の生産物生産のための支出としてカウントするのはおかしかった。
            だから、今回の改訂は本来の整理のあり方と整合的なものといえる。

                もっとも、これまで設備投資に計上されなかったことにも理由がある。設備
            投資では、通常、当初の投資額を耐用年数を基準に一定の算式で分割し、各年
            の費用(減価償却費)として計上している。しかし厳密には、ある年の生産に
            使われた生産設備のコストとその年の減価償却費の額が一致しているとは限ら
            ない。減価償却費の計算が一定の算式に基づいて画一的に計算されているから
            だ。しかし、それを、対応しているとみなそうということで来た訳だ。
                それでも、生産設備のように、物的なものであれば、ある程度は客観的に、
            耐用年数に一定の基準を定めることができ、それに基づいて計算した減価償却
            費は、ある程度、何らかの意味で実態を反映したものとは言える。
                これに対して、研究開発投資は、すぐに生産や売上に役立つものもあれば、
            10年、20年立たないと役立たないものもある。研究開発投資をどのように
            コストとして、将来の期間に配分するかは、一定の基準を作るにしても、個々
            の企業の判断に待つ部分が大きい。それは企業にしかわからないことなので、
            まあ、操作の余地があり得るということだったろうか。しかも、それが適正か
            どうかは、10年とかの期間が経って実際に売上や生産への貢献を見てみない
            と(事後的にしか)わからない。これが、研究開発投資を設備投資に組み入れ
            ることがこれまで行われてこなかった理由の一つだと考えられる。

政府
   分配(分配③+分配①Bー分配②B)を受けた政府は、それを、政府消費及び公共投資として支出する(太い実践で示した「支出③」)が、分配が足りなければ国債等を発行して、家計貯蓄、企業貯蓄から借入れ(金融機関から政府へ向かう太い点線の「C国債投資」)、政府消費、公共投資を行い、必要に応じて外国為替特別会計に繰り入れる(外為特会では、過度の円高が進行するときに政策判断で為替市場に介入し、繰り入れられた円を売ってドルを買うことで円高を抑制する)。そして、残余は政府貯蓄主に基金などに積み立て、また社会保障基金については計画的に積み立て)となる。
  政府: 分配③+分配①Bー分配②B+C国債投資政府消費+公共投資+外為特会の増+政府貯蓄 =支出③+外為特会+政府貯蓄
   
海外
    海外(貿易相手国の合計)には、生産に伴う分配はない。海外側が貿易赤字なら、海外はまず当方(つまり日本の)金融機関から貸出を受けなければならない(太い点線のD海外投資)。さらに企業貯蓄の一部から海外への投資(直接投資や証券・債券投資)が行われる(図1で「貯蓄」から「海外」への薄い点線の「海外投資」)。さらに、政府の外為特会による海外通貨投資の際に海外の債券(米国債など)が購入されることで生ずる「海外投資」がある(外為特会と海外を結ぶ薄い点線)
    これらは、「海外」側から見ると、貿易赤字分の支払のための当国側からの借入に相当する。当国(日本)側から見ると貸付である。
    こうして得た貨幣を使って「海外」は、当国(日本)で生産された財・サービスを純輸入(当国からみると、これは当国の貿易黒字分(=純輸出)になる)してくれる。これが支出④である。
  海外: D海外投資+企業直接の海外投資+外為特会による海外投資純輸出支出④

(3)三面等価の原則・・・各経済部門を合算すると

   上記(2)の各部門別の各式を再掲すると次のとおりである(中間は省略している)。
家計:    分配①ー分配①BA貸出=支出①+家計貯蓄
企業: 分配②+分配②B+B(貸出、新発社債、新株)支出②+企業貯蓄
政府: 分配③+分配①Bー分配②B+C国債投資支出③+外為特会の増+政府貯蓄
海外: D海外投資+企業直接の海外投資+外為特会による海外投資支出④

    以上の5式の左右両辺のそれぞれを合算すると、
左辺分配①+分配②+分配③+A貸出+B(貸出、新発社債、新株)+C国債投資+D海外投資+企業直接の海外投資+外為特会による海外投資
右辺支出①+支出②+支出③+支出④+家計貯蓄+企業貯蓄+外為特会の増+政府貯蓄

    左辺と右辺は等号でつながれるから、
分配①+分配②+分配③+A貸出+B(貸出、新発社債、新株)+C国債投資+D海外投資+企業直接の海外投資+外為特会による海外投資支出①+支出②+支出③+支出④+家計貯蓄+企業貯蓄+政府貯蓄+外為特会の増 ・・・・・・・・A式
 
    ここで、「(1)生産と分配」で見たように、左辺の「分配①+分配②+分配③ 」は「生産額」と同額である。この「生産額」は、売上額でなければならないが、その売上に寄与する購入者は、4つの経済主体以外にはないのだから、それは4つの経済主体の(財・サービスへの)支出額の合計と一致する。つまり、

 分配①+分配②+分配③=支出①+支出②+支出③+支出④ ・・・・・・B式
でなければならない。
    つまり、B式の左辺の分配の合計は「生産」に等しいから、次のように書ける。

 生産分配(分配①+分配②+分配③)支出(支出①+支出②+支出③+支出④)・・C式

    これは三面等価の原則である。ただし、注意すべき点として、これは生産されたものがすべて売れることを示しているように見えるが、そうではない。意図せざる売れ残りが生じたとき、企業は、これを在庫投資として抱えることができる。企業は、売れ残りを資産(つまり貯蓄)に計上することによって、見かけ上、生産物はすべて販売されたように処理できるのである。三面等価の原則は、それを許容する。
    もっとも、通常、企業は、販売の動向を常にモニターし、それに基づいて、できる限り生産量を調整しようとする(あるいは価格を引き下げて売ろうとする)ので、現実には、必ずしも売れ残りは大きくはならない

        注)しかし、例えば価格を下げて売り切る(価格調整)場合も生産数量を削減して
            対応する場合も、どちらにしても名目売上総額が減少する。ところが、過去の設
            備投資負担(資金の元利償還負担)の名目支払額は変わらないし、契約済み労働
            契約、契約済み中間財契約などは容易には変更できないため、そのコストが、他
            のコストを圧迫する。これにより企業は、「需要不足」を認識し、設備投資の抑
            制や労働者の削減に取り組むことになるだろう。売れ残りが小さくても、不況は
            現実化する。しかし、ここでは、これ以上は考えない。

    また、上のB式の両辺を、その上のA式の両辺からそれぞれから差し引くと(さらに、左右両辺の外為特会の項は等しいから、相殺すると)、次のようになる。
出+B(貸出、新発社債、新株)+C国債投資+D海外投資+企業直接の海外投資
  = 家計貯蓄+企業貯蓄+政府貯蓄   ・・・・・・D式
  
となる。つまり、右辺の3部門で貯蓄されたものの全額が、左辺の各項目のように、貸出、社債・国債投資、証券投資、海外投資の形で、すべて最終的に国内の生産物の購入(そのための支出)につながる用途に100%貸出・投資されればよいのである(されなければ、需要不足になる)。・・・上のD式で左辺=投資、右辺=貯蓄だから、これは、投資=貯蓄、つまり貯蓄・投資バランスを表している。ただし、ここでの「投資」は、設備投資、住宅投資や耐久財消費、政府消費・公共投資、純輸出といった財・サービスの需要につながるものでなければならない。

(4)図1はセイ法則(「供給が需要を作り出す」)のメカニズムを示している

    さて、このC式は、同時にセイ法則を貨幣の循環面で表していると考えてよいだろう。
    C式の左辺の「生産」は「供給」にあたり、最右辺の「支出」は「需要」にあたる。つまり、C式は、「供給=需要」を示しているのである。
    そして、図1は、「生産」の際に、その生産コストとして「分配」された貨幣が、生産された生産物の購入費用になっていることを示している。つまり、それは「供給が需要を作り出す」(=これはセイ法則である)ことを意味しているのである。
    セイ法則自体は、好況期や需給バランス期には、当然ほぼ完全に成り立っていると考えてよい。しかし、需要不足があるとき、セイ法則は成立しないと考えられる(同語反復的だが)。
    かといってその場合でも、図1のような循環が100%成立しないと考えるわけではない。かなりの不況であってもこれが成立しない貨幣循環の割合は数%程度と考えられる。つまり少なくとも、95%は、図1のような貨幣の循環が成立している。だから、こうした貨幣の循環を伴う経済循環を、拙旧著『重不況の経済学』(2010、新評論)では、セイ・サイクルと名付けた。こうした循環(セイ・サイクル)が経済のメカニズムの基本にあるという理解に問題はないだろう。問題は、それが1%あるいは最大数%崩れることがあるかどうかである。
        注)ここまでで見てきた観点は、暗黙のうちに問題を単純化しているということ
             を、ここであらためて少し補足説明しておこう。
                 第1に、以上のような見方は、経済を「予算制約」で捉えるという目的に適
              合するように、条件を単純化していることだ。
                 すなわち「生産」で「分配」された貨幣量は、生産の規模によって(予算)
              制約され、「支出」は配の規模によって(予算)制約され、元の「生産」は
              支出の規模によって(予算)制約されている。以上の説明は、こうした関係
              説明するのに適した枠組みを示しているのである。だから、ここでは、時間軸
              は重視されていない。
                  第2に、図1は、最初の「生産」で生み出された付加価値が貨幣として「分
             配」され、それが「支出」されて、最初に生産された生産物の購入にあてられ
             るというサイクル(セイ・サイクル)を見ているが、生産後に、生産の際に
             配された貨幣を使った支出で最初の生産物が購入されるまでの時間は、実際
             はまちまちである。1か月以内に購入にいたる場合もあれば、遠く迂回して
             入にいたるまで数年かかる場合もあるだろう。
                 このように(生産で分配された)すべての貨幣が生産物の購入で完結にいた
             るまでをフォローし、すべてが完結終了するまでを、一つのサイクル(一つの
             期)とみなすというのがセイ・サイクル」を定義する意味である。では、こ
             うした図1は現実の経済とは、全く異なるものだろうか。
                そうであるとも言えるし、そうでないとも言える。このサイクルを通常のG
             DPや普通の大多数の企業の会計のように、1年間で区切ってみよう。すると
             サイクル(期)の始期には、前サイクルの未だ支出に至っていない貨幣の残高
             がある。一方、現サイクルの終期時点でも、現サイクルで分配されて未だ支出
             に至っていない貨幣の残高が残っている。だから、成長のない静的な経済を仮
             するなら(実際、ゼロ成長に近い国は現在も少なくない)、経済全体を集計
             的にとらえ、始期と終期のそれぞれの残高は相殺し合っているとして処理して
             大過ないと言えるだろう
                 このように単純化して考えることにより、GDPの三面等価やセイ法則が理
             解しやすくなる。時間軸を加え成長のある経済を考えるのは次のステップの問
             題であり、その際には、このページの観点の上にその観点を載せて考えればよ
             い(ここでは考えない)。
  
(5)分配の構造と支出需要)の構造と日本の停滞

    以上から理解出来ることを一点述べておこう。まず、分配である。家計への分配①と企業への分配②と政府への分配③という分配の割合は、支出の割合(家計〜海外の支出①〜④の構成)に影響するということだ。以下、ざっと概観しよう。

家計への分配
    まず、家計への分配が大きい場合と小さい場合では、消費の構造が違うだろう。家計への分配が大きければ、国内需要かつ最終消費の比率が大きくなる傾向があるように見える。もっとも、家計への分配のうち、株主配当の割合が大きければ、消費よりも設備投資が大きくなる傾向がある。

企業への分配
    逆に企業への分配が大きくなれば、設備投資への支出の割合が大きくなる傾向がある。だが、設備投資で生産能力(供給能力)が(最終消費に比べて)大きくなりすぎると、供給能力の過剰となって、設備投資は抑制されることになる。この抑制によって、経済成長率は低下し不況となる。一般論としては、家計への分配と企業への分配にはバランスが必要なのである。
        注)サマーズがいう近年の世界経済ないしは先進国の「長期停滞論」の原因は
             80年代以降の新自由主義、市場原理主義思想の広がりなどによって、資本
             への分配が過度に大きくなり、最終需要である先進国の消費が過少となって
             いることが原因となっている可能性があると考える。

海外への分配
    しかし、その国の産業に輸出競争力があれば、企業への分配が大きく設備過剰となっても、企業はそれを海外投資(金融機関経由も含めて)することによって、純輸出を増やし、供給力の過剰を解消できる。なぜ海外投資(ないしは貸付)が増えると輸出が増えるかというと、海外投資するためには円を売ってドル(又は相手先国の通貨)を買う必要がある。そのために円安ドル高となり、輸出が有利になるからだ。高度成長期の日本はそうした状況だった。
        注)ちなみに、全く海外投資・貸付をしなければ、必ず事後的には経常収支がバ
            ランスせざるを得ない。そして、その調整は為替レート(つまり円高)で行わ
   れ、経常黒字はゼロとなる(というより経常黒字がゼロとなるような水準まで
            となる)
                なお、経常収支の主要項目には貿易収支のほかに第1次所得収支(過去の
            投資が累積した海外資産からの利子配当など)がある。これは現在、巨額
            あるため、経常収支がプラスマイナスゼロなら、第1次所得収支の黒
            分だ貿易収支は赤字とならざるを得ない。それが現状である。
                もっとも、現在、経常収支はプラスマイナスゼロではなく、黒字であるため、
            その黒字分だけ、海外投資が超過(昔の書き方では「資本収支の赤字。現在
            書き方では「金融収支の黒字」になっている

    ◎日本の停滞の原因
    だが、今日、中国をはじめとする東アジア諸国の台頭に伴って、日本の国際競争力には限りがあるようになった。この結果、日本は、海外への輸出によって過剰供給力を解消できない状況となっている。
    これが、今の日本の停滞の原因の一つである可能性がある=まず企業への配分が大きく、家計への配分が弱いために、内需の最終消費が低迷している。一方で、東アジア諸国の台頭で、日本は輸出で供給能力の過剰を解消することもできない。このため、企業への分配が大きくても設備投資は抑制され、企業の資金余剰は維持され続けている。(企業にとっては)供給過剰であることは雇用を抑制できる理由であるから、それは家計への配分が小さくなる原因となる。こうした3すくみが固定化していることが日本の長期停滞の原因の一つだと理解できる。

政府への分配
    政府への分配③(及び家計、企業との租税や助成金、給付による再分配)に基づいて、政府は、最終消費と公共投資を行う。その分配が不足していれば、政府は、家計や企業の貯蓄を金融機関を経由して借りて(つまり、国債を発行して買ってもらい)支出する。
    さて、日本の政府の現状は、毎年巨額の国債を発行して、政府の累積債務は毎年増え続けている。これは正常なことだろうか
    物価上昇率をみると、極めて低いか、しばしばマイナスにもなっている。したがって、図1の支出①〜④の合算額(=総需要)は、(少なくとも)生産額(総供給)を超えていないと推定される。
    また、金利をみると、極めて低くほぼゼロ金利である。つまり、家計〜企業による貯蓄つまり総資金供給額に対して、政府を含む(家計、企業、政府、海外の)資金需要の総額つまり(金融機関等からみた)総貸出額(ここでは債券投資や証券投資などの形態のものを含めたすべての資金需要)は、(少なくとも)超過してていないと推定される。
    むしろ、ゼロ金利なのだから、資金需要の方が少ない可能性がある。これは貨幣を貨幣のまま持たざるを得ないということだから、やむを得ずだとしても、貨幣市場には貨幣を求める超過需要があることになる(貨幣市場の超過需要とは貨幣を貨幣の形態で持とうとする需要が超過していることをいう)。

    なお、金利が低い理由としては、量的緩和、量的質的緩和(異次元緩和)の影響があるだろう。しかし、図1とここまでの説明をみればわかるように、デフレ的物価上昇(下落)率を示す生産物(財・サービス)の需給状況(超過供給)と、ゼロ金利的な貨幣の需給状況(貨幣の超過需要(注)は、対応関係にある。これは、ワルラス法則に従えば、正常な状態である。理論的には、こうした状況の実現には、特段の金融緩和は必要ないことになる。しかし、金融市場は、期待、思惑などに左右される投機的な世界だから、現実論としては、その予防的な手当として金融緩和は妥当である。
        注)貨幣の超過需要」とは・・(非常に誤解が多いが)これは貨幣を貨幣の形態
            のまま持っていたいという需要のことであり、必ずしも「常識的な意味での」
            貨幣の不足を意味しない。
               まず、通常「貨幣」としては、現金貨幣のほかに、要求払預金 (当座預金や普
           通預金など)を含んでいる。つまり、ほとんどは「預金」の形なのである。そ
           て、この預金貨幣の超過需要とは、預金したいという預金口座を求める需要
           いしは既存の預金口座の金額を増額したいという需要、つまり単に、預金
           普通預金などの要求払預金)の形で保有したいという需要なのである。通常
           融機関は、それを拒否することはないから、その預金は受け入れられる。
               だが、それほど預金したいという需要が強いのだから預金金利が低下しゼ
           ロに近いても預金は増え続ける。逆に、預金金利が低下しても預金額が減ら
           ないあるいは逆に増える)状態にあることは、貨幣に超過需要があることを
           裏付けているといえる。れは、債券金利の低下(=債券価格高)が、債券に
           超過需要があることの証明であるのと同じる。
               ここで重要なことは、金融機関は、受け入れた預金を自由に貸出したり、
           国債投資などに運用したりできることだ(さもなければ、預金者に金利を払う
           とができない)。つまり、預金は金融機関が自に運用し、貸出需要がある
           企業に貸出したり、債券発行者(企業や政府)して投資ができる状況にあ
           るのだから、企業の資金需要に対して、貨幣供給が不足しているのではないの
           だ。
              つまり「貨幣の超過需要」は、貨幣が不足していることを意味しない。それ
          は、単に購買力として使う意思のない貨幣が(ほとんどは預金口座に(一部は
          現金で金庫や引出やタンスに)あふれている状況言い換えれば貨幣が「
          買力」として使われず、貨幣のままで居つづけようとしている状況である。
              原因は2つに絞られる。つまり、銀行が貨幣を抱え込んで企業に貸出しない
          のか、あるいは企業が設備投資を抑制しており企業に資金需要がないために、
          銀行が貸し出しできないかである。問題は後者つまり企業が設備投資を抑制し
          設備投資資金のために借入しようとしない点にあると考える。これは、資金循
          環統計を見れば、日本では一般企業部門が1998年以降コンスタントに資金
          余剰状態にあるとで明らかだと考える。
              重い不況期における企業部門の資金余剰は、30年代大恐慌時の米国や日本
         (拙著『日本国債のパラドックスと・・』(米国については安達誠司氏らの図を
           用)参照)でも、また近年ではリーマンショック直後を中心に欧米先進国で
           く見られた現象であ
              日本については、つぎのページの図1を見れば、非金融法人企業(一般企業
          のこと)が、1998年以来コンスタントに資金剰部門であり続けている
          資金を余らせ、毎年貯蓄を増やし(あるいは負債を減らし)続けてる状
          況であること)で明らかである
              米国については、「財政赤字の主因は放漫財政でなく設備投資の変動」のペ
          ージの後半にある2つ目のグラフ(「米国の部門別資金過不足」)参照(ただ
          し、米国では、家計部門の資金不足が07年から急速に収縮し、09年、10
          年と資金余剰となった影響の方が大きい。ちなみに、米国でも、企業、家計部
          門の急速な資金余剰への転換を埋めるように政府部門の赤字が急拡大した(グ
          ラフでは青紺色))

(6)セイ法則と「財・サービス生産」の不可分性と、「資産」

◎セイ法則成立メカニズムにおける「財・サービス生産」の重要性
    ここで、次の2に続ける前に、この1でもっとも重要な結論を述べておこう。それは、こうしたセイ法則やGDPの三面等価を実現するメカニズムを示す図1(セイ・サイクル)が「財・サービスの生産」と密接不可分であることだ。
    財・サービスの生産があって、はじめて分配が生じ、さらに最初に生産した生産物を買うための支出の原資が生じる。だからこそ、三面等価が実現し、セイ法則が成立する。
    
◎「財・サービス」と「資産」の区別と混同
 重要な点は、こうした「資金循環によってセイ法則を成立させるメカニズム」から見ると、「資産」と「財・サービス」は決定的に区別されなければならない。しかし、多くの人たちの頭の中では、それが経済プロセスの理解において混同され、混乱していると考える。
    「資産」については、すでに、この1の頭書き((1)の見出しのすぐ上の「注)」で、説明した。また、すでに述べてきたように、「資産」は、GDPの計算を行う期間の中で「生産」されたものではない
        注)実際、この1の頭書きで述べたように、資産の売買には「売買差益」が生
           じるが、それによる収入は、税法上の所得ではあっても、経済学上の所得で
           はない。所得が生じないとは、生産されたものとみなされないことを反映し
           ている。売買差益は、単なる価格の変動であり、財・サービスの価格変動に
           係わる一般「物価」の変動と同様のものである。したがって、資産取引によ
          る利益は実質GDPには反映されない。

◎財・サ生産起点の図1中の貨幣の一部が資産市場に超過流出するか否かが次のテーマ
    したがって、資産取引は、GDPの三面等価とは直接的には無関係であり、セイ法則とも無関係である。財・サービスの「生産」を起点として生じるGDPの三面等価、セイ法則において、それに伴って循環する貨幣の一部が、資産市場に超過流入(=資産市場への流入ー資産市場からの還流)すれば、セイ法則は成立しないことになる
    これは、実は、拙著『日本国債のパラドックスと・・・』(2013、新評論)や、New Economic Thinking2 、New Economic Thinking10 等で説明してきたように、実はワルラス法則からすれば明らかなことである。
    冒頭近くでも述べたが、ワルラス法則は、すべての市場の超過需要、超過供給を合算すれば、その和は常にゼロとなることを言う。これは、購買力(=貨幣または交換の対価として提供される「物々」)の市場間の移転を会計的に辿れば成立することが明らかなように、常に成立する。すなわち、これは、会計則なのである。
        注)これがマクロ的な意味で会計則であることは、ミクロ的な取引の関係を積
            み上げる形で容易に示すことができる。例えば、拙著『日本国債のパラドッ
            クスと・・・』補論1(230〜237頁)参照。

   このワルラス法則に従えば、一つの市場で需要不足があれば、他の市場では、それと同規模の超過需要が発生していなければならない。
   だから、大多数の経済学者が不況では生じると考えている「財・サービス市場で需要不足」があるなら生産調整などにより労働市場も労働需要不足となるから)、残る「資産市場」では、財・サ市場と労働市場の需要不足の和に相当する規模の超過需要が生じていなければならない
   このメカニズムを貨幣に着目して見れば、財・サービス市場で使われていた貨幣が、「資産に転化」するか(この意味は貨幣の機能に係わる。次の2で説明)、あるいは債券市場等に流入して債券市場に超過需要を作りだす(→債券価格の上昇=債券金利の低下)。こうしたメカニズムによって、ワルラス法則が満たされる(つまり、以上の議論は、ワルラス法則と整合的なのである)。
               これは、現在のリーマンショック後の主要先進国が経済の停滞を続けてい
            る(不況)状況下で、ゼロ金利レベルの超低金利が続いている(国債金利が
            低下している)状況と矛盾しない。なお、こうしたゼロ金利が各国の量的緩
           和の効果のみによるという主張については、ここまでも折々にふれてきたが、
           つぎの2の(3)の中でも「◎不況期の金利低下」という項でふれている。

   ワルラス法則が会計則であるのは、「財・サービス」だけでなく、債券、株式や土地などの(財・サービスではない)「資産」など、取引の対象となり得るすべてのものを取引の対象として把握する法則だからである。このために、この観点では、不況やバブルもシンプルに理解できる。こうしたことについては、拙著『日本国債のパラドックスと・・・』(2013、新評論)や、New Economic Thinking2 、New Economic Thinking10 等で整理してきた。

   これに対して、セイ法則は、「財・サービスのみ」を取引の対象として扱うために、現実の経済における取引の対象に債券や土地などの資産が混在する場合には必ずしも成立しない場合があると考える。これは、経済における「財・サービス」の取引と「資産」の取引の比率に変化がないなら、見かけ上は問題がない。しかし、その比率が一時的にせよ、ある程度持続的に変化していくことがあれば(不況やバブルである)、そのとき、セイ法則は成立しないことになると考えられる。
    
   次の2では、こうしたワルラス法則とセイ法則の違いに基づく理解が、貨幣の循環を具体的に見ることによって、正しいかどうかを確認していく。言い換えれば、以上の1を踏まえて、貨幣の循環を中心に、セイ法則に係わる現実的なプロセス(メカニズム)を、より詳細かつ具体的に見ていく。

2 セイ法則が破れ得るメカニズムと経路をみる

    つぎに、上記1を踏まえて(最大 数%にせよ)セイ法則が破れるとすれば、どのような経路で破れるのかを、貨幣の流れを通じて見てみよう。
    つぎの図2は、図1にそうした(破れの)経路を書き加えたものである。
    なお、図2の[生産物の生産→分配→「①消費・住宅投資〜④純輸出」(支出)→生産物(購入)]部分は図1と同じである。このため、図2では、左側の「生産」と「分配」部分は省略している。

参考)ノーカットの図2
    一方、追加されたのは、「貯蓄」に関わる項目である。すなわち、図2の右側の「ストック市場」に関わる「(1)タンス預金純増〜(3)資金回転率低下(貨幣流通速度の低下)」の項目と「(9)信用創造」、さらにそれらの項目と他の項目を結ぶ網掛け太矢印である。
    図1では、各経済主体の貯蓄は、必ず何らかの形で(主に金融機関を通じて、あるいは直接に、他の企業や他の家計に、貸付あるいは投資され)最終的には①〜⑤の支出となって、(生産に際して分配された分配①〜③の)全額が生産物の購入に「支出」されると考えた(=セイ法則の成立)。

(1)タンス預金

    これに対して、ケインズは、家計などが現金をタンス預金する実例をあげて、図1のような流れから外れる貨幣があることを指摘した。タンス預金とは、銀行などの金融機関に預金されない貯蓄である。したがって、預金された貯蓄とは異なって、この分については、金融機関を通じて企業などに貸し出されることはないため、単純に退蔵され、GDPに係わるサイクルから完全に外れてしまう。このとき、生産物の分配で配分された金額の一部が生産物の購入に充てられないわけで、その分、生産物の需要は減少する

    これに対しては、タンス預金をする人もいる一方で、過去のタンス預金を取り崩して使う人もいるから、経済全体では、差引では影響は中立であるという反論があり得る
    しかし、経済変動、景気の変動は、多数の人々に斉一的に一定方向の行動を行わせることが多い。現実には、景気変動などに応じて、不況期には多くの人がタンス預金を増やし続けたり、逆にインフレ時や高金利時には、むしろタンス預金を減少させ続けたりといったように、経済の状況に応じて一定の方向性をもった持続的な行動の変化が観察される
    例えば、米国の大恐慌時に銀行倒産が増え、取り付け騒ぎが増えた時期には、人々は現金を抱え込み続けた。こうしたことは、現在でも、市中に出回っている現金貨幣量が、一定期間増加を続けたり減少し続けたりという変動があることで観察される。

    タンス預金が一定期間、持続的に増加を続けるとき、「生産物」の需要はその分不足すると考えられるのである。

(2)資産投資

    家計や企業が行う支出の対象は、「生産物」(財・サービス)だけだろうかといえば、そうではない。土地を買うこともあるし、社債や国債を買うこともある。また、株式証券を買うこともある。さらに、貨幣を取引媒介機能として使うのではなく、価値を保蔵する目的で所有する場合がある(タンス預金もこれに重なる)。これらの購入の対象物は、生産物(財・サービス)ではない。生産物ではないから、これらを買うことが直ちに、生産物の需要になるわけではない。これを「資産」ということにしよう。資産は、価値の保蔵(わかりやすく言えば「自分の保有財産の価値」を維持保存すること)を目的に保有される。
        注)もちろん、土地や貨幣については、価値の保蔵を目的としない所有もある。
            たとえば土地については、生産物(財・サービス)を生産するための生産要素
            として取得し使用する場合である。また、貨幣については、貨幣の取引媒介機
            能としての使用の場合である。それを区分することが難しいのは事実だが、区
            分は可能だ。

    これらのうち、新たに発行された社債、国債、株式は、通常は設備投資や公共投資などに使われるから、これは結局は生産物の需要となる。だから、それらの購入は、トータルでは生産物の需要に影響しない(総需要を小さくしない)。
    だが、過去に発行された既発の社債、国債、株式を新たに購入する場合、その購入に使われた貨幣が、発行者の新たな設備投資などに使われることはない。もっとも、それを売却した前の所有者が受け取った売却代金の全額を生産物の購入に充てれば、総需要には問題はない。土地の売買の場合も同様である.
    しかし、前の所有者が売却代金の全額を生産物の購入に充てず、一部を再び他の既発の社債、国債、株式あるいは土地等に投資する場合がある。このときは、その分だけ生産物の購入に使われる貨幣は減少し、その分だけ生産物の需要は減少することになる

    わかりやすく言えば、まず「バブル」のときにそうしたことが生ずる。例えば、土地が値上がりを続けているとしよう。この値上がりを続けていること自体が、人々の売買差益の獲得期待を上昇させ、人々は土地購入に資金を投入する。このとき、土地市場に持続的に貨幣が流入を続けるが、逆に「生産物」の需要はその分低下することになる。
        注)このような土地市場への資金の流入状況と土地価格の上昇については「貨幣
             流通速度と不況期資金余剰」の前半のグラフ(特に)図3〜図5参照。
               ただし、日本の80年代末のバブルについては、土地の担保価値が安定する
            かむしろ上昇していたことで金融機関が積極的に貸出(図5)を行ったが、そ
            の資金のくは金融機関の信用創造(後出)でまかなわれたため、生産物の需
            要への負の影響は大きくなかった。・・・むしろ、資産効果が目立った。
                ちなみに、土地バブルでは、土地市場が貨幣を吸収し続ける。正確に言えば
           「土地価格の上昇」が貨幣を吸収し続けるのである。これは、生産物(財・サ
            ービス)でいう「物価」上昇と同じ現象である。

(3)資金回転率の低下(貨幣の流通速度の低下)

    資金の回転率の低下(貨幣の流通速度の低下)には、見かけ上二つの意味がある。

資産への投資に伴う見かけの貨幣回転率の低下
    一つは、上記(2)で説明したように「資産投資」が増加を続けると、貨幣の流通速度は低下することだ。これは普通に観察される。例えば日本に関する「貨幣流通速度と不況期資金余剰」の前半のグラフ図1、図2、図6をみると、土地バブル関連の3つの時期には、明確に「貨幣の流通速度が低下」していることが観察される。
        注)また、同じページの図3をみれば、これらの時期に不動産向け融資が急増
            していること、さらに同じく図4をみれば、これらの時期と地価上昇のタイ
            ミングが一致していることが明らかである。

    こうなる理由は、「貨幣の流通速度」の定義に係わる。これに係わるフィッシャーの交換方程式は、次のように定義される。
         MV=PT   → つまりV=PT/M    ・・・①
(ここでM:貨幣供給量、V:貨幣の流通速度、P:取引物の価格、T:取引数量)
    ここで、貨幣は、生産物(財・サービス)だけでなく、資産の取引にも使われる。したがって、右辺のPTには、財・サービスだけでなく資産取引も含めるのが筋である。

    これに対して、通常使われる交換方程式(数量方程式)はつぎのように定義される。
        MV=名目GDP  → つまりV=名目GDP/M ・・・②
           (このVは、「貨幣の所得流通速度」と呼ばれる)
     なお、名目GDPは名目国民所得でもよい↓
        MV=名目国民所得(=P×Y)           ・・・③
(ここでP:(取引物《財・サービス》の)価格、Y:実質国民所得)

    ここで、②式右辺の名目GDPの対象は、生産物(財・サービス)関連の取引だけであり、資産の取引は基本的に含まない。もっとも、貨幣が使われる取引全体の中で、財・サービス取引の割合が変わらなければ、①式と②式のVは、結局同じである

    新古典派経済学者、マネタリストは、基本をセイ法則が常に成立する状況において思考するため(これは古典派の二分法(貨幣と財・サービスの分離)につながる)、結果的に(ないしは長期的には)①式と②式は同じだと考える

    しかし、上で見た土地バブル時のように(結構長い「短期」で)、土地などの資産取引のウエイトが高まれば、それに使われる貨幣の動きは、右辺の名目GDPには直接反映されないか、左辺と右辺の扱う対象範囲がずれているため)、必然的に、貨幣の流通速度(正確には「貨幣の所得流通速度」)は低下することになる。
        注)この頁末尾の参考の図3では、「「貨幣」と「取引等」の対応関係がずれ
            ていることを、対応する部分を黄緑の線で囲んで示している

    こうした貨幣の流通速度の変動メカニズムを考えれば、これは、上の図1、図2でみた資金循環で、資産取引への貨幣持続的な(超過)流入が一定期間続いたと考えるしかない。つまり、このとき(「短期」では)セイ法則は成立していないのである。
        注)土地市場への資金流入が持続的に続いたことは、例えば80年代末の土地
            バブル期に関する貨幣流通速度と不況期資金余剰」の図5がわかりやすい。

   彼等のモデルが、不況をうまく取り扱えないのは、財・サービスに係わる貨幣循環(貨幣の取引媒介機能に係わる貨幣循環)を、資産市場における貨幣循環(貨幣の価値保蔵機能に係わる貨幣循環)から切り離し(注)、両者間に相互作用がないと仮定しているからだ。
        注)「古典派の二分法」的観点が事実上生きているのである。

    以上は、実は (2) を言葉を換えて説明しているにすぎない。

貨幣自体の回転率の低下
    さて、上記のバブルでは、貨幣は土地価格の上昇に引き寄せられて、能動的に土地市場に貨幣が流入を続けた。これに対して、本題であるもう一つの貨幣の流通速度低下の原因は、単純に、貨幣の運用先(貸出債券投資など)がないために、受動的に貨幣(自体)の回転率が低下している場合である。

    不況になり、財・サービスの取引が低調になったとしよう(→GDPは低下)。このとき、市中に保有されている貨幣の量Mは変わらないが、その使用率つまり回転率V(貨幣の流通速度)は低下する。例えば、1か月に一度取引に使われていたお金が、2か月に一度しか使われなくなるというようなことである。

    もちろん、そうした貨幣が金融機関の預金口座に預金されていれば、自行の貨幣を常に管理している金融機関は、不況下で、自行全体でみた平均としての資金の回転率の低下を認識するだろう。すると金融機関は、その回転率の低下分を活用して、貸出や投資を拡大することができる。つまり、その資金を他の企業に貸し出し、あるいは社債や国債投資を行うなどの形で、それを運用しようとするはずである。
    しかし、不況下では、企業は、需要見通しの低下に合わせて(合理的に)設備投資を抑制し、家計も雇用不安を増幅させて、自動車などの耐久消費財の消費や住宅投資を抑制する。このため、金融機関が運用を拡大しようとしても、(不況で)貸出先は減少し、企業は社債の発行を抑制するから、資金は有効活用される回数が減少する。

    この結果、(上の (2) のように特定の資産市場に能動的に資金を投じる場合とは別に)、貸出先、投資先が減少することが原因で、受動的に貨幣の回転率が低下するということが生じ得る。
    現実には、「貨幣流通速度と不況期資金余剰」の図6、7、表1、米国の貨幣流通速度の図、図9などを見れば、不況期(景気後退期)に貨幣の流通速度がより大きく低下していることがわかる。これは不況による財・サービスの取引の減少で、その取引媒介のために必要な貨幣が不要となり(余り)その運用先(貸出先や投資先)が不足しているのである。
        注)この場合、生産企業の資金需要が低下するのではなく、金融機関が不況を
            認識して、貸出のリスクを高く考え、貸出を絞るのだという考え方が多い
                しかし、生産企業は、金さえ手当てできれば常に無条件に設備投資をする
            ものだ(収益最大化原理)という見方は明らかに現実の企業の判断とはずれ
            ている。
                もちろん、そのようなことも現実にはあるだろう。しかし、それは平均的
            な企業が不況で設備投資のリスクを高いと認識し設備投資を抑制するのと同
            様の判断を行っているにすぎない。金融機関独自の判断とは思えない。
                金融機関が判断できることは生産企業も判断できると考えるのが自然であ
            る。金融機関が独自の情報を持っていることはあるにしても、それ以上に生
            産企業も独自の情報を持っている。金融機関の独自情報とは、他業種や他企
            業の情報程度である。
                また、通常、不況期には、中央銀行が金融緩和政策を実施し、そうした金
             融機関の貸出リスクを低減させているはずである。中央銀行の影響力がもっ
            とも強いとされる業界は金融業界である。金融業界は、それにもかかわらず
            中央銀行の政策を無視しているということになるが、それは正しいことだろ
            うか。

    ◎不況期の金利低下
    なお、不況期の金利低下傾向については、経済政策として不況期に行われる金融緩和政策の結果として理解されることが多い(金利は外生的に決定されるという理解)
    しかし、金利は一定程度は、中央銀行によって外生的に操作可能であるにしても、金融市場の需給関係によって内生的に決定される部分は小さくないと考える。実際、中央銀行の金利誘導は、主に金融市場の需給関係への働きかけによって実現されるのであり、中央銀行といえども、市場の需給関係を無視して恣意的に金利を操作することはできない

    こうした観点で金融市場の需給状況を見ると、不況下では、財・サービスの生産や取引の減少傾向によって、貨幣の取引媒介機能の必要(需要)が低下し、貨幣は利用されない割合が増加して普通預金口座等に滞留するとともに、その購買力(貨幣)は債券市場に流入する。
    このとき、まず(普通)預金「需要」が増加して(普通預金口座等の価値が上昇して、金利が低金利となっても預金する人が増えるため)普通預金の金利は低下する。
    ついで、普通預金等の増加に対応して、それを運用する金融機関は、運用先を求めて債券市場に資金(購買力)を注入する。すると、債券需要が増加して(債券の価格が上昇しても買う人が増え、言い換えれば債券金利が低下しても買う人が増えるため)債券金利が低下する

    すなわち、不況で、貨幣の取引媒介機能に関する需要が低下し、その分貨幣が余れば、まずは普通預金などの要求払預金などに滞留する貨幣が増加し、その貨幣は運用による収益を求めて債券市場などに流れ込んで、債券価格を上昇させる(=債券金利は低下)。

    ◎重不況(大恐慌、リーマンショック後の金融危機・世界同時不況など)では
    ただし、取り付け騒ぎが多発した大恐慌の初期や、リーマンショック直後のように、金融機関に対する信認が低下(つまり信用危機になる)した場合、まずは現金貨幣に対する需要が上昇して現金貨幣が保蔵される。
    しかし、こうした重い不況でも、中央銀行が最後の貸し手機能を果たし、あるいは信用緩和政策を強力に進めて金融市場に潤沢な資金を供給すれば、やがて信用危機は収束する。
    すると、家計や企業は、現金貨幣よりも当座預金やわずかでも金利が生じるような普通預金などの要求払預金に資金をシフトする。これによって、まず普通預金などに資金があふれ、その金利は低下していく(普通預金する人が増えるから、普通預金口座の需要が増えるため、普通預金口座の価値が上昇し、普通預金口座を提供する銀行は、普通要金金利引き下げても預金する人は減らないから、普通預金金利を引き下げる)

    また、信用危機が解消しても、引き続き需要の将来見通しが低下した状況が続けば設備投資等は抑制され、労働需要は低迷し雇用不安は持続する。こうした状況では、設備投資資金の需要は低下し、消費も低迷すれば、使い道のない貨幣が生み出される
    一方で、銀行に関する信用不安は低下しているから、貨幣の運用者は、貨幣を銀行に預ける。そして、その貨幣を運用せざるを得ない銀行は、できる限り収益性の高い、つまり金利の高い資産かつリスクの比較的低い資産(=国債などの債券)に向けて資金を移動させていくことになる。
    かといって、未だ重い不況が続いているとすれば、流動性、換金性の低い土地に資金を固定するとリスクが高いから、土地には貨幣は回らない。その結果、流動性、換金性が高く、一定の金利が得られる(この意味で収益性が高い)債券市場に資金が流入を続けて、債券価格が上昇し(つまり金利が低下し)ていくことになる。

    以上は、大恐慌やリーマンショック後などの重い不況下の超低金利などの金利の状況の推移、また、日本政府が長期にわたって巨額の国債発行を続け、政府の累積債務が世界史上空前の規模となっているにもかかわらず、国際的に見て最低水準の低金利で国債が順調に消化されているという事態(日本国債のパラドックスと整合的な説明であることがわかるだろう。

    財・サが需要不足ならインフレにならず、そのとき貨幣は余剰だから超低金利となる
    このとき(重い不況下では)、企業や家計は、不況を前提に、貨幣を節約し、経営や生活を安定化しようとしている。だから、仮に手元に貨幣があふれていても、生産物(財・サービス)の需要としてそれが使われることはない。いざというときのために、貨幣を抱え込んでいるのである。だから、インフレには容易にはならない
    そして、使われない貨幣は、直接、あるいは銀行などを通じて間接的に、資産としての貨幣に転化し、あるいは債券市場に流入を続けるだけである(したがって金利は低下する)。この結果、生産物(財・サービス)の需要は増加せず(したがってインフレは生ぜず)、不況は持続し、総需要の不足と同時に貨幣は余剰となり、現在の超低インフレないしはデフレかつ超低金利という状況がセットで続いている。これは、現在の先進各国の状況をシンプルに説明している。
    一つ留意すべき重要な点としては、バブルの場合、バブルが起動すると、資産価格が上昇を続けることで巨額の投資差益が得られるという資産取引の魅力によって貨幣が資産に吸引される。これに対して、不況では、財・サービス取引の不活発化によって、貨幣が財・サービス市場から押し出され、受動的に資産市場に流入する点がある。

    これに対して、新古典派系経済学では、貨幣が(取引の媒介物から)資産に転化したり債券市場に持続的に流入を続けたりするという観点を持たない古典派の二分法的観点)ため、こうした状況を取り扱えない(理解できない)。

◎ 貨幣の二面性(取引媒介機能と価値の保蔵機能)のうちの価値の保蔵機能の重要性

    ここで、話が少しややこしいのは、貨幣に「取引媒介機能」と「価値の保蔵機能」という2面性がある点にかかわる(なお、貨幣の機能や需要に関してはケインズらによる(少し異なる)定義もあるが、結局、この二つの機能に尽きると考える)

貨幣の価値保蔵機能
    貨幣に関する混乱の原因は、貨幣に「取引媒介機能」と「価値の保蔵機能」という二つの機能があることだと考える。そして、特に貨幣の価値保蔵機能の扱いの違いが重要な差を生み出している

新古典派経済学系では、(マクロ経済を見る場合)この二つの貨幣の機能のうち、事実上、生産物(財・サービス)の取引を媒介する機能取引媒介機能)のみを考え、価値の保蔵機能は考えない(物々交換経済に近いとも言える)。強いて言えば、後者については資産市場を考える場合にのみ考える(そこでは、資産市場は、財・サービスに係わる貨幣の循環からは独立しているものと考えられている・・・古典派の二分法的観点)。

機械的な貨幣数量説でも、貨幣の(財・サービスの)取引媒介機能しか考えない。だから、この観点では、財・サービス市場で取引に使われていた貨幣が資産市場に超過流入して資産価格の上昇を引き起こしたり、そうした経路で流入した貨幣が資産として保蔵されることはない。このため、政府中央銀行が貨幣供給量を増やせば、自動的に財・サービス一般の価格、つまり一般物価が上昇するという結論が導かれる(上記の貨幣の交換方程式③式「MV=PY」で、左辺の貨幣流通速度Vと右辺の実質国民所得Yが一定であれば、左辺の貨幣供給量Mの変化は、右辺の価格Pの変化にそのまま反映される)。

マネタリズムも、長期的には、やはり取引媒介機能のみを考えればよいと考える。したがって、フリードマンの「物価はいつでも貨幣的現象である」という観点が導かれる。

ここでのNew Economic Thinkingの観点では、ここまでの(1)〜(3)で見てきたように、バブル期及び不況期には、貨幣の「価値保蔵機能」が重要な役割を果たすようになると考える。特に不況の理解には貨幣の価値保蔵機能に注目することが不可欠だと考える。
    こうした観点は、新古典派系経済学一般、機械的な貨幣数量説、マネタリズムとは異なり財・サービス市場の需要不足(超過供給)と資産市場の相互作用(購買力の流入流出)を通じてワルラス法則を満たすことになる(あるいはワルラス法則が成立するメカニズムを提示している)

    すなわち、貨幣には2つの機能=取引媒介機能と価値保蔵機能がある。後者が資産としての貨幣、前者は新古典派経済学が認める取引媒介機能を果たす貨幣である。「古典派の二分法」的な見方に代表されるように、新古典派では、実質的に、貨幣は常に取引媒介機能だけを持つものとして扱われるだが、ときとして資産としての貨幣が生じたり増減したりすることで、その理論体系は混乱をきたすマネタリストも、実質的には取引媒介機能しか考慮していない。

価値保蔵機能からみた貨幣と他の資産(債券や土地)
    さて、上記の(1)の「タンス預金」は、明らかに貨幣の価値保蔵機能を果たしている。
    また、(3)の「資金回転率の低下(貨幣の流通速度の低下)」も、不況等によって結果的に、財・サービスの取引媒介機能の利用(需要)が減少したことに伴う現象であり、結果として、その分の貨幣(つぎに使われるまでの間隔が伸びた貨幣)は、価値の保蔵機能を果たすだけの存在となっている。
    このことは、現金貨幣(の回転率の低下=机や金庫での保管期間が伸びる)に関しては、外形的に見れば、タンス預金と区別できないことを考えれば明らかだろう。両者とも、タンスや机の引出や金庫の中に保管されていることは変わらないからだ。また、預金に関しても(銀行の貸出しや投資の減少で)それが使われる頻度が低下し、一定期間保蔵されているだけの状態(平均した保蔵期間が長くなる)なのであれば、それはタンス預金が、タンスの中に保蔵され使われていない状態と、経済に与える影響において変わりがない

   また、(2) の「資産投資」を考えると、「資産」とは、資産投資を行う人たちにとっては、将来、財・サービスを購入するための価値を、財産として保蔵するものであり、その意味では専ら価値保蔵機能を果たすものを言う。

   最後に、 (1)〜(3)のいずれに関しても、価値保蔵機能を目的とした保有が一定期間持続的に増加すれば、そのとき、現象としてはいずれも貨幣の流通速度の低下として現れるそれが財・サービス市場に与える影響も同じである。つまり、 (1)〜(3)の分だけ、財・サービスの需要が減少するのである。

◎セイ法則の成立・不成立の条件・・・貯蓄投資バランス
    図2の下段の(1)〜(3)式を再掲しよう。

    これは、図1の下部に示した (1) 式、(2) 式の再掲である。先に述べたように、両式には一定の対応関係がある。

    生産 分配①+分配②+分配③  ≡ 支出①支出②支出③ +支出④ ・・・(1)三面等価式
    供給     ~      【  ーーーーー需要 ーーーーーー 】  ・・・(2)セイ法則式

    しかし、(実際には)図2では、この両式の右辺には、(1)、(2)、(3)、(9)という別の経路が追加された。これを含めると、(2)式は、次の(3)式のように書かれるべきである。
    供給 ≡  〜 =【 ーーーー需要 ーーーーー 】+《(1)+(2)+(3)ー(9)》・・・ (3)式

 これと、セイ法則((2)式)を比較すると、つぎのように言える。
(1)+(2)+(3)ー(9)》=0 ・・・需給均衡=セイ法則成立
《(1)+(2)+(3)ー(9)》>0 ・・・需要不足=セイ法則不成立 →デフレ
《(1)+(2)+(3)ー(9)》<0 ・・・需要超過=  同上 ?  →インフレ

    いわゆる「貯蓄投資のバランス」とは、これに係わっている。つまり、バランスしているとき「=0」であり、「>0」のときはバランスしていない。貯蓄のうち、《(1)+(2)+(3)ー(9)》分が貨幣・債券・土地などの「資産投資」に流入し、財・サービスの需要となる「設備投資」(ほかに住宅投資や耐久消費財消費)に貯蓄が回っていないことを意味する。
    このとき、財・サービス市場の需要として使われなかった貨幣(購買力)は、資産市場に持続的に流入し、貨幣市場(貨幣については貨幣の形での保有に転化し(次項参照))、債券市場(ここには貨幣市場を経由して購買力が流入する)などに超過需要を生み出しているのである。

価値保蔵機能こそ貨幣の本質
    財・サービスや他の資産の取引に使われるという意味で、取引媒介機能が重要であることは疑いがない。しかし、貨幣の利用状況を見ると、取引媒介機能は常には機能せず、それは間欠的に機能するだけの存在である。ほとんどの期間つまり取引と取引の間の長い期間、貨幣は価値保蔵機能を果たし続けている(この間を、財・サービスの取引の為の準備期間と考えれば、それはケインズのいう「予備的動機」による保有ということになるが、それも価値を保蔵しているだけなのである。この頁の観点では区別する実益はない)。時間で区分して長短を比較するだけなら、価値保蔵機能こそ貨幣の代表的特質である。

    そもそも、物々交換は、当方が提供する財・サービスを相手方が欲しくて、かつ逆に当方が欲しい別の財・サービスを相手方が提供できるという関係が、ある一つの時点で成立二重のマッチングしなければ実行できない。
    これに対して、貨幣による取引は、二重のマッチングを片方だけのマッチングに分解し、もう片方のマッチングは、その代価として貨幣を提供するだけで成立する。財・サービスを提供した側は、直ちに欲しいモノを受け取る替わりに、それを将来の時点で購入に使える「貨幣」の形で受け取る。貨幣を受け取った側は、本来欲しい財・サービスの提供者が見つかるまでの間、貨幣を保蔵する。このように本来欲しいものが見つかるまでの間、貨幣は価値を保蔵する機能を果たすのである。
    つまり、貨幣とは、将来の適当な時点まで(時間をシフトして)、「価値を保蔵する機能」(「購買力を保蔵する」と言ってもよい)を果たす。こうした意味で、価値保蔵機能こそ貨幣の本質だとも言える。
    こうした価値保蔵機能(媒体)としての性格は、貨幣以外のその他の資産(土地や債券)ではさらに明確で、貨幣以外の資産とはもっぱら価値保蔵を目的に購入され所有されているものといえる。

(9) 信用創造

    さて、現代の銀行制度では、銀行の「信用創造」が認められている。実は、考えようによっては、これは、ここまでの説明を崩すかもしれない重大な問題なのである。これが以上の議論に、どのような影響を与えるのかを見てみよう。

信用創造とは
    信用創造とは、どういうものかを見てみよう。まず、銀行が一つだけあって、預金者が一人だとしてみよう。預金者が一定額の当座預金や普通預金をしているとき、銀行側は、その預金者が、いつ預金を引き下ろすかわからない。したがって、銀行は預かった預金(現金貨幣)を常に金庫にしまい、預金者が不意に現れて預金を引き下ろす状況に備えなければならない。
    だが、この設定を、より現実に近づけて、預金者が何万人とか何十万人の場合を考えて見よう。数がそれだけ多ければ、預金者がある特定の日時に預金を引き下ろす可能性《人数や金額に関する確率》は、ある程度統計的に予想できる。また逆に、その日時に新たに預金をする預金者がいる可能性も予想できる。通常、引き下ろす割合と預金する割合はおおむね同じくらいの可能性が高い。一方、多くの企業などが給料を支払う時期や季節性などに関してもある程度は予想ができる。銀行は、そうした予測を元に、ある程度の余裕を加えた現金を金庫に残しておけば、預かった預金の大半を別の人に貸し出し、手元に現金全額を置かなくてもよいといえる。
    さらに、ここで銀行が企業にお金を貸したとしよう。このとき、普通は、銀行は借りた企業の預金通帳に貸し出した金額を記帳するだけである(現金はすぐには動かない)。貸し出したお金は、預金されたのである。企業は、借りたお金を必ずしも直ぐに使うとは限らない。使うまでの間は口座に残っている。また、使っても、受け取った別の企業は、自分の口座に残したまま一定期間使わないことも多い
   こうした企業や家計が無数にあれば、引出して実際に使う可能性を確率的に予想して、それに対応するだけの現金を準備してさえおけば、残りをさらに貸し出しても問題は生じない。つまり、銀行は、同じお金を二重、三重以上に貸し出すことができる。これが信用創造である

        注)もちろん、銀行の信認が失われると(=信用危機預金者が一斉に預金を
            引き下ろそう殺到して取付け騒ぎ」が発生する。通常、銀行はそうした事
            態に対応できるだけの現金を保管していないので、それに対応できなくなる。
            こうしたことは過去の大恐慌その他の金融パニックでしばしば発生した。
                中央銀行の「最後の貸し手機能」(中央行が、取付け発生等で現金が不足
            する可能性のある銀行に現金を貸付ける)や「預金保険制度」(預金者の預金
            保護・保障する)はこうしたパニック対処するために制度化されてきたの
            である。

「信用創造」はセイ法則を破るか・・・名目と実質ほか
    さて、これまで、セイ法則やGDPの三面等価の原則を貨幣の循環で説明してきたが、もし、銀行が自由に信用創造ができるなら、生産→分配→支出の三面の規模が等価であるというGDPの三面等価の原則が成り立たないようにみえるかもしれない。「生産」段階で、生産に係わる費用(=広い意味で「生産コスト」)として「分配」した総額以外に、それに追加して銀行(金融機関)が信用創造を行い、それを企業や家計などに貸し出せば、その分、支出が増えて、「分配」の総額と「支出」の総額は一致しなくなってしまう。すると三面等価は成立しない。また、「生産(供給)がそれに見合った需要を作り出す」というセイ法則も成立しない

    そうなのだろうか。まず信用創造で各経済主体の「支出」つまり需要が増大したとしよう。だが生産物の「生産」数量は、それによってすぐに変わるわけではないから、価格が上昇するしかない。つまり、過度の信用創造があっても、物価(仮に資産市場に流れれば、資産価格)が上昇するだけである。つまり、まずは、信用創造の拡大によって、名目GDPは大きくなるが、実質GDPは変わらないといえる。

   では、名目GDPでは三面等価が成立しないのだろうかといえば、そうではない。(信用創造による)売上額の増加=生産額の増加は、事後的に分配の拡大(主に、企業の内部留保、株主配当、政府への租税の増加の形で分配が増加)となり、分配と支出の差はそれによって見えなくなる。・・・そもそも、三面等価は流通している貨幣で流通している価格の生産物を買うことで成立する。つまり、三面等価の原則は、名目GDPでこそ成立する。

銀行は信用創造を自由に行い景気に影響を与えられるか
    銀行が自由自在に信用創造を行えるなら、少なくとも名目値における景気変動は銀行次第ということになるように見える。ただし、上の項で見たように、実質値には影響を与えられない

    だが、物価や資産価格には影響を与えることはできる。物価資産価格のどちらに影響を与えるかについて、既存の経済学では明確には示さないか、少なくともどうなるかについては共通の合意はない

    だから、リーマンショック後には、FRBの大規模な信用緩和、量的緩和政策が、物価高騰をもたらすという激しい批判が米国の有力な経済学者からもあった。これは今も根強い見方だが、新古典派系の思考の枠組みからすれば、貨幣はおかしくない見方だ。新古典派系では、貨幣の大量供給は、(長期では成立すると考える古典派の二分法的観点により)専ら(あるいは最終的には速やかに)取引媒介機能に流れると考える。財・サービスの取引媒介機能を持つ貨幣の増加によって、名目総需要の増加が引き起こされ、必然的にインフレをもたらすはずだからだ。
    これは、貨幣の機能を取引媒介機能に限定して考える機械的な貨幣数量説や、最終的には貨幣の機能は取引媒介機能に限定されると考えるマネタリズムでも、「物価はいつでも貨幣的現象」というフリードマンの言葉に示されるように、最終的にインフレをもたらすはずだと考える。

   これに対して、ここでのNew Economic Thinkingの観点では、貨幣は、財・サービスの取引媒介機能を果たしたり、価値の保蔵機能を果たしたりし、その比率は状況に応じて変動すると考える

    例えば、経済が好況であれば、家計の消費意欲は高く、企業の設備投資意欲も高い。そこに金融緩和政策を行い、金融機関がそれによって信用創造を活発化させれば、財・サービスの取引媒介機能に貨幣が使われ、財・サービスの需要は拡大する。つまり、インフレが生じやすい。これは、既存の枠組みの理解と変わらない

    これに対して、経済が不況であれば、家計の消費意欲は低く、企業は消費需要の停滞を見て設備投資意欲を低下させている。こうしたときに、中央銀行の金融緩和政策により銀行が信用創造を活発化させても、消費意欲、設備投資意欲は、経済の現実を踏まえて高まらないから、(貨幣の増加にもかかわらず、それは価値の保蔵機能を果たすだけとなって、貨幣市場や債券市場に流入するのみとなり)財・サービスの消費も設備投資も増加しない
    繰り返せば、こうしたときには、使われない貨幣は、取引媒介機能を果たさず、価値保蔵機能の役割を高めていく。具体的には、貨幣は金融資産の取得に使われ、債券価格が上昇(債券金利は低下)するだけとなる(なお、不況であれば、もちろん流動性の低い土地には貨幣は流れない)。これが、リーマンショック後の現在の先進各国の状況である。

    一方、好況でもなく不況でもないが、財・サービスの将来需要の見通しについて不安感が高まっているときに金融緩和が行われれば、貨幣が流れる先は、財・サービスの取引の媒介ではなく、資産市場となる。どの資産市場に流れるかは、対象となる資産の収益性リスクで決まるプラザ合意後の80年代末のバブルでは、主に土地市場や株式市場などの資産市場に流れた。このため、当時は(財・サービスに関する)物価上昇は比較的安定していた。当時の日銀は、物価の安定を見て安心していたため、土地バブルの問題に気づくのが遅れたとされる。

◎信用創造の結論
    要するに、信用創造は、財・サービスの生産・分配・支出という実体経済と密接不可分の関係にあり、それと乖離した信用創造が行われても、それは物価上昇ないしは資産価格の上昇につながるのみで終わる傾向が強い
    また、特に重い不況下では、銀行が信用創造を行い、貸出をしようにも、実体経済企業(財・サービスの生産に係わる企業)が借りてくれない傾向が強い。これは現在の先進国経済の状況が示すとおりである。金利が低くても、貸出は増えていないのだ。
    金利低下は金融政策によるという理解は根強いが、貸出の受け手がなく、貸出を受けたいという需要がないからこそ金利は低下していると考えるべきだ。

(10) 以上は何を意味するか
    既存経済学の枠組みには、貨幣の財・サービスの取引媒介機能と貨幣の価値保蔵機能のウエイトの変動という認識がないそうしたことがあり得ないこと自体が、新古典派の枠組みの前提(古典派の二分法的観点)となっている)こと、また貨幣の価値保蔵機能を介して、債券市場や証券市場などの金融資産市場や土地市場への、購買力(貨幣)の超過流入、還流といった理解がないため、金融政策の影響の予測に関して無用の混乱が続いていると考える。

    以上の理解は、ワルラス法則と完全に整合的である。逆に、既存経済学の多くの見方には、ワルラス法則に整合的ではない理解が少なくない。・・・「現代経済学の議論の大半はワルラス法則をみたしていない」を参照。    

(11) こうした解釈が正しければつぎのような結論が得られる

    以上に基づいて考えれば、現下でもっとも重要な帰結は、次のとおり
◎ 不況である限り、経常収支が黒字ないしは均衡ないしは基軸通貨国である国に
   おいては、どれだけ政府の累積債務が大きかろうとも、財政出動の規模が需要の
   不足額を大きく上回らない限り、財政の持続可能性に関する危機は存在しない
        注)不況であれば、財・サービスで使われなかった貨幣が価値保蔵状態で国
             金融市場にとどまり、債券市場に超過需要(債券の発行を求める需要)が生
             じている。このため、国債は、安定的に消化される。
                 しかし、経常収支が赤字の国は、同額だけ金融収支も赤字であり、海外か
             ら資金を借り入れることで経済が回っている。これは、国内金融市場が資金
             不足状態にあることを意味するから、海外資金の流入が少しでも細ったりす
             ると、金利は急騰の可能性がある。また、国内の政府や企業の資金調達が少
             しでも大きくなれば、同様のことが生じる可能性も大きい。しかも、海外資
             金(特に短期の資金)は、ちょっとしたきっかけで逃げだし、それがさらに
             資金の急速な累積的海外逃避を生み出す。これは直ちに金融危機と通貨危機
             につながる。
                 経常収支黒字国や経常収支均衡国では、こうした問題がない。

◎    不況下では①クラウディングアウトが生じない。②マンデル=フレミング・
     モデルが機能しないなどの帰結が得られる。すなわち、財政出動の効果を相殺
     するメカニズムが機能しない

3 参考:図2に「財政緊縮」を追加 

    上記1、2のようにある程度詳細に部門を考慮した資金循環で「セイ・サイクル」(上記参照)を見る実益は、さまざまな経済現象の相互の影響関係を(おおむね)漏れなく重複することなく考慮する枠組み(視点)が得られることである。その例として、「財政緊縮」政策が経済全体に与える影響をたどってみよう。

    先進各国等では、リーマンショック直後に行われた、おおむね1年程度に終わった大規模な財政出動や、大不況による税収低下で財政赤字が急拡大したことや、ユーロ圏におけるギリシャ問題を契機として、また経済理論的には「非ケインズ効果」や「拡張的緊縮政策」論(注)を論拠として、「財政緊縮」政策に対する経済学者や政策担当者の関心や期待が高まった。
    しかし、それを現実に適用したユーロ圏各国は、拡張的緊縮政策の理論的な予想(予言)とは全く逆に、景気は急速に下降した。こうした惨状をみて、「非ケインズ効果」や「拡張的緊縮政策」論への関心と支持は急速にしぼんでいる。だが、家計を範にした素朴な経済観を持つ政治家や国民の間では、依然として人気のようである。そこで、上記の図2に「財政緊縮」の影響を追加してみる(それが下に示す図2ーBである)。

        注)「ハーバード大学のアレシナ=アルダーニャ(Alesina & Ardagna[2009])ら
            の研究は、非ケインズ効果を実証的に支持しているように見えた。また、ライ
            ハート=ロゴフ(Reinhart & Rogoff [2010])は、政府の累積債務額がGDP
            90%を超えると、経済成長率が急低下することを示したが、これも非ケイン
            ズ効果仮説と整合性があるように見えた。財政再建と緊縮政策に同調する人び
            とは、こうした実証研究に飛びついた。この結果、2010年には、緊縮財政で景
            気が回復するという『拡張的緊縮政策』がヨーロッパ各国の政治家や政策官僚
            を支配するようになった。」
                「『非ケインズ効果』仮説とは、政府の累積債務が大きいときには、拡張的
            な財政政策をとると(将来の)増税不安で景気が後退し、緊縮的な財政政策を
            とると増税不安が解消されるために景気が回復するというもので、これを踏ま
            えた経済政策論が『拡張的緊縮理論』である。
                    (以上の出所:拙著『日本国債のパラドックスと財政出動の経済学』2013、新評論、P.26)
                また、2012年9月当時の状況については、財政出動論23(リーマン後
             年間の財政金融政策」の後半でも述べている。

              このうち、アレシナ=アルダーニャらの研究については、拡張的緊縮論の研
          究者であり、かつてはアレシナの共同研究者だったペロッティ(Perotti [2011])が、
          効果があったとされた4つの事例のいずれについても、景気拡大のドライバー
          は「輸出の増加」だったことを示し、実証性に問題があることを明らかにして
          いる。またIMFにおける研究でも、実証性に問題があることが明らかにされた。
              さらに、ラインハート=ロゴフの研究については、2013年になって、主張の
          重要な根拠となる実証研究にはかなり重大な誤りがあることが明らかになり、
          一種のスキャンダルとなった。それについては訂正が行われたが、「90%」の
          根拠は大きく弱まっている。
                Alesina, Alberto and Silvia Ardagna 2009Large changes in fiscal policy: taxes versus spending. 
              NBER Working Paper No. 15438.
                   Reinhart,Carmen M. and Kenneth S. Rogoff 2010Growth in a Time of Debt, American Economic 
              Review: Papers & Proceedings 100 (May 2010): pp.573–578.

                   関連:ラインハート=ロゴフ著/村井章子訳[2011]『国家は破綻する 金融危機の800年』
              日経BP社(原著:Carmen M. Reinhart and Kenneth S. Rogoff ,2009,THIS TIME IS DIFFERENT,
               Princeton University Press.
                  その他の文献(ペロッティ、IMF)は上掲拙著 P.27 参照

    さて、実際に、緊縮財政が経済にどのような影響を与えるかだが、実は、図2の中には、影響の経路がすでに含まれている。ただ、通常の経路に埋め込まれているために、わかりにくいので、緊縮財政の部分だけを取り出して書き出したのが、下の図2ーBである。追加した部分は、ピンク色で表示されている。もっとも、この図は、財政緊縮の影響の説明のために、既存の経路から関連する流れを取り出し強調したものなので、既存の経路とピンク色の経路は、ダブルで計上されていることになる。


(下図は、参考までに図の左側部分をカットしていない図)

    図2ーBを見ながら『財政緊縮』の影響を見てみよう。まず概略を示すピンク部分の説明を簡単に行うと、政府が『財政緊縮』を行うとは、税収などの歳入に比べて歳出を減らすことである。これは、増税する一方で歳出を増やさないことでも、また、税制はそのままで歳出だけを減らすことでも実現できる。
        注)ここで、除外している選択肢が一つある。増税して税収を増やすと同時に、
             歳出を増税額と同額増やす場合である。これは、マクロ的には緊縮とは言えな
             い。というのは、マクロ的な計算では、民間支出(図の「支出①と②」が減少
             する分だけ、政府の支出「支出③」が増加するから、差引ゼロとなり、マク
             経済への影響はないように見えるからだ(なお、ここでは乗数効果は考慮して
             いない)。
                 しかし、現実には、消費増税に見られるように、近年の増税は、対象が家計
             などの実際の支出予定のあるマネーにされる傾向が強い。(少なくとも、
             短期的ないしは直接的には)これは明確に家計の「支出①」(消費や住宅投資)
             等を低くする(消費増税の経済への影響については、拙「財政出動論24  消
             費税の影響(97年増税の例)」など参照) 一方、経済には、もと
             て蓄えられ直ちには支出予定のないマネーが存在する。こうしたマネー
             に課税すれば、支出①等への影響は(少なくとも直接的には)小さいだろう。
                 このように、増税して税収を増やして同額の歳出を増やす場合(これは小野
             善康氏の主張でもある)、増税の対象や方法によっては影響が異なると考える。
                なお、こうしたマネーを、国債を発行することで一定期間借り上げれば、
            「支出①②(民間支出)」を小さくすることなく「支出③(政府支出)」
            拡大できる(これは緊縮ではない)。民間から資金を吸い上げるという意味で
            増税と国債発行は同じである(リカード等価定理)が、どのような吸い上げ方
            を採用するかで、経済への影響が異なる。
                しかし、こうした点については、問題を簡単にするために、ここでは考えな
            い。

    こうした方法により、政府が、不足する歳入を手当てするために発行していた国債の発行規模を縮小する(これが財政再建の意味)と、民間では、それまで国債の購入に充てられていた資金が、その分だけ不要になる。
    従来、国債の購入に充てられていた資金は、元々家計や企業の『貯蓄』から来ていたが、それが国債に使われないから、元の貯蓄には余裕が生じる。

(1)緊縮は経済に影響がないとする観点・・・(新)古典派的観点
    このとき、貯蓄で余剰となった資金が、金融機関を通じて企業や家計に貸し出され、あるいは自ら取り崩して「支出①や②」等になれば、財・サービスの需要は増加し、「支出③」の減少をカバーしてチャラになる。これが、財政緊縮は経済に影響を与えないと考える新古典派系経済学者等が標準的に考える経路である。
    これを、財・サービスへの支出(→需要)を中心に少し詳しく見ると、政府の財・サービスへの支出が減少するので、まず図の「支出③」(政府支出)が減少し、その分、生産物の需要は減少する。
    一方、政府が使わなかった資金は、その分民間に戻されることになるから、それが金融機関に貸し出されて設備投資などに使われる(「支出②」)か、家計の住宅投資や自動車などの耐久消費財の購入に使われ(「支出①」)れば、政府の「支出③」は減少しても、それら(①と②)が(③と)同額だけ拡大して、差引きで全体の支出は減らず、財・サービスの需要不足の問題は生じない。
    これは、簡単に言えば、経済が常に「均衡」状態にある(ないしは、一時的に不均衡が生じても必ず速やかに均衡は回復する)ことを前提とした観点だ。仮に一時的にでも貯蓄が余れば、金利が低下することで企業が借りやすくなり、設備投資などが増えることで財・サービスの需要が必ず増えて、均衡状態が速やかに回復すると考えるのである。
    これは明らかに「好況期」や「需給が均衡」している状況であれば成立するだろう。このとき、企業の設備投資意欲や、家計の消費意欲は強いからだ。問題は、『不況期』にも、それが実現するかどうかである。

(2)緊縮は経済に影響があると考える立場・・・拙論
    しかし、特に重い不況期には、企業や家計は、金利だけで、設備投資や消費(耐久財消費等)あるいは住宅投資を決定するのだろうか。重い不況期には、需要の将来見通しの低下を認識して設備投資や消費を避け、あるいは、緊急時(例えば取引先の倒産など)に現金が必要となる場合に備えて、設備投資や耐久財・住宅などに資金を固定するリスクを避ける(ために、設備投資や消費を避ける)のではないだろうか。
    実際、不況下では、売上数量が伸びなければ設備投資の必要性はなくなると考えられるし、売上が減少すれば下がった売上収入で元の水準の仕入、雇用、過去の設備投資資金の元利償還を行う必要があって運転資金等が必要となり、さらには他社が売上げ減で倒産する確率が上昇する。こうしたときには、緊急に現金が必要になる。また、家計では、勤務先企業の売上数量が伸び悩むか低下すれば、倒産リスクや解雇リスクが上昇する。
    実際に、こうした金利以外の要因は、リーマンショック後のユーロ圏や90年代初頭のバブル崩壊後の日本で、重要な決定要因となり、金利の影響力を圧倒してきたのではないだろうか。米国などでは、リーマンショック後、明らかに実質金利がマイナスとなったが、設備投資の増加はなかったか弱かった時期が続いた。
    今日、ほぼゼロ金利が実現している状況でも、設備投資は増加していないのはこれが原因だと考えられる。
    こうしたプロセスを素直に見れば、ゼロ金利とは、むしろ、金利が下がったにもかかわらず設備投資が行われなかったために、貯蓄は使われずに余り、その結果として、ゼロ金利が実現したと考えるべきだ。ゼロ金利は必ずしも、中央銀行の金融緩和政策だけが原因で実現したとは言えない。中央銀行の金利低下政策に十分な設備投資等の促進効果があるなら、中央銀行が適度に金利を下げしさえすれば、ゼロ金利になる以前に設備投資等が増え、景気は回復し、ゼロ金利になることはなかったはずだ
        注)長期停滞下の日本やリーマンショック後のいくつかの先進各国では、自然利
            子率がマイナスになっているとされるが、そうさせているのは、このような企
            業や家計のリスク重視ないしは「需要の将来見通しの低下」といった(金
            利以外の)要因による設備投資や消費の判断基準の変化だと考える。
                こうしたマイナスの自然利子率に合わせて、名目金利をマイナスにする「
            ナス金利政策」を採用すべきとの意見がある(例えば、岩田一政氏(2015年
            11月18日付け日経『経済教室』日銀の量的・質的金融緩和 継続可能はあと2
          年 ーマイナス金利採用を )
                 金融政策の枠内で考えれば、たしかにそうかもしれない。しかし、マイナス
            の自然利子率をもたらしている原因は、必ずしも金利のゼロ下限だけではない。
            実体経済の資金需要が「リスク」や「需要の将来見通し」によって低下してい
            ることが本質的な原因だと考える。こうした理解が正しいなら、マイナス金利
            政策がとられても、マイナスの自然利子率は、さらにマイナスを大きくするだ
            となり、設備投資や消費に対する影響力は小さいだろう。
                「リスク」や「需要の将来見通し」が重視されている状況では、金利の高さ
            は、設備投資や消費のための資金需要の決定要因はとなっていないと考える。
            観点が正しいなら、金利がどのように変化しても、設備投資や消費が増加
            ことはない。問題がゼロ金利制約だけであるなら、確かに、マイナス金利
            策は有効かもしれない。しかし、金利が景気刺激に効かないのは、金利
            制約のためではな。ゼロ金利は、原因ではなく、経済主体の意思決定におけ
            るリスクや需要見通し影響力増大の結果だと考える。
                マイナス金利で動くのは実体経済の設備投資や消費ではなく、もっぱら資産
            の運用者ないしは投機家であり、それは新たなバブルの道につながるだけで
            ある。・・もっともうまくコントロールできれば・・・?

    こうした観点が正しいなら、不要となった民間資金は、不況下では、財・サービスへの支出に回らず、主に「(3) 資金回転率低下」に回ると考える。これが、上の図2−Bピンクの経路である。これは、支出つまり需要を減少させ、景気は悪化することになる。

(3)事実はどちらを支持するか
    以上の(1)と(2)のどちらが正しいのだろうか。ユーロ圏の例をみてみよう。

    ユーロ圏の緊縮財政
    また、リーマンショック直後には、先進各国を中心に、一斉に大不況対策として財政拡張政策が採用されたが、それによる財政赤字と大不況による税収の減少によって財政赤字が急拡大したことから、財政拡張期は、おおむね1年ほどしか続かなかった
    特に、ユーロ圏では、2009年10月に政権交代があったギリシャで財政赤字の隠匿が明るみに出たことを契機にギリシャ危機が発生し、強い財政緊縮政策が実施されていった。
    当時は、上でもふれたように、財政赤字拡大の不安に対して、財政赤字を減らし政府の累積債務を縮小すれば政府の信認が高まる結果、家計は安心して消費を拡大し、企業は設備投資を増やすので景気が拡大するという「拡張的緊縮論」が支持されるようになり、2010年から11年にかけてEU圏各国が次々に緊縮財政政策を実施していった。
   しかし、こうした国々では、景気は急速に悪化し失業率は急上昇していった。下のは、拙著『日本国債のパラドックスと・・・』2013(第4章、116ページ)で引用したユーロ圏全体等の失業率の推移グラフに、政策の転換時期などを加筆したものである。
    一見して明らかなように、リーマンショック直後の金融財政政策(金融緩和と財政出動)により失業率が改善し始めたEU圏・ユーロ圏では、2010〜11年の緊縮への転換を契機に、失業率が急上昇をはじめている。
   その後も依然としてドイツを中心に緊縮政策は維持され続けているが、景気への明確な負の効果の認識から、2013年頃から緊縮政策は若干緩められるようになった。これにより、失業率は徐々に低下しつつあるが、依然として高水準である。2015年8月現在のユーロ圏の平均失業率は、依然として11%程度であり、フランス10.8%、イタリア11.9%、スペイン22.2%である(OECDによる)。


    以上のように、緊縮財政の効果を現実の経済で見ると、それは明確に(2)を支持する。

9 参考:貨幣と取引等の関係

      以上の説明のうち、貨幣の利用状況を、財・サービス取引や資産の取引の関係で見ると、図3の上の2つの柱状図「貨幣」と「取引等」の対応関係のようになる。
     これが、不況になると3本目の取引等の柱状図のようになり、バブル期では、4本目の取引等の柱状図のようになる。

     また、図3のうち、不況期への移行がどのように推移したかを概念的に示したのが、下の図4である。