2011年1月29日土曜日

財政出動論7 財政赤字・政府累積債務の持続可能性

            財政出動論目次                                 ・・・その他《このブログ全体の目次

改訂経過26.6.19 後段の、国債消化資金として家計以外に企業部門の資金余剰を考慮すべきという問題に関連して、企業が設備投資を拡大した場合の国債消化問題について「」を追加。24.1.5 末尾に、金利上昇の際の利払増加問題について補足。24.3.2下段の部門別資金過不足グラフの説明に補足追加
    この頁をベースの一つとして新著日本国債のパラドックスと財政出動の経済学』(新評論。平成25年10月10日刊。 →→紹介ver.2紹介ver.1アマゾンを出版しました。

《概要》 政府の累積債務が、国内の個人金融資産額を超えない間は国債は消化できるが、それ以上では財政破綻するという説がナンセンスであることについて書いています。

1 導入
    1990年代冒頭のバブル崩壊以来、日本では巨額の財政赤字が長期に続き、リーマンショックを契機とした世界同時不況後はさらに財政赤字は大きくなっている。
    この結果、日本政府の累積債務残高も巨額に達している。これは、ギリシャ危機によって、あらためて注目された。

    また、世界同時不況対策として先進各国が大規模な財政出動を行った結果、各国の累積債務も(日本ほどではないが)巨額に上っている。この結果、2011年初頭現在、アイルランド、英国を始め、ヨーロッパ各国は財政の大規模な削減に向けて動き出している。

    米国においても、米国を含め世界の財政出動を主導したオバマ政権のローレンス・サマーズ(国家経済会議(NEC)委員長)やクリスティーナ・ローマー(大統領経済諮問委員会委員長)が相次いで退任するなど、財政出動の削減を求める動きが強まっている。

    (財政出動論5で述べた)「短期」の観点から見れば、こうした財政再建への転換は、橋本政権期の財政再建政策への転換財政出動論4参照)や、大恐慌期のルーズベルト政権による1936-37年の財政再建政策への転換のように新たな大不況をもたらし、その影響《それ以後の日本の長期停滞に道を開いたように》が恒常化する可能性が高い。

   また、こうした財政出動削減の影響は、金融緩和を続けている先進国からの大規模な投機資金流入によってすでにバブル化している開発途上国のバブル崩壊の時期と極めて近接して生じる可能性が強く、それは世界経済にリーマンショック以上の打撃を与える可能性が高い。

    そこで、問題となるのが、財政再建路線への転換論の背景にある、日本をはじめとする各国の巨大累積債務の持続可能性である。この問題については、拙著『重不況の経済学』の第3章の議論(一応の理論)を受けて第6章で整理しており、きちんと書くと1回では書ききれない。このため、ここでは、とりあえず問題を限定して、「政府累積債務が、個人金融資産額を超えるあたりで国債発行が困難になる」という議論について考えることにしよう。

2 政府の累積債務と個人金融資産の関係
   「 財政出動で政府累積債務が増加すると財政破綻に至る」という議論の中で、国内の個人金融資産額までは国債は消化できるがそれ以上になると破綻するという議論について、以下で考えてみよう。

(1)国内の個人金融資産額までは国債は消化できるがそれ以上では財政破綻という説
    日本の国債発行がこれまで円滑に行われてきたのは、日本の個人金融資産が巨額に上っており、それを使って国債が購入されているからだとする理解が根強い。

    例えば、相沢幸悦・中沢浩志『2012年、世界恐慌 ーソブリン・リスクの先を読む』では、「2010年2月の政府発表では、家計の純資産額は1063兆円で政府債務残高863兆円との差額はわずか200兆円まで接近している。このことは、単純な見方をすれば、あと200兆円しか国債を新規に発行できないということを意味している。』(118ページ)とある。
    このほかに大学の先生の書いた本でも同様の記述がある。例えば一橋大の小黒一正『2020年、日本が破滅する日』(2010)も、家計貯蓄と一般政府債務を比較している(P.25の図表4)。

    これ以上の主張もあるし(トンデモ本?)、もう少しマイルドな主張もある。

    例えば、榊原英資『フレンチ・パラドックス』では、次のように説明されている。
    「日本の家計の貯蓄残高、つまり、金融資産は、およそ1400兆円から1500兆円の間といわれています。一方で、国債の残高は、短期の借入金まで入れても860兆円から870兆円です。・・・ですから、バランスシート上はまだ500兆円ほどの債権超過なのです。・・・・これまで国債が市場で消化されているということは、市中に国債を買い求める需要があるということです。・・・現在の日本経済の問題は民間の需要が足りないということです。民需が弱いときは財政で補うのです。そして民需が弱いときは、国債は売れるのです。」
    これは、結論の『民需が弱いときは、国債は売れる』は妥当だが、それに至る説明は、誤解を招くように思える。

(2)国債消化資金としてはストックである個人金融資産が使われるわけではない
    特に『2012年、世界恐慌』の議論が、常識的におかしいことは明らかだろう。

    同書の言う、家計の純資産1063兆円は、すでに銀行に預けられたり、株式や不動産に投資されたりしている。預かった銀行も、それを運用するために企業の設備投資に融資したり国債や社債を買っている
    仮に、国の新発国債を買うために、こうした家計の金融資産を使うとしたら、銀行はどこかの企業への融資を引き上げたり社債を売却する必要があるし、株式市場や不動産市場からも資金が引き揚げられることになる。これこそクラウディングアウトである。

    特に、昨年度や今年度予算では、一般会計の赤字額は数十兆円に達している。こうしたGDPの1割にも達する巨額の資金が資産市場から引き揚げられたら、あちこちの市場で暴落が生じているはずだ。しかし、そんな気配はない。つまり、これらは国債消化の原資ではないのである。

    そもそも、こうした資金は、すでに使われ様々な資産市場に配分されているのである。だから、新発国債を買う資金は、こうした資金が使われるのではないことは明らかだ

(3)国債消化資金は、不況下では実体経済の活動のフローの中で毎年発生する
    では、どのようなお金が国債の消化に使われるのだろうか。日本は恒常的に財政赤字で毎年巨額の国債を発行しているのだから、その資金は、毎年発生しているのでなければならない。つまり、毎年のフローで考えなければならない。

   簡単に言えば、 それは、「実体経済の需要不足額に相当する資金」なのである。実体経済で需要不足があれば、それに対応する額の資金は(需要の対価としては)使われなかったのだから、そのお金は貯蓄などとして毎年新たに金融資産のストックに積み上げられることになるのである。

    アバウトに、それは毎年のGDPギャップ分である(定義からして厳密には違うが、アバウトにその程度と考えればよい)。

(4)補足:不況下では、毎年需要不足分に相当する「金融資産」が増加する
    これを理解するために、実体経済で資金がどのように循環しているかを見てみよう。
    簡単に考えるために、企業は1社、家計は1つの経済で、政府はないものとしよう。まず企業が100万円の生産物を生産するとしよう。企業は、その生産のために、家計に労働の対価として賃金を支払い、生産のための資金を借りている場合は家計に利子を払い、企業の株主である家計に配当金を支払う。

注》なお、企業が複数の場合に考える問題になるが、その場合には
    企業は他の企業から原材料や中間製品を仕入れることができる。
    この仕入れで他企業に支払われたお金は、自社の従業員や株主な
    どには支払われない。しかし、中間製品を売った側の企業は代価
    を受け取り、その代価の全額を、結局、従業員や株主などにコス
    トとして支払うことになる。
        結局、1つの経済の中のすべての企業を合算して考えると、す
    べての企業は、その従業員や株主などに、その経済で生産された
    生産物の価値に相当する額(=付加価値額)のコストを支払って
    いるのである。・・・企業が1社の場合と同様である。

    つまり、企業は100万円の価値のある生産物を生産するのに、そのコストとして家計に対して100万円を支払う(実は、企業の「内部留保」があるが、ここでは簡単化のために省略している)。家計は、企業が生産した生産物が大好きだし、必要なので、受け取った100万円を使って企業が生産した100万円の生産物を購入する。すると、企業は100万円の収入を得て、丸く納まる。

    これをみると、「供給によって需要が規定されている」ことがわかるだろう。これが、セイ法則である。現実に合わせて、以上の単純なモデルに政府を加えたり、設備投資を加えたり、貿易を加えたりしても、複雑にはなるが、基本的には変わらず成立する。

    では、このモデルに設備投資を加えてみよう。家計は、企業が生産した生産物の全部を買わずに一部を貯蓄する。するとその分、生産物は売れ残る。しかし、企業には、そもそも生産設備が必要であり、巨額の資金がいる。そこで、企業は、家計の貯蓄を金融機関から借りて設備投資を行う。その設備は、企業が生産し供給する生産物で構成されている。設備投資でも他の企業が生産した財が購入される。これは、売る側の企業にとっては家計が消費財を買うのと同じである。最初の単純なモデルに比べて、生産物が消費財と生産財に分かれただけで、資金の回転は変わらない。つまり、セイ法則が成り立つ。

   そこで本題に戻ろう。家計が貯蓄したお金があれば、企業は必ずその全額を金融機関から借りて設備投資を行うならよい。しかし、例えば需要の見通しに不安があると、企業は貯蓄の全額は借りないことがある。そうなると、残ったお金は、銀行の金庫に残るか、実体経済の生産物の需要にはならない『資産投資』に使われることになる。それが、まさに、実体経済とは分離した「金融資産の増加」になるのである(増加にならない分もあるが、それは貨幣の流通速度の低下として現れる)。

    そして、その分の資金は、「実体経済の生産物」の需要(土地などの資産は実体経済の生産物ではないことに注意)にはならないから、実体経済では需要不足が生じる。逆に言えば、「需要不足が生じているところでは、常に新たな金融資産の増加、積み増しが生じている」。それを政府が国債発行で借り入れて、需要を補うのが政府の役割だと考える。

    このように景気後退期などの需要不足下では、資金が「余剰」状態になっていることを貨幣流通速度に着目して整理したのが、「財政出動論22 貨幣流通速度と不況期資金余剰」である。その余剰資金が債券市場(国債市場を含む)に流入しているのである。

   政府が景気対策のための財政出動が必要だと考えるような状況では、(少なくとも需要不足が生じている限り)需要不足に相当する金融資産が新たに発生しているのだから、財政出動の資金が枯渇することはあり得ないのである。

注》なお、実は標準的な経済学の理論では、このようには考えない。
     企業はどん欲な存在で、資金が手に入りさえすれば、収益を最大化
     するために(収益最大化原理)、それを使って必ず設備投資を最大限
     に行うと考えるからだ。だから、仮に設備投資が不足しているなら、
     それは金融機関・金融システムという資金の供給側に問題がある
     える。しかし、そうではない。実体経済側(企業)には設備投資を
     ない独自の理由がある

        そもそも、企業は常に収益最大化だけを目標としているわけでは
     ない。仮に過剰な投資を行い生産設備が過剰となれば、企業は借入
     金の返済に窮し倒産の危機に直面する。過剰な投資のリスクは過小
     な投資のリスクに比べて断然大きく、破壊的である。過少な投資と
     過剰な投資のリスクは非対称なのだ。環境次第で、企業は、収益最
     大化よりもリスク最小化を重視する場合がある。具体的には、今回
     のような重不況下である。

         金融を重視する立場では、金融機関が信用創造をすれば資金はい
     くらでも供給できるから、ここで述べているような資金循環の議論
      は、理念的なものであって現実には合わないと考えがちだ。しかし、
      いくら金融機関が信用創造しても、実体経済側で資金需要がなけれ
      、金融側の信用創造などの機能に意味はない。金融機関の信用創
      造に意味があるのは、景気が過熱気味のときだけ、中央銀行が引き
      締め政策をとっているときだけだ。

          実体経済の企業に資金需要がなかった例を一つあげよう。次の図
      は貞廣彰『戦後日本のマクロ経済分析』(東洋経済新報社、2005)
       p.58からの引用である。これをみると製造業の大企業では、1980
       年代を通じて、売上高に占める銀行借入の比率が低下している。
           一方で、製造業の中小企業、中堅企業は極めて安定している。
       銀行の行動としては、安定したリスクの小さい大企業に貸付を行う
       のが当然だから、銀行が貸出先を選別したとしたら、中小企業を削
       減して大企業に貸出先が集中したはずだ。ところが、逆だから、こ
       れが銀行自身の選択の結果生じた現象ではないことは明らかだ。
            つまり、製造業の大企業は、バブルの形成に至るこの時期に、
        自らの判断で継続的に銀行からの借り入れを削減したのである。
            その結果、銀行は、貸出先の確保に窮し、その結果不動産関連
        投資にのめり込み、それがバブル形成の一因をなしたと考えられ
        る。


(元に戻ると)
    つまり、不況で需要不足の経済であれば需要として使われなかった分だけの金額が毎年「金融資産として」増加するのである。そして、その資金は、運用先を常に探しているから、その資金によって新発国債がファイナンスされるだけである。

   だから、これまで長年、政府の累積債務が増えて国債発行が増え過ぎて国債が売れなくなってしまい「政府が破綻する」とか未曾有の「高金利」時代が来るといったまことしやかな予言が繰り返し行われてきたが、それが一向に実現しなかったのも当然である。

    こうした議論は、経済についての初歩的な知識を欠いているために生じる誤解である。マスコミ、政府や財務省内の一部の財政再建至上派もこれに連なっている。

(5)金融資産の増加状況
    下のグラフ(拙著『重不況の経済学』189ページから)のように、GDP成長率以上に金融資産が増えているが、それは、アバウトには、こうした不況でモノが売れない分の資金が積み上がっているのである(もう一つ、各国の金融緩和政策の影響もある)。


    仮に、金融緩和で設備投資が増えているなら、償却資産などの『実物資産』も、金融資産と同レベルの成長をしているはずである。ところが、実物資産の伸びは「GDPの伸びと同じ」であり(例えば「通商白書2008」13ページ)、金融資産のみが高い伸びを示しているのである(こうした状況と『新古典派成長理論』との関係(問題)については拙著『重不況の経済学』188〜192ページ参照)

    しかし、近年は日本の「家計の金融資産は増えていない」と言われるかもしれない。だが、その代わりに「企業の金融資産が増えている」《下の図参照》。「家計の」金融資産が増えていないのは、分配の問題であって、不況のために金融資産が増えていることに変わりはないのである。


   このグラフは、拙著『重不況の経済学』50ページから持ってきた図であるが、少し説明しておこう。この図は、部門別の(毎年の)資金の過不足を示している。つまり、これは、フローの貯蓄とその貸出先を示している。上側(プラス側)が資金余剰(つまり貯蓄超過)部門であり、下側(マイナス側)が資金不足部門である。
    当然、国のトータルとして過不足はゼロにならなければならないから、全てを足すとゼロになるようになっている。毎年貯蓄が超過する部門がある一方で、毎年、資金不足で借りている部門がある。こうした毎年のフローが積み重なって(上の方で出てきた)ストックの個人金融資産残高や政府の負債残高になっている。
    このグラフは、例えば、国債を消化する資金の出所がどこかを明確に示しているのである。

    個別に見ると、ピンクは家計部門である。家計は、コンスタントにプラスであるが、2000年以降は顕著にプラスが縮小している(右下向きの青矢印)。たしかに、家計の金融資産の増加は止まるはずである。

    一方、緑のチェックは一般企業(非金融法人企業部門)である。これは、1993年当たりから顕著にマイナスが縮小して(これは、企業が資金を借りずに借入金の返済を続けている状況を示している)、特に1998年以降はプラスに転じている(上向きの青矢印)。
    通常の経済では、企業部門は常に資金不足であり、資金余剰側の家計の貯蓄を金融機関などを通じて借りて事業活動を行う。ところが、1998年以降は、企業が貯蓄《内部留保の積み増し》をしているという異常な状態にある。いずれにせよ、家計の金融資産の増加の代わりに、企業の金融資産が増加しているのである。

  さて、2の(1)で、相沢幸悦・中沢浩志両氏、小黒一正先生、榊原英資先生の議論を取り上げたが、それらの議論ではいずれも「家計(個人)金融資産と政府債務を比較している。なぜ先生方は「家計」の金融資産だけを問題にしているのだろうか。
    実は、これは1997年までは理由がある。なぜなら、それまでは企業部門は「資金不足部門」であり、政府部門と同様、もっぱら資金余剰部門である家計の貯蓄(金融資産)に依存する立場であり政府と競合する立場だったからだ。だから、家計の金融資産と政府の赤字や累積債務を比較することには多少の意味があった。
    だが、1998年以降は、企業が資金余剰部門に転換している。企業部門は家計と同じというかむしろ家計よりも大きな余剰部門になっている。これは企業部門は、それまでの家計部門と同様、政府に資金を供給する立場になったことを意味する。にもかかわらず、これらの先生方の議論は、企業が資金不足部門であるという古い認識のままなのだ。それで、あいかわらず家計の金融資産だけを基準に考えているのだ。
    つまり、1998年以降は、企業部門の貯蓄を家計の貯蓄に加算して議論すべきなのだ。
            注)しかし、考慮すべき問題として、景気回復を予想して企業が設備投資を拡
                大した場合企業の資金余剰が急減して、国債消化資金が不足する危惧をも
                れるという点もある。例えば、上の図10で05年→06年には、企業の
                資金余剰は急減している。
                    なお、この06年の急減の原因は、当時の輸出好調で輸出財生産企業が設
                備投資を拡大したことにあると考えられる(これ については、「財政出動論
               17 財政出動と抑制の30年史概観」の2(純輸出)項中の「注」で、当時
                の輸出財生産企業の設備投資拡大にふれている)。
                    このように企業の資金過不足は不安定である。したがって、その急変動に
               応じて政府の財政赤字が縮小できないなら、国債の消化資金として、企業の
               資金余剰を考慮すべきではないかもしれない。
                   しかし、上の図10の06年の一般政府の資金過不足をみれば明 らかなよ
               うに、企業の資金余剰の縮小にともなって、政府の資金不足も急減している
                これは、景気の回復に伴って税収等が急回復し、不況のために必要だった財
                政支出も減少したからだ。
                    このことからも、政府財政の赤字が、放漫財政ではなく、不況という経済
                状況に大きく左右されていることがわかるだろう。だから、企業が設備投資
                を増やして資金不足部門に転換していけば(それが正常な姿)、政府の赤字
                も好転して国債発行額が縮小して、国債消化問題は生じない。仮に税収のタ
                イムラグなどで、一時的に消化に問題があれば(おそらくないだろうが)、
                それこそ日銀が一時的に買えばよい。
                    財務省は、名目GDP成長率に対して、どの程度税収が伸びるかを示す
                収弾性値に長期の値1.1を使っているが、景気回復期には、それをはるか
                に超える税収の増加が見られる。例えば、アベノミクスで景気が回復した
                13年度は3.6だった。不況からの回復期には、通常3〜4程度が観察さ
                れている。(税収弾性値については、拙著『日本国債のパラドックスと財政
                出動の経済学』256〜259頁参照。また、「財政出動論5 交わらない「短期」
               と「長期」の視点」でも、後段の2(3)の注で税収弾性値にふれている。)

    そもそも、フローで議論すべきものをストックで議論している点で既におかしい(確かにフローの累積がストックではあるのだが)。そして、そのストック(家計の金融資産)の伸びをどう予測しているかというと、小黒先生の議論に見えるように、過去のトレンドを将来に単純に伸ばし(外挿し)ているだけだ。この思考は、金融資産の変化のメカニズムに関する視点を欠いている。つまり、貯蓄(金融資産)の変動はここではまったく外生的に捉えられている。経済にとって貯蓄が外生的ということがあり得ないことは明らかだろうに(もっとも、小黒先生の本では、この話の項の次の項ではあらためて、不況と資金需給の問題を取り上げている。しかし、本来、それは別に扱われるべき問題ではない)。

    少なくとも、こうした議論には、マクロの視点が全く欠けているというしかない。

    ・・・ついでに、一般政府(橙色の菱形)を見てみよう。80年代後半から90年代初頭まではプラスであるが、バブル崩壊後の景気対策のために90年代以降はマイナス(赤字)となり、毎年資金を借り入れていることがわかる。特に98年以降はマイナス幅が拡大している(マイナス領域の右下向き青矢印)。これは財政出動論4で整理した橋本財政再建の影響問題と整合的である。2006年以降は縮小しているが、これは米国バブルによる外需の好調によって企業の業績が回復し税収が増加したためである。

    最後に、海外(紫の斜線)を見ると常にマイナスである。これは、経常収支の黒字(その裏返しで必ず同額の「資本収支赤字+外貨準備増減の増」となる)で資金が流出していること(=海外に対する債権の増大)を示している。

   このように、1990年代以降、企業は「設備投資せず」ひたすら「借入金の返済」を続け、それが終わってから(2000年代以降?)も、資金が余っているにもかかわらず内部留保の蓄積に努め、やはり設備投資は最小限に抑えているのである。いくら金利が低くても「国内需要増加の見通しがない」のだから、これは当然だろう。需要の伸びが見えないのに巨額の設備投資を行う経営者は失格である。

   そして、家計と企業が貯蓄を増やした結果として、GDPに係わる生産物に対する需要は不足しているから、それをカバーするために、政府は、家計や企業が新たに増やした貯蓄に対して国債を発行して借り入れ、財政赤字による財政出動によって、かろうじて日本全体として不足している最小限の需要を維持しているのである。

3 政府の累積債務の上昇で外貨への資金シフトが生じ、財政破綻するという主張

    もう一つ、政府の累積債務が一定水準を超えると、外貨への資金シフトが生じて長期金利が上昇し始め、それによって利払い負担が増えて財政が破綻するという説もある。

    例えば、2011年1月22日付け日経「大磯小磯」では、
「日本政府の財政赤字や、その累積額である政府債務残高は、今や財政危機に陥ったギリシャやアイルランド以上に悪化している。日本政府の債務の大部分は日本の家計や金融機関に保有されている。これまでは経常収支の黒字により円高が続いてきたため、日本の国債や預金から外貨への資金シフトは限られ、国債金利も1%台前半と低い水準が維持できた。しかし、政府の総債務がGDP比200%を超え、政府が保有する金融資産を控除した純債務もGDP比100%台になると、長期金利が上昇し始めるのは時間の問題だ。そうなれば、利払い負担の急増で財政は破綻する。」

    この議論の問題は、「外貨への資金シフト」が生じるということは、資本収支が赤字を拡大するということ(または「外貨準備増減」が増加しなければならない)であり、そのためには「経常収支の黒字が拡大しなければならない」ことだ。

    これが実現する条件としては、日本経済が奇跡的なレベルで輸出競争力を強化するか大幅な円安が実現するかのどちらかが実現する必要がある。とすると、因果関係的には、日本国債にかかるソブリンリスクの増大を受けて外貨への資金シフトが生じ、円安が実現することになるのかもしれない。

    しかし、それは同時に国内産業の輸出競争力が大幅に強化されるということであり、国内の生産が大幅に拡大するから、税収も大幅に増えることになる。

    そうなると、政府は新発国債の発行額を大幅に縮小できるから、国内の資金不足は生じない。一見して、新発国債発行必要額と国内から国債への資金供給のバランスがうまく一致しないように見えるかもしれないが、政府の財政出動額を、国内の需要不足額に対応してコントロールしようとしているなら、これはごく自然に一致しバランスする。

    なお、実はそもそも、この議論の出発点であるソブリンリスクは、上記の2で見たように発生しようがないのである。問題は投機筋だけである。投機対策をしっかりできれば問題はないのである。
(より詳しい説明は、拙著『重不況の経済学』の3章と5章を参照)


4 需要不足が解消した場合にどうなるか
    以上のように、需要不足があることを認めるなら、「需要不足が存在する限り国債による資金調達は可能」なのである。

    だが、もちろん微妙な問題はある。それは、需要不足が解消した場合だ。
    需要不足が解消すれば、需要不足解消のために必要な(財政出動のための)新たな国債発行は不要になる

    しかし、過去の財政出動のために発行した既発国債はただちに償還はできないから、借り換えが必要になる。借り換え時に金利は高くなるから、利払い費が増加する。 つまり、借換債発行時の発行コストは高くなる

    これをどのような方法で負担していくかは慎重な検討が必要である。ただし、おそらく、それは、基本的には、景気回復による税収増加によってまかなうことが可能だと考える。景気回復による税収増加は、財務省が主張しているよりもはるかに大きいからだ。
      補足》なお、税収については、利子課税があるので、金利の上昇で税収も確実に
              増加する。このため、やはり問題はないようだ。
              ・・・『財政運営の死に至る病と希望』(「経済を良くするって、どうすれば」
               さんのブログ)参照

    ただし、注意すべきは、投機筋の動きである。だから、慎重な運営に努めることは重要だ。


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◎最後に、もし、この内容に係わる何かについて(特にペーパーに)書かれる場合は、参照文献として拙著『日本国債のパラドックスと財政出動の経済学』(新評論、2013)を上げていていたければ幸甚です(なお、このページだけでなく、このブログの「New Economic Thinking(新しい経済学)シリーズ」に書かれていることは、ほぼこの本に書かれています。また、「財政出動論シリーズ」に書かれていることの大半も同様です)。