2017年11月23日木曜日

New Economic Thinking15 『家計』の寓話

 政府の借金は一世帯当たり2千万円を超えたのだそうです。やっぱサイズを小さくするとわかりやすさが突出するようで、国の借金を「家計」に喩え「大変だ感」を出す財務省のPRが半端なく強力です。そこで、反緊縮派の・・というか、もっとまともなマクロ的『家計』の喩えを考えてみました

1 さて、日本経済全体を一つの家計になぞらえてみよう


 この家庭の構成は、まず、長男は、学校を卒業して様々な製品を作る工場を自営している。長女 は、大学生としよう。または大学を経営しているとしよう。父の大学の学生は、簡単化のために、この家の長女だけとする。は、高齢者介護施設を自営している。祖父は、母の介護施設の唯一の入所者だ。祖母は農業をしていて、農産物の販売先は、ほぼこの家庭だけだ。
長男は、この家庭の生活用品や大学や介護施設が使う用品を製作して家計に販売・供給したり、施設の建物の建築や修繕を請け負っている。

 働いている家族(父、母、長男、祖母)は、家庭の共通的な経費(たとえば長女の学費、祖父の介護施設入所料金、食費、家の修繕、家庭の日用品の購入など)に充てるために、それぞれ収入の一部を共通の「家計」に拠出しているものとする(国になぞらえれば税金である)。残りは、例えば父は自分の趣味や小遣い、あるいは大学の運営のための費用などに充てたりしている。

2 他の家庭との関係


 この家庭も、一部、他の家庭から肥料を買ったり、材料や製品を買ったりしているが、他の家庭との売買の差額はバランスしている(プラマイゼ ロ)としよう。これを国に置き換えれば、他の国との間に貸借り無し、つまり、経常収支がバランスしていることになる。
 このとき、この家庭は他の家庭から借金する必要がないし、逆に貸付ける必要もない。

 こうしたシンプルな家庭を中心に考えよう。

  国で言えば経常収支がバランスしているので、必然的に他の国への貸付 (投資)もない。国際収支の恒等式経常収支黒字≡金融収支黒字ー資本移転収支黒字ー誤差脱漏)で見ると、経常収支のバランスは、この左辺がプラスマイナスゼロということだから、右辺もゼロとなり、(誤差脱漏は統計的な把握の問題であり、資本移転収支は小さいので)残る金融収支もバランスしているとかんがえてよい。これも黒字も赤字もないということだ。 
    金融収支がプラスマイナスゼロであれば、海外の国との間に貸し借りの増減はないことになる。
 日本は、経常収支の黒字が大きいので、毎年海外の国に貸し越ししていることになる。以下では、貸し借り無しでバランスしている(プラスマイナスゼロ)ことを前提に考えるが、経常収支黒字で海外にお金を貸し越ししているなら(バランスしていないが)、バランスしているのと同様に考えてよいことを後段で再確認する。


3 家計が赤字になるため、家計の拠出を切り詰める・・・緊縮財政である

 こうした前提で、家計が赤字になる状況として、米国の共和党的な『減税』が行われる状況を考える

    ある日、父は、家計への拠出額を減らして、貯蓄を増やしたり、他の家庭が生産している財や サービスを自由に買って、生活の充実や大学運営の充実に使いたいと思い、家計に拠出しているメンバーに、拠出額を半分に減らす(いわば減税の)相談をしたところ、全員が同意したと する。
 父、母、祖母、長男は、拠出分を減らして増えた自分の自由になるお金を、貯蓄を増やしたり、他の家計が生産した財やサービスの購入に使ったとする。これで豊かな生活が出来る。

    一方、家計の予算が減ったので、大学へ行っている長女の学費か、介護施設に入っている祖父の介護料負担のいずれかを減らす必要がある。ここでは長女が大学をやめるとする。

4 父の大学の学生がいなくなって大学は廃校となり、父は家計への拠出はできなくなる

 すると、父の大学は学生がいなくなるから、大学は廃校となって父の収入はなくなり、家計への拠出金の負担も出来なくな家計の支出規模は更に縮小する。 まあ、大不況か恐慌であり、この家計は崩壊である。原因は、家計(政府)の規模縮小(教育予算の縮小)で、教育サービスの需要が低下・消滅したのだ。

5 緊縮の代わりに家族から借入れることにする


 ここで家計崩壊を防ぐ方法は、第一には拠出金の減額(減税)をしないことだが、外にも方法はある。

    父、母祖母、長男が、拠出金を減らす代わりに、減らした額と同額を家計に貸し付ければよいのである。その代わり、家計は、借用証書を発行する。父と母は、家計発行の債券(借用証書)を取得する。これは金融資産の増加である。

 だが、父らが家計に貸付けてくれるかどうかである。

    しかし、貸付けしない場合の大不況、恐慌の発生を理解しているなら、貸し付けるだろう。あるいは、例えば父は、家計の縮小で、大学の学生がいなくなると予測できていれば、拠出金の減少で浮いたお金を、大学運営の充実や施設の充実に充てることはないだろう。だから、お金は余っている。

    また、そもそも拠出金を減らしても(減税しても)他の家計等が作るものを特に買いたいと思わなければ、減税で余ったお金を使わずに貯蓄しているだろう。であれば、それを貸し付けに回しても同じである。例えば貯蓄より金利が高ければ、貸し付けに同意するだろう。

 祖母には別に資産(預金)があるので、父らは必要があれば、その借用証書を祖母に売って、得たお金で欲しい物を買うことも出来る。だから、父母らは、家計に貸し付けても、かまわないと考えるだろう。


    注)なお、ここでは、父母等が持っている金融資産(借用証書)は、一見お金とし

        て自由な用途に使えるものに見える。しかし、その借用証書を買った祖母が、他
        の用途に使えるお金は減少する。
            使えない主体は入れ替わるが、その借用書を受け取ったり買い取った家庭内の

        かは、それを好きな用途には使えない。
            この家庭全体としてみれば、常に、この借用書の金額分だけ、他の用途には使え

        ない。それは家計(政府)の用途に使われているのだ。それは拠出金(税金)と
        同じだ。     
            個々にみると(ミクロ)、借用証書は売ればお金に換えられるから、一見、お金

        と一緒に見えるが、マクロでは常に誰かが他には使えない。
            つまり、税(拠出金)と 国債(借用書)は、マクロでは使えないという意味で
        等価だ=「等価定理」の成立である。これは「将来の増税を予想」する必要もな
       く成立する

 さて、このとき、家計は、拠出金の減額以前と同様、不足する分を父らから借入れることで、家計の支出規模を維持でき、長女も大学に通える。したがって、父の大学も順調であり、父は家計に拠出金を出し、さらに貸し付けもできる。家計も順調であり、万々歳である。

6 返済は必要か

 だが、家計は、いつかはこの借入金を返済しなければならないだろうか

    さて、まず、この借用書は家庭内の誰かが持っているはずだ。仮に、その借用書が他の家庭にわたっていても、この家庭と他の家庭間には差引で貸借りが無いのだから、必ず同額の他の家庭への貸付金があり、それと交換で買戻しできる

 したがって、返済の問題は、この家庭内で考えればよい。・・・これは、2で書いたように、他の家庭との支払いー受け取りがバランスしているという仮定による。
 さて、問題は、父母らは返済を望むかだ。仮に返済される場合、父母らの借用書という金融資産が減少して同額現金が増えるだけだ。現金の使い道は、主に他の家計 の生産物の購入になる。一方、返済以外の家計の支出は現在の分と過去の借入の返済のダブルで減らさなければならず、大幅減少になるので、長女と祖父は大学や介護施設をやめて父母の大学や介護施設は閉鎖である。これは大不況か、恐慌になる。

 父母らが賢ければ、家計から借入金が返されると、自分の大学や介護施設の利用が減って、収入が激減することを知っているから、すぐに返せとは言わない。‥父と母らが十分に賢ければ(合理的であれば)だ。
 返さなければどうなるだろうか。どうもならないこの貸借りは、家庭内だからだ。返すと家計と家庭が崩壊すると知っていれば誰も帰せとは言わないだろう。しかも、それは金融資産として、流通している。返せと言われないものを返す必要はない。

 返済が必要かどうかを決定するのは何か・・・他の家庭との貸し借りの状況だ

 だが、借入金を他の家庭から借りていれば、これとはまったく違うことになる。家庭内のメンバーから借りていれば、返済はその家庭で大不況を生み出す。しかし、他の家庭は、返済されることで自分たちの家庭が大不況になることはない。だから、遠慮無く返せというだろう。
 つまり、この家庭が他の家庭から借金をしていないということは極めて重要なのだ。他の家庭に借金をしていないということは、父母らが家計に貸付けるお金は、その家庭自身(父母ら)が自ら稼いだお金でまかなえているということだからだ。


 しかし、これが、父母らが稼いだお金で家計が必要な借入金を賄えなくなると、この家庭は他の家庭からお金を借りて家計の不足を賄うようになる。これは持続可能ではない(例えばギリシャ)。 

    日本政府は、巨額の借入をしているが、日本はこういう状態とはほど遠く、安定している。安定の条件は次の8で述べよう。

 (さて)安定しているとき、父母等が返せ(又は貸さない)と言わないかぎり、家計はどれだけでも借入金を拡大し続けることができる。その重要な要件は、この家庭が他の家庭か ら、借入をしていないこと他の家庭への貸付けがあるなら、それと他の家庭からの借入を相殺して、他の家庭への貸し付けが上回っていればOKだ)。


8 財政の持続可能性を決定する要因

 ここでは、「家計」と「家庭」を区別していることに注意しよう。「家計」を「政府財政」とすれば、「家庭」は「日本経済」である。家庭が他の家庭から借入をしてる状態を日本経済に引き延ばすと、「日本が海外に持っている資産ー海外の国が日本に持っている資産>0」という状態だ。・・・ここの符号の向きが逆だっので修正しました。
 これが、どの方向へ動いてるか、減ってるか増えているかは、経常収支でわかる。経常収支が黒字なら、国際収支の恒等式により、(おおむね)金融収支が増加しているのであり、日本の海外資産が(海外の国が日本にもっている資産よりも)差引で増加してることがわかる。この点で、過去〜現在の日本は極めて安定している。
 つまり、日本政府財政の巨額の負債が安定的で持続的であるかどうかは、日本の国際収支で経常収支が黒字かトントンであるかどうかにかかっており、それが極めて重要なのだ。

9 長期的にはどうなるか

・・・家計の負債が相続されると同時に父母が持っていた家計への債権も相続され相殺

 「日本の海外資産ー海外の他国が日本に持つ資産」がプラスである限り、政府財政の赤字は心配には及ばない。この家庭もそうである。

    時間が過ぎると、父母が老いて、亡くなる。すると、父母が家計に持っていた貸付金も次の世代に相続され、同じく次の世代が相続した家計の負債と相殺される。

(世代会計のナンセンス)

 
 いじょうのように、
一つの家庭に注目すると、世代間の問題は存在しないのである。もちろん、これは親子の相続関係があるからだ。しかし、人口を世代等によって幾つかの世代に分割し、個々の世代をひとくくりの単位として、それらの世代間でものを考えるなら、負債が遺産として次の世代に先送りされると同時に資産も遺産として次世代に贈られることは変わらない。
 世代会計について、詳しくは「世代会計と等価定理」 ‪http://bit.ly/1VGSPva「リカード中立命題と負担の次世代先送論」http://bit.ly/1czWLG9 ‬ 「リカード中立命題とマクロ的中立命題」 ‪http://bit.ly/1pEWB46 ‬ 「財政出動とリカードの公債中立命題」http://bit.ly/2j8eAUU ‬ 等を参照


・・・と書き終わってTLを見ると、日経の「国の借金は返す必要があるか(十字路)‪http://s.nikkei.com/2hUTKN3 ‬ の紹介が流れていた。「債務残高を名目国内総生産(GDP)と比べた比率」が低下していけば大丈夫とある。方向としては同じだ。経常収支の方がわかりやすいとは思うが。

2017年6月14日水曜日

財政出動論17B 「90年代の財政出動効果低下」論の顛末

改訂:290626 字句の修正 290621 字句の修正

    いまさらとも思いましたが、2011年7月に書いた 「財政出動論17 財政出動と抑制の30年史概観」関連で、このページを追加することにしました。
    2011年当時からは、時間が経って、当時は、十分ではなかった財政出動否定論の否定の論拠が少しずつ積み上がってきました。第一は、リーマンショック後の国際的な財政の効果の見直しですが、これは、これまでこのブログのあちこちで紹介してきました。第二はここで紹介する小巻泰之日大教授の分析です。これは、拙「New Economic Thinking11 需要不足・巨額国債発行と貨幣の循環~セイ法則不成立のとき何が起きているか」の前段部分で一度簡単に紹介しましたが、簡単すぎたので、まあ自己満足のために、ここで、一応、少し詳しく紹介してみようと思います。

1 2000年代には「財政出動の効果が低下した」という実証研究が出て注目された
 
    わが国では、2000年代に入って、GDP統計を用いて、90年代の財政出動の効果が低下したという実証研究が複数出て注目された。

   財政出動の効果については、すでに90年代から、経済波及効果が低下しているという認識が経済学者の間で広まっていた。これは、貞廣彰早大教授(当時)が貞廣[
2005]『戦後日本のマクロ経済分析』(東洋経済新報社)でも触れているように、ほぼ誤解であり、このページの後段でも触れるが、実際の執行額(つまり実際に行われた財政出動額)大きくなかったにもかかわらず、補正予算のみかけの規模だけに踊らされて(誤って)財政出動の規模を過大評価」していたためである。財政出動規模が実際は小さいのであれば、効果が小さいのは当然だろう
   こうした認識があったところに、(実際の財政出動規模を正確に反映しているはずの)GDP統計に基づいて、財政出動の波及効果の低下を実証的に確認する研究が複数現れたことから、日本の経済学界では、財政出動効果低下論さらに勢いづいた


2 だが、これは今の財政出動効果の世界的な見直しとは矛盾する

    2008年のリーマンショック直後に世界的に行われた財政出動の効果分析や、逆にギリシャ危機を契機に2010年頃から実施されたユー ロ圏を中心とする各国の財政緊縮政策の負の影響の分析などから、財政乗数(財政政策の波及効果、影響の大きさの指標)の見直しが世界的に行われた。特に、IMFは、 2012年10月のWEO(World Economic Outlook:「世界経済見通し」)で、従来の各国への勧告の前提として使ってきた財政乗数が過小であったことを報告し、これまでは財政乗数を2分の1から3分の1程度に過少評価していた(つまり、それまでIMF自身が各国に推奨してきたた財政緊縮政策は負の効果が予想以上に大きかったとを認めた)ことを明らかにした。


    リーマンショック後の各国経済から得られた広範なデータに基づく、この財政乗数の見直しは、上記1の日本の90年代の財政政策効果の低下という一部の実証分析と矛盾している

    もちろん、90年代の日本とリーマンショック後の各国経済の状況には大きな違いがあるのかもしれないし、日本の状況は特殊だったのかもしれない(だが、そうした矛盾を「特殊」な例だとか、「外れ値」だとして常 に片付ける分野には、科学としての進歩はない。自然科学の進歩は、常に「外れ値」への注目からスタートしてきたのである)。


3 だが、小巻泰之日大教授が、この矛盾を明解に解消した

    2015年5月に出版された小巻泰之日大教授の『経済データと政策決定』(日本経済出版社)が、上記の1と2の食い違いを明快に説明した。



 注)同書は、2015年の「第56回エコノミスト賞」を受賞した(同賞は、週刊エコノミスト主催)。



    詳細は、同書の「第2章 1990年代の財政拡張政策の効果」(69~111頁)を参照願いたいが、以下で、簡単にこれを解説しよう。

     注)なお、この内容は、(冒頭でもふれたように・・・)ごく簡単にではあるが、一度、2015年10月

         に書いた拙『New Economic Thinking11 需要不足・巨額国債発行と貨幣の循環』の前段の長い
        
前書き(ページの中で「小巻」で検索)で、ごく簡単に紹介している。

    小巻先生の結論の第一を、あらかじめ述べておけば、ちょうどこの時期に日本でGDP統計の基準が切り替えられたことが、財政の波及効果の低下という誤った実証研究の原因となったというのが結論である。

   以下、具体的に見てみよう。日本はGDP推計の国際基準の切り替えを2000年~2004年にかけて行っていた。
   まず、GDPの作成基準であるSNAは、従来の68SNA 93SNAに切り替えられたが、これが行われたのが2000年12月公表分からである。また、従来は速報、スピードが重視されるがゆえに、データが速く出る需要側の統計が主に使われてきた が、2002年8月公表分から、確報の推計方法と同様に供給側の統計を利用する新推計方法に 切り替えられた。さらに価格基準を、固定基準年方式から連鎖価格方式に切り替えている。この切り替えが反映されたのが2004年12月からである。



      注)93SNAとは、1993年に国連が各国に導入を勧告した国民経済計算体系(System of National
           Accounts)の(国際基準の)こと。68SNAは1968年に勧告された旧基準である。




   こうした基準の切り替えを行いつつ、一定のスケジュールで定期的にGDP統計が公表されていた。その結果、その公表の時期に応じて、切替前、切替後の各基準の組み合わせが異なデータセットが公表されていった。小巻氏、これらの異なるデータセットを使って、財政政策の効果を再計算しなおし比較 してみると、まず、93SNAだけを切り替えると、財政政策の効果は68SNAによるデータに比べて低下した。一方、それに加えて価格基準を固定基準年方式から連鎖価格方 式に切り替えた場合財政政策の効果は上昇(財政支出乗数が上昇)する結果が得られた。
   したがって、米国のように、93SNAへの切り替えと連鎖価格方式への移行を同時に行った国では、財政政策の効果に大きな影響はなかったのに対して、日本 のように、93SNA導入(2000年12月)と価格基準の連鎖価格方式への切り替え(2004年12月)の時期がずれた場合には、この中間の時期(2001年1月~2004年11月)に公表されたデータ(93SNAかつ 固定基準年方式で作成されたデータ)を使って財政乗数を計算すると、80年代に比べて90年代の財政政策の効果は確かに低下する結果が示されたのである。ところが、これを(2004年11月以降に提供されはじめた)連鎖価格方式で作成されたデータで置き換えると、財政政策の効果の低下は逆に消滅したのである。




 注)言わずもがなだが、GDPの公表は、その年度、年や四半期の数値だけでなく、通常はある程度の
        期間さかのぼって一定期間の推計結果がまとめて公表される。推計方式や物価などの基準年を変える
        場合などに、その変更の影響を示すためである。




    つまり、90年代における財政政策の効果の低下という「現象」は、GDP推計の方式や価格基準の変更に伴う幻の「エビデンス」だったのである。



    この「エビデンス」は、経済学を歪めただけでなく、経済政策をも大きく歪めた。もっとも、財務省は、それ以前から財政政策の効果を否定していた。財務省は、1996年(97年消費税増税の前年)に、八田達夫東大教授に対して、



八田氏・・・主計局調査課長の『ご説明』を受けました。

           ・・・その課長は、『最新の経済学の理論では、ケインズ経済学は死んだというこ
                   とになっております。財政と景気はまったく関係がないのでございます』という

         んですね。・・」

 注)これは、拙『財政出動論32 「財政レジーム」転換と「長期停滞」』の中段で紹介(原典は、
        岩田規久男・八田達夫[2003]『日本再生に「痛み」はいらない』東洋経済新報社 (2003年12月刊)
        132-133頁)




と言ったという(これは、当時既に財務省は財政出動も財政緊縮も経済への影響はまったくないと考えていた(消費増税を推進するために、省論がほぼ統一されて いた)ことを意味する)から、そもそもGDPに基づく財政政策効果低下の「実証」以前から、財務省は、財政政策には景気対策としての効果はないと思い込んでいたと言える。

 

   財務省(当時は大蔵省)のこうした考え方は、いわゆる「新しい古典派」の理論に基づくものだった。この理論の支持者たちは、当時の実証研究で、財政の効果・影響が小さい(財政乗数が低下している)結果が出たことは、まさに、新しい古典派の理論を実証していると見えたことになる。だが、それはまぼろしだった。それがわかるのに十年以上かかったのは残念だったが。

   もっとも、それがまぼろしだったことは、リーマンショックとその後の世界経済の停滞で、すでに明らかになっていたといえる。これも、それが理解されるためには数年かかってはいる。



4 もう一つ・・・小巻氏が明らかにしたこと「90年代の財政出動は巨額ではなかった」


   上の議論は、GDPに基づく財政(支出)乗数の推計なので、政府の実際の支出を踏まえた推計に関する問題だった。ところが、財政支出の効果の過少評価の原因として、もう一つの誤りがあった。小巻氏が明らかにした第二は、財政出動規模の過大評価である。


   マスコミや財政学者は、90年代に大規模な財政出動が行われたにもかかわらず、その経済への波及効果が小さかったと認識していた。ところが、実際には、それほど大規模な財政出動は行われていなかったのである。


    小巻[2015]107~109ページでは、90年代に関して公的固定資本形成(=国、地方公共団体執行した公共投資を反映する項目)の数値を見ると、GDPは最初に一次速報がて、次に二次速報出て、最後に正式系列(確報)が発表されが、各段階での改訂による変化はほとんどマイナス改訂である こと(一次速報の政府支出推計はおおむね予算に基づいて行われるため、執行状況がわかるにつれてそれが修正され改訂されていく。実際の執行額が最初の推計よりも小さいことがわかればマイナス改訂)。正式系列では、政府、地方公共団体の決算額が使われるため、正確である。しかし、この確報がでるまでには時間がかかるので、政策判断や評価は、速報段階の数字が使われがちである。

   この正式系列で公的固定資本形成を、1991年の第一四半期を100 とし見ると1995年1月の阪神淡路大震災後に復興予算が投入された時期(同年の第4四半期)には急増して142.8となるものの、それ以後は再び漸減し、消費増税後の98年 第3四半期から99年第Ⅰ四半期までは若干の回復を見たが、それ以後再び低下し、2000年の第4四半期には、(1991年を100ととして)106程度ま で低下していたことがわかる 
    つまり、90年代に財政出動があったと言えるのは、せいぜい9293年と95年の3年に限られる(財政出動論17の最初のグラフ参照)のであり、96年以降は(98年度後半を除いて)、公共投資は経済に対して中立なマイナスの影響を与え続けてきたのである。

   こうした評価は、貞廣彰早稲田大学教授(当時)の評価(貞廣[2005]『戦後日本のマクロ経済分析』東洋経済新報社、197ページ)おおむね確認したものと言える(貞廣教授の主張は、拙著『日本国債のパラドックスと財政出動の経済学』(2013、新評論)の第3章第3節でも紹介した)。


    以上は、GDP統計で、比較的容易に確認できる。「財政出動論17 財政出動と抑制の30年史概観」でもふれている。・・・財政出動の規模を予算で評価してはいけない決算(実際の支出額・・・財政出動規模)は、予算とは大きく異なることが多い。


    大した財政出動規模ではないのに、大規模な財政出動が行われたと考えれば、それに比較して効果の方は相対的に小さく評価されてしまう。




(1)予算と決算の乖離



   では、なぜマスコミや財政学者は、大規模な財政出動が行われたと思い込んだかといえば、補正予算の増額を財政出動の規模と同一視していたとしか言えないのである。そして、マスコミや学者が誤解してくれれば、政府、与党自民は景気対策を一生懸命やってくれている・・・財務省もそれに応じてくれていると国民など思い込んでくれるから、政府も自民党も財務省も「勝手に誤解」してくれることはありがたい。だから、わかっている人達は、だれもその誤解は正そうとはしない。もちろん、財務省は、上で見たように、財政出動に効果はないと信じているので、大した財政出動をしていないのに、大規模財政出動だとマスコミがき立ててくれれば、(彼らにしてみればそれ以上無駄なカネを出さなくても済むのだから、マスコミらの誤りは積極的に正さないのは当然である。むしろ、積極的に誤解されそうな資料を出し続けている。・・・予算は、全額が支出される訳ではないことが、マスコミなどにはわかっていない。



   まず、誤解の一つの原因としては、企業の予算と政府などの予算性格が少し違うことがある。企業の予算は、企業毎に扱い方が違うが、基本的には一種の「目安」である。収入がまず重要であって、それこそが「目標」であり、支出は目標である収入に対応 した支出になればよい。だから、収入と支出の差額がプラス方向に増えていってくれれば(つまり黒字であってくれれば)、支出が当初の予算を超えてもそれほどの問題ではない(経営陣がどう考えるかだけの問題だ)。



    これは、企業で「支出」とは収入を増やすために必要な支出であることが原則だからだ。企業では、収入にリンクしていない支出はわずかなのだ。支出収入関係が明確なのだ。だから、収入が増えるのであれば、そのために必要な支出は当然認められる
    これに対して行政では、収入と支出は本質的にリンクしていない。完全に切れていると考えて良い。そもそも、それこそが行政が行政である所以である行政が行う事業が企業の事業とは本質的に異なる点だが、行政がよい政策・事業を行えば収入が増えるという関係は短期的にも中期的にもない行っている事業の目的が企業とは違うからだ。企業は、収益を上げることを目的とする。だから、企業は黒字になりそうにない事業は行わない。だが、企業が提供しなくても、国民や住民に必要な財・サービスがある。裁判所、警察、公園の提供、生活道路の提供・・・などだ。
    例えば、道路でも、高速道路は出入り口に料金所を設けることで、料金を負担しない人を排除できるから、民間企業でも提供可能だが、生活道路はそれに面するすべての住宅や店舗や工場などに出入り可能でなければならない。したがって、出入り口を制限できないから、利用者から利用に応じて料金を徴収することはできないので、民間企業ではペイしない。したがって、生活道路政府や自治体がなければ提供されない。
    このように、採算が取れないために、企業ではまったくあるいは十分には供給されない財やサービス(これを「公共財」という)を提供することを目的に、国、地方公共団体は設置されている。逆に、国や地方公共団体が、収益を上げる事業を実施することは民間の領域を侵すことであり、排除される。だから、国や地方公共団体行う事業は、事業によって収入を十分には得られない事業になる。つまり、政府では、収入と支出は必然的にはリンクしない政府や自治体の存在意義は、逆に収入と支出がリンクしない財・サービス提供する点にある。一方で、リンクする財・サービスの提供は民間企業が行うという役割分担があるのだ。

   だから、国、地方公共団体の収入と支出リンクが切れていることには積極的な意味がある。しかし、リンクが切れているから、収入を基準に支出すべき事業を選ぶことは出来ない。リンクを通じた支出の抑制ができない。だからこそ、行政では、支出は厳しく管理されなければならない。その管理は、政治(=議会)の監視によって行うことが、「政治」システムという制度の存在意義なのだ。

    このため、支出に関しては、執行のどの過程、段階でも、1円でも議会が承認した『予算額』をオーバーすることができないことが法律的に定められている。1円余計に支出が必要な場合は議会に補正予算を提出して議決をしてもらう必要がある(流用などの制度はあるが、手続きは厳しい)。しかも、支出総額全体で支出予算総額を上回らなければよいというレベルではない。極めて細分化された単位で上限が決定されているのが行政の予算だ。だから、行政の予算は、多少の余裕がないと執行できない。逆に、その結果として、それだけで、常に必ず決算額は予算額より小さくなる



  その中には、大きな事業がそっく り執行されない結果、支出されない予算も少なくない。例えば、工事や委託業務などは、入札して落札業者がいな ければ執行できない。また、公共事業などでは、用地が買収できなければ、建設工事予算は執行できない。これは結構多い。
    特に大都市圏ではそうだ。一方、地方・・・田舎では住民が行政に協力的だし、用地買収単価も極めて低いので、用地買収が容易である。その結果、大都市では予算をつけても用地問題が解決しないので執行できないに対して、地方はそれが容易だから、公共事業は、特に経済対策としての補正予算で行われる公共事業は、地方で多くなる。
    財政出動のための公共事業は、9月12月、2月と言った時点で補正予算が成立する。すると、それから3月末という年度末までに、少なくとも契約しておかないと、予算は原則として流れてしまう。平均的には、2,3か月くらいの期間で、用地買収をし、設計して仕様書を作成して入札とか契約までもっていかないといけない。だが、大都市圏では、そうした短期間で用地交渉をまとめることは不可能だ。だから、景気対策のための補正予算で公共事業を行うとするなら、地方で執行するしかない。別に、地方自民党が強いから、その政治力で、公共事業が地方(人口比で)多いというわけではない(注)。大都市圏では予算をつけても執行できないだけなのだ。別に自民党政治家が地方に多いから、地方で公共事業が多いというけではない。
           注)実際、昔、自民党が強い(自民党国会議員が多い)地域では公共事業が多いという相関 
                 関係から、地方は自民党が強いために、その政治力で公共事業が多いのだ(これは暗に、
                政治による利益誘導を批判している。)・・・という若手財政学徒の論文が財務省財務総合政
                策研究所のフィナンシャル・レビューかなんかに載っていた。だが、それは疑似相関だ。田
                舎である故に自民党が強く、田舎である故に用地買収が容易で公共事業がやりやすいという
                だけの関係に過ぎない。・・・まあ国会議員の影響力がゼロとは言わないが、それは地方と大
                都市の引っ張り合いに対する影響力ではなく、地方のAと地方のB県間のひっぱりあい
               に関する影響力だ。



   景気対策のための補正予算は、補正規模が大きいほど十分な景気対策をしたと胸を張れる。だから、景気対策で補正予算を組む際にははじめから用地買収ができず、十分に執行できないのがわかっていながら予算に盛り込まれる場合も多い。それは執行するつもりがない予算である。一種の政治的パフォーマンスである。



   また、財政部門が、執行段階で財政部門との協議を(執行部門に)義務づけた予算(財政部門の了解がないと使えないという条件をつけた予算(つまり執行協議付きの予算))というものもある。補正予算規模を膨らませ るためだけに、こうした仕組みを使って、支出させるつもりのない予算が計上されることもある(かもしれないと一応言っておこう)。

 
   当初予算の後、9月に補正し、さらに12月とか2月に補正を追加しても、その内容には、当初予算や1回目の補正(一補正)に計上されてていた事業が、少し形 を変え組み替えして再計上されるだけのこともある。執行されなかった事業はしずかに消えていったり、翌年度の事業に再計上されることも多い。すると、翌年度の予算が膨らむことになる。なんのことはない。ダブル、トリプルに計上されているだけだ。



   また、上でも述べたように、行政の予算は、細部まで決められていて、1つの事業の内訳も細かく固定されている。その事業を少しやり方を変えるときには、予算の総額が変わらなくても、事業全体の予算の構成を補正する必要がある場合もある。
       注)例えば、今は解消されているが、かつては国公立の試験研究機関では、何某かの目的のため
           の研究費が予算総額で100万円つけられていても、その金額は、目的別にさらに細分化されて予
           算上限が決められており、例えば電話回線使用料がそのうちの10万円回線使用料の予算額) 
           しか計上されていない場合に、日進月歩の情報通信分野で回線使用料が執行(研究)段階で新し
           い情報通信への対応で15万円必要とわかった場合全体予算が100万円あっても、回線使用料
           の上限10万円という予算の制約のために研究ができない(結局100万円がほぼ使えない)という
           ことも普通にあった。こうした場合、年度内に議会で補正するか、1年待って翌年度予算で要
           求してつけてもらわなければならない この場合に、予算が105万円に増えれば御の字で、しば
           しば、総額は100万円のままで、他の例えば消耗品購入費とか、実験機材購入費とか試作品製作
           費などを5万円削って、回線使用料を5万円増やすことになる。総額が変わらなくても(補正
           予算が議会を通らないと使えない(研究できない)。 
    すると、予算の総額は増えない(=財政出動の規模は増えない)のに、内訳が変化するためだけに、補正予算に計上し、補正の予算額だけが膨らむ場合もある。もっとも、既定の予算額に溶け込んでしまえば《→=現計予算》、それはプラスマイナスゼロになってしまうが。


   こうした様々なプロセスがあるから、予算というのは、結局、どのように執行されたのか、何時執行されたのか、そもそも実際に執行されているのかは、改めて分析しないとわからない。だから、予算は、実際の支出額の代用にはならない。当初予算や補正予算額を単純に足しただけでは、支出の実態とまったく乖離してしまう場合がある。本当の支出額が本当にわかるのは、決算額である。

だから、正確公共投資の規模は、正式系列のGDP統計の公的固定資本形成がそうして産出されているように決算額ベースにしなければならない。信頼できるのは、これだけである。問題は、それがわかるのが遅いことである。

(2)印象操作?・・・



    また、日本では、(財務省の長年の方針で)財政出動は当初予算では行わず、実質的にほぼ必ず補正予算で行うことになっている。したがって、仮に、ある年度の途中に財政出動のために 補正予算が積み上げられその年度の最終予算額が大きくなっても、翌年度の当初予算は、前年度のそうした補正を行う前の(「補正前」の)当初予算額が常に計算のスタートラインとなり、それとの比較新年度の予算が査定される。新年度にさらに景気対策が必要で補正が必要になる場合も、比較対照は常に当初予算であり、補正予算を加えた前年度の最終予算額ではない。財政出動の規模や変化を把握するには、新年度の当初予算額と前年度の補正後の最終予算額を比較しなければならないはずだが、そうした比較をしようという発想は、少なくともマスコミにはない

    注)もっとも、上で述べたように、予算があっても執行されているかどうかはまた別なので、最終的
        には決算で見ないとわからない。上で述べたように、GDP統計は正式系列では、決算額を使って
       
いる。だが、それは遅すぎて、政策判断には使えない。って推計するしかな
        速報段階では、予算と執行状況の把握によい。



   だから、前年度予算と比較して、今年度予算は、これだけ増えていますという資料を財務省は出すが、それは、補正で増えた前年度の最終予算額と比較しているのではない。前年度の当初予算額と比較しているのだ。だから、常に、今年の補正予算は巨大に見える


   マスコミとか財政学者は、前年度は補正で大規模予算になっていて、前年度予算と比較して今年度当初予算はそれよりも「大きい」ようだから財務省は前年度予算を比較のために今年度予算額と並べて表にするが、並べられているのは前年度の当初予算であり最終予算ではない、予算は昨年度よりさらに大規模になっているだろうと勘違いしていることが多い《というのも、民間会社は最終予算と比較するのが普通だと思う。だが、実際は、当初予算段階ではほぼ必ず前年度割れ(前年度の補正後の最終予算より大幅に小さい)であり、その後の補正を加えても前年度割れということがしばしばである。



   財政学者さん達も、実務は知らないので、「行政職員には常識であること」がわからない。財務省職員は、誤解してもらいたいのでわざわざそんなことは言わないし、他省庁職員は、財務省ににらまれたら予算査定にかかわるから言わない。地方公共団体の職員も補助金をもらうときにいじわるをされないようにと考えて言わない。知ってる学者さんもいるはずだが、財務省の気に入らないことを言うと審議会には呼ばれる可能性がなくなるし、データももらいづらくなって研究にも差し支えるので、自己規制である。

    財務省が作成するホームページや資料を見ると、例えば、国債の毎年の発行額のグラフなどでは、過去は決算額を使っているが、今年や前年くらいは予算額を使って決算額と線をつないでいる。もちろん、今年や前年の決算額が確定していないから予算額を使うことには一定の意味はあると言えないこともない。だが、必要なら、比較できないものを比較することにならないように、今年や前年は、過去の決算のデータとは別のグラフにすべきだ(グラフの注には、そこは予算だと小さく書いてはあるが、そんなところは普通の人は見ない)。(数年前の話だが)とある財政学者さんが、とある誌上で、その財務省の作ったグラフ《同様のグラフを毎年作っている》を使って「昨年、今年と国債発行額が大幅に伸びて大変厳しい」といったニュアンスで解説しているのをみてたまげたこともある。伸びてるように見えるのは、その部分だけが予算数字使っわれてるからですよ・・・。